〝愛国心〟――評価すべきことか

2006-06-10 10:44:14 | Weblog

 今朝(06.6.10)の朝日新聞、『通知表に「愛国心」190校』

 「『愛国心』は、大半が、小6もしくは小5の社会科の『関心・意欲・態度』についての評価項目に盛り込まれ、A~Cなど3段階評価だ。
 典型は『我が国の歴史や政治、国際社会における役割に関心を持ち、意欲的に調べることを通して、国を愛する心情や世界の人々と生きていくことが大切であるということの自覚を持とうとする』(茨城県龍ヶ崎市)
 多くは『調べ学習を通じて』の前提付き。『現実には前半の「調べ学習」部分で評価を決める』と複数の自治体が話す。国際理解や世界平和も観点に併記される」

 茨城県龍ヶ崎市の「我が国の歴史や政治」以下はまるで教育基本法の前文に書き込むようなご大層な文章となっている。このようなご大層な目標に「小6もしくは小5」の年齢の生徒が果たして言葉どおりについていけると考えているのだろうか。

 その年代の生徒にどの程度の「我が国の歴史や政治」を教育することができ、「国際社会における役割」をどの程度に理解させることができるかをまず考えたのだろうか。「国際理解や世界平和」についても同じことが言える。教師・生徒共々、口で言うだけの教育で終わることは目に見えている。

 考えずに目標だけを掲げ、目標どおりの実現を図るとしたら、生徒に目標結果を強制的に装わせなければ達成できない。いわば洗脳形式による粉飾の形を取らなければならない。生徒は口先だけで「我が国の歴史や政治」・「国際社会における役割」・「国際理解や世界平和」を言うだけとなるだろう。いわばウソを装わせることになる。

 正直な姿を取らせようとしたなら、年齢相応の、その範囲内の「関心」であり、そのような「関心」に応じて獲得可能な「心情」と「自覚」でしかない、幼いなりの制限された情操であろう。それを以て「愛国心」評価とする。その矛盾に気づかない。

 「『調べ学習』部分で評価を決め」たとしても、これこれ調べましただけで以て「愛国心」評価とすることになる。そこに誤魔化しを介在させることにならないだろうか。

 どちらにしても年齢相応の理解の程度を考えたなら、評価の性格を違え過ぎる。〝愛国心〟を基準として評価すること自体が見当違いを犯していることにならないだろうか。

 そういったことを無視したとしても、「小6もしくは小5」の年齢の生徒が「我が国の歴史や政治、国際社会における役割に関心を持ち、意欲的に調べ」学んで、「国を愛する心情」を育みました、「世界の人々と生きていくことが大切」だとする「自覚を持」ちましたと評価を信じ、評価に合わせた態度を疑問もなく取ったなら、学校教育によってそういった姿を導いたのである、却って仮構でしかないその頭でっかちが空恐ろしくならないだろうか。

 その空恐ろしさは無視できまい。眠りこけてクビをがくんと折った幼い弟を背中におぶい、直立不動の姿勢て天皇の玉音放送を聴く小学生くらいの丸坊主の少年の愛国心に凝り固まった姿を新聞の写真で見たとき、空恐ろしささを感じたが、それに通じる空恐ろしさではないだろうか。

 日本はどこそこの国に400億円の無償援助をしたとか、PKOを派遣したとか、表面的な紹介はできる。日本が世界有数の援助国だとかPKOを派遣したとかを教えて日本は素晴しい国だと単純に信じさせたとしたら、その信じ込みの代償として、生徒から客観的認識能力の育みを奪うことになるだろう。援助するについてもPKOを派遣するについても、石油資源が欲しいとか、中国とかの影響力を殺ぐためとか、安保理常任入りの支持を得るためとか、国際社会に日本の役割を認知させるためとか、様々な理由・利害があることを伏せることになるからである。伏せなければ、客観的認識能力は育つだろうが、逆に「国を愛する心情」獲得の教育とはならない。

 ビン・缶やゴミを捨てて川や公園や道路を汚さないこと、自分の意見を恐れずに言い、他人の意見にも耳を傾け、人によって色々な考えがあり、色々な生き方があることを学ぶという基本的な人間のあり方の学びを通して社会の一員としての客観的認識能力を育んでいく。そのことがゆくゆくは世界の国々には色々な考え方の人間が存在し、色々な生き方をしている人間がいることの国際理解の学びにつながり、日本が国際社会の一員であることの学びにつながっていく。

 そのことと並行して他国との関係で「我が国の歴史や政治」を学校が教えなくても、テレビや新聞、その他の情報から成長と共に学んでいくだろうし、「国際社会における役割に関心」を持つことにもなるだろうが、それが客観的認識性に立った成果であるなら、中国で激しい反日デモが繰り広げられたからと言って、単純直情的に反応して中国を意味もなく敵視したり嫌悪したりするような偏狭な「愛国心」となる危険を避けることができる。

 子どもたちが基本的な対人関係の知識を満足な形で身につけず、客観認識能力を育まぬままの「我が国の歴史や政治、国際社会における役割」知識、あるいは「国際理解や世界平和」知識は自国のいいとこだけを取る優越民族意識に発展する危険性を抱えることにもなる。だが、そういった生徒ほど「愛国心」評価は高得点を獲得することになるだろう。

 以前は評価「項目に盛り込んでいたが、削除したという学校は、少なくとも122校あり、その多くが児童の内面を評価することの難しさを挙げている」(同記事)と言うことだが、試すまでもなく決して評価すべき事柄ではないと気づくべきことであろう。

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