第21回参議院選挙民主党勝利の功労者は小沢一郎なのか

2007-11-07 18:53:39 | Weblog

 政権交代は政権党の失政を契機とする

 福田首相との党首会談での連立政権協議の責任を取るとして民主党代表の小沢一郎が党に辞職願を提出、その直後辞意表明記者会見を開いたが、党執行部の慰留を受け辞意を撤回、両院議員総会で続投を表明するに至った。

 代表は小沢一郎でなければならないとする最大の理由として「民主党をここまで育てたのは小沢氏のリーダーシップによるものだ」とか、7月の参院選での民主党の大勝の第一番の功労者は小沢代表だと挙げていたが、リーダーシップはともかく、「第一番の功労者」ということではそうだと言えるのだろうか。

 参院選民主党大勝利=参院選自民党大敗北は主として参院選当時の首相である安倍晋三の美しくも無能な内閣管理能力と国民が何を期待しているのか、その空気が読めない政策優先順位決定の無能力が決定的に原因したもので、そのような無能力を演出した安倍前首相を第一番の功労者に挙げるべきではないだろうか。

 第2番の功労者に推薦しなけれならないのは年金記録漏れ問題や保険料着服問題を引き起こした社保庁の杜撰体質・無責任体質だろう。社保庁は安倍前首相に劣らずに参院選民主党大勝利=参院選自民党大敗北に最大限貢献した。

 第3番は小泉元首相の負の遺産である社会の各格差。もう黙っていられないという国民を多く輩出したはずである。

 第4番の功労者は安倍晋三の美しくも無能な内閣管理能力と深く関わるが、「政治とカネ」の問題を引き起こした自殺松岡、「女は産む機械」発言の久間、同じく「政治とカネ」の赤城徳彦等々の美しいばかりの閣僚失格者や、郵政民営化で造反して党を追われることとなったにも関わらず古巣に未練がましく執着して復党した節度なき女々しい面々であろう。彼らは自民党の足を引っ張ったというだけではなく、一生懸命に団扇を扇いで民主党に勝利の風を送った。参院選で当選した民主党議員は安倍、松岡、久間、赤城、さらに郵政復党組の家の方向に足を向けて寝ることはできまい。

 上記問題が複合的に重なって、安倍内閣と自民党に対する国民の信頼を完璧に打ち砕いてしまった。

 この次に小沢一郎の功労を勝利の要因として挙げるべきではないだろうか。確かに小沢一郎ならやってくれるに違いないという期待感を参院選で民主党に1票を投じた有権者に抱かせただろうが、多くの国民を失望させ、その失望が怒りにまで高めた者もいたに違いない安倍前首相の政治性と閣僚を含めた自民党の面々の美しい功労の反対給付としてあった期待であることは否めまい。

 だからと言って、小沢一郎の功労を過小評価するつもりはない。政権交代の多くは政権党の失政を受けて対立党にお鉢が回るメカニズムを取るからだ。それなりのリーダーシップを発揮して、民主党を纏めてきてもいる。

 政権交代が失政を契機とするなら、政権のお鉢を取られたくなければ、心して政治を行い、国民を失望させたり怒らせたりする失政を犯さないことが政権維持の絶対条件となる。絶対条件としたとき、政治に切磋琢磨が生じる。

 だが、日本はこれまでそういったメカニズムを取らなかった。失政を行っても、自民党は失政とは別の党分裂といった内部的混乱で一時的に野党に下る狂いを生じせしめたが、戦後ほぼ一貫して政権を我が物としてきた。

 いわば「失政しないこと」、「心して政治を行うこと」が日本の政治の政権維持の絶対条件となっていなかった。そのことによって手に入れることとなった、切磋琢磨とは正反対の我が物顔が救いようがないまでに重症状態のまま放置されている政治の無駄・官僚行為の無駄(社保庁の問題もその一つである)を生んでいる最大の原因であろう。

 戦後60年以上を経過して、やっと2大政党時代が見えてきて、政権党の失政が政権交代を用意するメカニズムが有効に機能する世界標準の普通の国に近づいてきた。民主党の政権担当能力云々が言われているが、それ以上に国民の政権交代を当たり前とする意識の育みが必要であろう。自民党が失政を犯しても、驕り高ぶっても、政権交代を当たり前とする意識を働かすことができず、結果として自民党の失政・驕りの延命に手を貸してきた。

 何事も実戦によって能力をつけていく。現在の民主党に限らず、自民党の対立野党に政権担当という実戦の機会を与えてこなかった国民の責任は重い。

 既に書いたことだが、政権交代には政権を担当するそれぞれの政党の利害代弁の立場が異なることももう一つの条件としなければならない。利害代弁の立場が同じであっては、馴れ合いの政権交代となる。

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