「地域住民参加型の新たな子育て支援制度として、小泉純一郎首相の肝いりで今秋スタート予定だった『生活塾』が計画倒れになりそうだ」という毎日新聞(『生活塾「開講」ピンチ 試行は閑古鳥、さいたまでは2人』06年5月4日)の記事をインターネットで見かけた。「仕事で保護者の帰宅が遅い小学生を地域住民が有償で預かる仕組みだが、厚生労働省が3~4月に首都圏4カ所でモデル試行したところ」、「利用者は同省が想定した各40人に達せず、さいたま市ではわずか2人」で、「具体化のめどは立っていない」ということらしい。
同記事は同種の事業を厚労省が94年から「ファミリー・サポート・センター」という名前で行っていて、「既に約400自治体15万人が登録している。同省は重複を心配し『屋上屋の制度では利用者が混乱し、自治体の負担も増える』と難色を示していた」ことも伝えている。それでも「小泉純一郎首相の肝いりで今秋スタート予定」が組込まれて、「モデル試行」まで進めたということは、ファミリー・サポート・センターが「子育て支援制度」として十分な機能を発揮していないことからの見切り発車といった経緯があったからでなくてはならない。少なくとも〝不足部分〟が無視できないことからの新しい制度の発足予定だったはずである。
だとしたら「約400自治体15万人が登録」は折角そこまで進めたのにと取るか、何のために進めたと取るかだが、「生活塾」が先行き怪しいとなったら、「ファミリー」側はほっとしているだろう。但し、「ファミリー」だけでは事足りずに「生活塾」と銘打って新たな制度を目論まなければならなかった〝不足部分〟はなくなるわけのものではあるまい。お役所仕事上仕方なく続けていくということなのだろうか。
提案者の内閣府特命顧問・島田晴雄慶応大教授は次のように説明している。「『今のファミリーサポートは自宅で子供を預かるだけだが、生活塾は一緒に食事をしたり、スポーツや地域活動にも参加し、しつけにも取り組む』と足りない部分を補完する狙いを強調。預かり手として定年退職後の団塊世代を見込んで『地域での子育てを復活させたい』と意気込んでいた」(同記事)。
ではなぜ「ファミリーサポートセンター」に「生活塾」の趣旨をプラスさせる既設制度の活用・充実による発展型の協力体制で社会の需要に応えていく形が取れないのだろうか。内容が伴わない単なる数字の積み重ねだったとしても、とにかく「約400自治体15万人が登録」しているのである。
日本のお役所仕事の〝伝統・文化〟として、天下り先確保のためにも似たような制度をいくらでもつくろうということなのだろうか。
「ファミリーサポートセンター」にしろ「生活塾」にしろ、具体的にどのような制度なのか、その大体を知るために厚労省等のHPを覗いてみた。
ファミリーサポートセンターとは「平成6年(1994年)に労働省(現厚生労働省)が『仕事と育児両立支援特別援助事業』として始めたもので、設置基準は原則として人口5万人以上の市町村」で、「運営費には補助金が交付され」、「仕事と家庭の両立を応援していくために、育児や介護を少しでも地域で支えていこうという考えのもとに作り出されたシステム」だという。「子どもを一時預かってもらいたいとか、病気などの困ったときに手助けをお願いしたい『依頼会員=お願い会員』と子育てや介護を手伝ってあげようという『援助会員=任せて会員』の応援ネットワーク」だそうだ。
具体的な運用方法は、「育児の手助けをして欲しい人(依頼会員)と育児の協力をしてくれる人(援助会員)がそれぞれ事務局(センター)に登録しておき、必要な場合に要望のあった会員同士を紹介」となっている。
ここで一つ断っておきたいのは、最近〝地域で支える〟といった言葉が多用されるが、その殆どが官、もしくは行政の斡旋による活動であって、地域住民の中から自然発生した、あるいは自分たちが声を上げてつくり上げたヒモつきでも何でもない無垢の地域活動ではないと言うことである。かくして日本全国一律的な活動が展開することになる。つまり地域が地域でなくなる。
