福井日銀総裁の「たいした金額ではない」

2006-06-14 06:36:37 | Weblog

 福井日銀総裁が総裁に就任する以前の民間シンクタンク富士通総研理事長時代に村上ファンドに1000万円出資し、現在も出資状態となっている問題。

 政府は法的には何の問題はないという態度を取っている。テレビも昨日の夕刊も法的に触れるとは言っていないから、政府の言うとおりに問題ないのだろう。

 福井氏は参院の委員会で「サラリーマンの感覚からしたら負担感の重い1人1000万円という金額のカネを拠出していたのは事実です」と認める一方で、「たいした金額ではない。巨額に儲かっていると言う感じではない」と言っていると14日(06年6月)早朝の日テレが報じていた。「サラリーマンの感覚からしたら負担感の重い1000万円」を「たいした金額ではない」と言ってのける感覚はさすが世界に冠たる経済大国日本の中央銀行に偉大な総裁として君臨しているだけのことはある。

 法的には問題はないとしたとしても、「たいした金額ではない」とすることができるのは、「1000万円」を〝負担感重い〟とする「サラリーマン」その他が大多数を占めているはずの国民のこと、そういった生活状況を頭に思い描くといったことをしたことがないからで、そういったノー天気な感覚は日本のカネの番人を任せられている組織の長たる者の倫理観から言ったら、あるいは道義的には問題はないだろうか。100万円だって、現金で耳を揃えてポンと用意するのは負担を感じるも何も、感じる前に用意すること自体を不可能だとする国民も多いはずである。

 あるいはノー天気だからこそ、日銀総裁が務まるのだろうか。

 耐震偽装で住んでるマンションが建て替えとなり、新たに負担しなければならない1000万、2000万のカネの準備に、それも現金ではなく、新たにローンを組む形であっても、「負担感」がズスリと重くかかって、将来の生活まで見通すと、思い悩まなければならない住人。耐震偽装に関係なくても、子どもの教育費に思い悩む世の親たち。住宅ローンの支払いが精一杯で、生活に愉しみをつくりだす余裕のない者たち。日銀の金利ゼロ政策もあって、年金が目減りして日々の生活に余裕をなくしている高老齢者たち。この日本にはそれぞれウヨウヨ、ゴマンと存在するに違いない。にも関わらず、「たいした金額ではない」「1000万円」だと言い放つことができる。

 福井総裁の「1000万円」を単純にそのままの金額として受け止めてはいけない。自分の手元を離れても、自己の生活に何ら支障のない余裕の1000万円であって、なおかつそれ相当の配当を得る。ローン形式であっても、一般国民の後々まで負担として重くのしかかってくる1000万円とはわけが違う。光の放ち方が違う。但しその光の放ちは一般国民から見た場合の、その目に映る光り方であって、福井総裁には何も光って見えず、だからこそ、「たいした金額ではない」と言い切れたのだろう。

 「1000万円」程度のカネが光って見えるなどといったことは福井総裁にとっては自分の世界にはない別の世界に属する事柄で、考えられもしないだろう。我々とは別世界の人間を日銀総裁として頭に戴いているわけである。

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