題名の理由は簡単である。囚われの身となっている後藤さんの命は尊いし、釈放されるべきであるし、釈放されることを期待する。
だが、日本政府が「イスラム国」の要求に応じた場合、「イスラム国」にとって日本は要求に応じる国の一つとなって、同じような要求の必要を新たに感じたとき、再び日本人を人質としない保証はなくなるからである。外国で拘束されている「イスラム国」のテロリストは他にもいるはずで、その釈放に日本人を利用する危険性は否定できない。
「イスラム国」が後藤健二さん(とみられる男性)を使って「私には24時間しかない」とする動画をネット上に投稿して日本政府に要求したことは自爆テロに失敗してヨルダンに収監されているサジダ・リシャウィ死刑囚と後藤さんとの1対1の人質交換である。
但しヨルダンは昨年12月、アメリカ主導の「イスラム国」空爆作戦に参加したヨルダン軍戦闘機がシリア北部で墜落して、パイロットが「イスラム国」に拘束され、人質となっているという事情を抱えている。
当然、サジダ死刑囚を釈放する場合について世論が様々に渦巻くことになる。サジダ死刑囚を釈放するなら、日本人の人質との交換よりも空軍パイロットとの人質交換を優先すべきだという声。後藤さんをも交えた2対1の人質交換の声。最後にテロリストの釈放は新たなテロを招くとして「妥協すべきでない」とする意見も根強いとマスコミは伝えている。
ヨルダン政府内では日本政府からの要請を受けて2対1の人質交換の話も出ていると伝えているマスコミ記事もある。
これが事実とすると、日本政府は「イスラム国」の要求に応じて、ヨルダン政府にサジタ死刑囚の解放との交換で後藤さんの解放を求めていることになる。
二人の殺害予告から湯川遥菜さん殺害を結末とした2億ドルの要求に結果的に応じなかったことになるにも関わらず、外国政府が関わることになる釈放に関しては「イスラム国」の要求に応じること自体、奇異なことである。
サジダ・リシャウィ死刑囚は「イスラム国」の前身となったテロ組織「イラクのアルカイダ」のメンバーだった夫と共に偽造したパスポートを使ってイラクからヨルダンに入って、ヨルダンの首都アンマンでホテル爆弾テロ事件が連続して発生していた当時の2005年11月、同じくホテルの爆破を夫と共に目論んだものの、夫は自爆に成功したが、彼女が身に着けていた爆弾は爆発せず、人混みに紛れて逃走したものの、4日後に捕らえられたという。
このホテルでは爆破時900人が出席した結婚披露宴が行われていて、新郎新婦両方の父親を含めて60人が死亡したという。
また彼女は2006年にアメリカ軍の空爆で殺害されたアルカイダ系国際テロ組織のナンバー3のザルカウィ容疑者の側近の、兄妹なのか、弟姉なのか分からないが、“きょうだい”だという。
いわばテロ組織の地位の高い幹部の由緒ある血を引き、自らも自爆テロ実行犯だったという経歴の点から言っても、長年敵側に囚われの身であったという点から言っても(不思議なことに真っ当な存在でない程刑務所に長くいると箔がつくことになる)、十分に箔をつけた存在としてのカリスマ性を備える資格があることになる。
後は「イスラム国」中枢部が彼女の存在をどのように利用するかである。テロリストたちの士気を高める象徴的な存在に祭り上げることもできるし、ヨルダン政府の不当性を身を以て体験した存在として、敵に対して憎悪を煽る装置とすることもできるし、敵の虐げに耐えた者として偶像視させ、見習いの対象とすることもできる。
戦前の大日本帝国軍隊が個々の兵士を鼓舞するためにありもしない美談を様々にデッチ上げたように、以上の仕掛けでテロリストたちが鼓舞され、新たなテロに力を与えない保証はない。
あるいは自爆テロに一度失敗した者として、新たな大規模テロを以って名誉回復のチャンスを与えるという名目のもと、あるいは名誉回復のチャンスを与えて欲しいと自らが申し出て、自爆テロを計画、決行に移す危険性も排除できない。
後藤さんの「私には24時間しかない」とする動画がネット上に配信されてから、もし日本政府がヨルダン政府にサジタ死刑囚の解放との交換で後藤さんの解放を実際に要請していたとしたら、ヨルダン政府は配信の日本時間1月27日午後11時前後から24時間経過の日本時間1月28日午後11時前後以内に後藤さんの釈放に関わる何らかのアクションを起こさなければならないことになる。
その時間切れの3時間前に当たる1月28日午後1時(日本時間1月28日午後8時)過ぎ、ヨルダン国営テレビが、同国のモマニ・メディア担当相が、「イスラム国」に拘束中のムアーズ・カサースベ中尉が解放されれば、サジダ・リシャウィ死刑囚を釈放する用意があると述べた」と報じたと「asahi.com」記事が伝えている。
但し後藤さんについての言及はなかったという。
だが、別の報道によると、ヨルダンのジュデ外相がアメリカのCNNテレビのインタビューで、後藤さんの解放も含めて「イスラム国」側と交渉をしていることを認めたと伝えている。
これは果たして事実なのだろうか。
既に触れたように釈放されたサジタ死刑囚が新たな、より危険なテロリストとして甦る危険性、あるいはカリスマ的存在に祭り上げられてテロ活動の士気鼓舞の象徴的存在となった場合の危険性はより多くの新たな人命の犠牲を次の場面とするリスクをこれから先抱えることになって、人命の犠牲が現実化したとき、その責任に安倍晋三は内閣が耐えることができると考えているだろうか。
今朝、1月29日の衆議院予算員会で安倍晋三は「イスラム国」の邦人拘束について答弁している。
安倍晋三「テロを恐れる余り、テロの威しに屈するようなことがあれば、日本人に対するさらなるテロの誘発を生み、卑劣な暴力を行使する者の意図が罷り通る世界になってしまうわけでありまして、このようなことは断じてあってはならないと思います」――
この発言は後藤さんとの人質交換でサジタ死刑囚が釈放されたなら、テロの脅しに屈したことになって、日本人に対するさらなるテロの誘発を生むとの言い替えに過ぎない。ときにはテロ組織と交渉することもあり得ると読み取ることができる者がいるだろうか。
もし日本政府のヨルダン政府に対する人質交換を手段とした後藤さん救出要請が形式的なもので、日本人の人質に無関係に自国パイロットの救出を進めて欲しいと申し出ていたとしたら、ヨルダンのジュデ外相がアメリカのCNNテレビのインタビューで述べた後藤さんの解放も含めた交渉だとしていることにしても、日本政府との申し合わせ通りの見せかけに過ぎないことになり、日本政府の後藤さん救出努力は「イスラム国」の殺害を待つ形で終わりを告げることになる。
このような場面を以って以後の如何なるリスクからも安倍晋三自身の進退ばかりか、内閣そのものを救うことになる。
勿論、すべては安倍内閣の動きを見た一つの解釈に過ぎない。だが、安倍晋三や内閣の動きを見ていると、早期解放に向けて努力していますというところを見せるための国民騙しのアリバイ作りにしか見えない。
湯川遥菜さんが生存していた当時でも、二人が殺害される形で幕を降ろすのを期待していたのではないだろうか。内閣にとっては「解放に内閣一丸となって努力したが、残念な結末となってしまった」と言えば済むことで、何ら以後のリスクを負わないで済む、一番無難な、後腐れのない幕引きとなるからである。