親子一緒の入浴は自立阻害原因なのか

2006-06-01 07:30:02 | Weblog

 ウズベキスタンの入浴習慣

 テレビでウズベキスタンから来日して10年という外国人妻の番組をやっていた。ほんの最後の部分を見ただけだが、新しい土地での再出発らしく、アパートを借り、子どもは転校生としての出発が始まる。その外国人妻が母親として日本語の語彙にまだ乏しい様子の硬い言い回しで「この子は男として強いところがないから心配」と言っていたが、転入した私立らしい中学で女子生徒たちから「かわいい」となかなかの人気で、本人は照れていた。

 学校から戻ってきて、「家庭環境調査票」だとかを見せられ、親の就職先を書き込む欄がある。

 父親「書かないで出すの?」 
 ウズベキスタン妻「なぜ?」
 父親「二人とも働いていないじゃない?」
 ウズベキスタン妻「だから、何座ってんの?早く行け」

 その場で早く職探しをしろと急かされたのである。父親は参ったなあといった様子で笑いながら頭を抱えた。どうも肝っ玉母さんぶりを発揮している。30代半ばか、美人だし、何と素敵な女性だろうと思った。 

 一家でテレビスタジオに招かれたが、父親は無事就職を果たしていた。司会者に、「日本のここが不思議と言うところがありますか」の問いに、ウズベキスタン妻、「親が子どもと一緒に風呂に入ること」と言う。ウズベキスタンでは幼い子供を風呂に入れる場合も、親は服を着た状態で洗い場にいて、子どもだけを湯船につけるという。「一緒に入るのはどうしてもおかしい」と納得のいかない顔をしていた。

 タレントの武田鉄也は、サルが一緒に温泉に入るように、サル状態になるとか冗談で言っていた、同じタレントの杉田かおるが、日本は共同体を大切にするから、心を通わせるためにとか何とか言っていたが、小賢しいだけのことである。親子で風呂に入る習慣を質問しているのであって、共同体云々は関係ない。

 確かに親子一緒の入浴は心通わせるシーンに見えることは見える。親が子どもの身体を洗ってやる。子どもがある程度大きくなると、子どもの方からも親の背中を流してやるといったこともする。兄弟で風呂に入ると、お互いに背中を洗い合う。

 しかし、これは子どもが子どものときだけの習慣である。子どもがある程度成長すると、温泉に一家で行ったといった特別な場合を除いて、一人で入り、自分で自分の身体を洗う。その姿は成長した段階を示すものだろう。

 つまり、風呂に一緒に入る姿は親子が心を通わせる大切な機会であったとしても、子どもが成長していない段階にあることを示してもいる。例えて言えば、授乳は母親が赤ん坊に食事である母乳を与えていると同時に親子が心を通わせる行為でもあるだろうが、子どもである赤ん坊は成長していない段階にあることを示すもので、親子一緒の入浴と重複する情景と言える。

 授乳期間を長くすると、乳がんリスクが減少するという調査結果があると言うことだが、そのことは母親にはメリットを与えるが、子どもに対しては〝離乳食〟という次の成長段階へ進むことを遅れさせることでもないだろうか。

 親子の入浴に関しても、一緒に入る年数が長ければ、子どもが一人で入って、自分で自分の身体を洗うという次の成長を遅らすことになる。

 風呂に一緒に入る期間を長くして親子の心の通わせ合いの機会を長く維持することを選ぶか、逆に短くして、子どもを次の成長の段階に進めることを選ぶか、どちらも大切な要素だが、同時に選択することは不可能であって、どちらかを選択しなければならない。

 次の成長の段階へと進むのを遅らせることは、当然のこととしてさらにその上の段階の成長を順次遅らせることでもあり、結果として子どもの成長を抑える子育てということになる。日本の親が子どもの世話を焼きすぎることを考え併せると、親子一緒の入浴も世話を焼くことの一つとしてある習慣と言えなくもない。

 欧米では子どもを赤ん坊のときから一人で寝かせるそうだが、日本では親が長いこと一緒に寝る。その上、ある年齢になるまで服を着せるのも、服のボタンをかけるのも、靴の紐を結ぶのも親がやってやったり、子どもが一人でするようになっても、あれこれ服を着なさい、靴を履きなさいと世話を焼く。例えばどこかへ行く用事があって何時に家を出ると決めていても、子どもがテレビのアニメかテレビゲームに夢中になっていて、親がヒステリックにうるさく言ってもなかなか出かける用意をしない。うるさく言ってもそう仕向けることができないことも問題だが、いよいよ出かけなければならないという時間になって、強引に夢中になっていたことをやめさせて、親が自分から慌てて子どもの服を着替えさせ、靴まで履かせて紐まで結んでやって、子どもにさせるべき役目を取り上げてしまう。

 こういったシーンはまさしく子どもが子どもとして成長できていない情景であると同時に、親が子どもの成長を阻害することになる情景でもあるだろう。

 親子入浴の習慣が日本人自立の阻害原因一つに反映しているとしたら、メリットとしてある親子の心の通わせあいは帳消しとなる。どう見るかの問題ではあるが。

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