自民族中心主義からの靖国神社参拝と日本外交
「【シンガポール=小倉いずみ】22日から訪日中のマレーシアのアブドラ首相は朝日新聞の書面インタビューに答え、小泉首相の靖国神社参拝をめぐる問題について『日本と近隣諸国が、間に横たわる障害を取り除かなければ、地域の平和と協力が影響を受ける』と懸念を表明した」(『靖国参拝アジアに影響 マレーシア首相、懸念示す』06.5.23.『朝日』朝刊)
まあ、このことはどうでもいいことだろう。小泉首相も安倍晋三も、首相の靖国参拝をどうこう言っているのは中国と韓国だけで、アジアの他の国は何も言っていないという態度を取っているのだから、放っておけばいい。問題は記事の最後に挙げてあるアブドラ首相の言葉である。
「近年の国際社会は日本に対し、外交面でその経済力と政治力に見合った役割を果たすようシグナルを送っている」
つまり、日本は「外交面でその経済力と政治力に見合った役割を果た」してこなかったし、現在も果たしていない。そういったお粗末な状況に立ちすくんでいるのは果たすだけの力を持っていなかったし、現在も持っていないからということ以外に理由を見つけることができるだろうか。だからと言って中国の影響力のみが突出したのではアジアのみではなく、世界のバランスを危うくする。その危機感に立って業を煮やす形でそろそろ果たすべきではないかと言っているのだろう。無理な注文かなと、薄々気づきながらなのかもしれない。
このこともどうでもいいことか。そんなことを言っているのはマレーシアのアブドラ首相だけだと片付ければ済むことだから。自己中心でしか考えられないのは日本の歴史・伝統・文化としてある日本民族優越意識からの発想であろう。自分は優秀だと思い上がった人間は自分の考えはすべて正しいとし、他人の言うことは耳に入らない。大体が「国のために戦った」と日本のことだけしか考えない自己中心の靖国神社参拝となっているのである。
自己中心の政治に他国との関係を問い・調和させる外交上の創造的な相互性など期待できようがない。