「ファミリーサポート」の対応内容は、「センターで行う援助は、あくまでも急な子供への対応や人手不足を補うための援助で、軽易かつ短期的・補助的なものに限られていて、集団保育や乳幼児の長期保育等は行わない」と保育所や託児所とは異なることを断った上で、縄張りは侵しませんということなのかもしれないが、
・急な残業の場合に子どもを預かる。
・保育施設までの送迎を行う。
・保育施設の開始前や終了後又は学校の放課後、子どもを
預かる。
・保護者の病気や急用等の場合に子どもを預かる。
・冠婚葬祭や他の子どもの学校行事の際、子どもを預かる
。
・買い物等外出の際、子どもを預かる。
以上を見ると、要するにベビーシッターの行政化である。民間で行えば済むことをわざわざ行政化する必要があるのかと思って、「ベビーシッター」事業がどれほど普及しているかインターネット検索を試みると、「サポート・センター」とは別に(だろうと思う)既に「社団法人全国ベビーシッター協会」なるものが存在することを知った。設立は「サポート・センター」の設立1994年に3年先んじる1991年。厚生労働省の指導援助によりベビーシッターの知識と技術の向上のための「研修」を実施するとともに、働くお母さん方に対しては「ベビーシッター育児支援事業」として割引券を発行し、在宅保育事業を実施、平成12年度からは「ベビーシッター資格認定制度」を発足させているという。
これらの内容から窺えることは「協会」が厚生労働省の天下り先となっているのではないかということと、「在宅保育」の実際の業務は会員となっている全国109社にのぼる民間のベビーシッター事業会社が行っていて、「研修」名目、「試験」名目、あるいはパンフレット発行等の名目で民間会社から利益を得ることが主事業となっているのではないかということである。体のいい官による民の支配であり、「研修」・「試験」・パンフレット発行等に名を借りた体のいい上納制度団体に見えて仕方がない。
両者の全体を通してみると、例え目的は正しくても、一方で民を支配し、支配と言って悪いなら、民を操作し、一方で各自治体を補助金を駆使して影響下に置く構図が窺えてならない。
「生活塾」の概要を改めて列挙してみると、
・主に自宅で、複数の預かりも含めて行う。
・預かりだけではなく、おやつや食事の提供、挨拶等のし
つけを身につけさせる等の援助も併せて行う。
・預かりは有償とし、その報酬の支払いは当事者間で行う
。
・市区町村は、預ける者と預かる者の間のマッチングを行
う。
・ファミリー・サポート・センターやシルバー人材センタ
ーなどの既存の仕組みを活用して行うことができる。
対応内容が重複する項目もあるにも関わらず、「ファミリー・サポート・センター」とは活用関係のみで、あくまでも別組織の体裁となっている。これを無駄と言わなかったなら、何を以って無駄と言っていいのだろうか。
業務自体は出張型のベビーシッター対応ではなく、自宅待機型となっているが、小泉首相お得意の「官から民」ではなく、「民から官」へ移行させる管理形態となっている。利用者が少なかったということだが、問題はどこにあったのだろうか、探ってみた。
まず〝預り手〟(ファミリー・サポート・センターが言うところの「援助会員=任せて会員」)をどういう方法でどれくらい確保できるか、その具体的方法と確保可能数を一定の実態的な調査で割り出したのではなく、「人生経験豊かな退職者や子育てを終えたベテラン主婦などの中には、自由になる時間を利用して、仕事と子育ての両立に苦労している家庭を助けたい、子育てをサポートしたいと、人助けに積極的に関わることを希望する者が多く存在すると考えられる」と希望的観測で割り出していることである。
本四連絡橋とか「かんぽの宿」、その他の保養施設といった赤字経営の官のハコモノの数々も、利用者数を割り出すのにこのような希望的観測で行ったのだろうかと疑いたくなる。「ファミリー・サポート」にしても、調べてみると、〝預け手〟と〝預り手〟の比率は4:1とか6:1とかで、圧倒的に〝預け手〟過剰の〝預り手〟不足の状況を呈している。「ファミリー・サポート」で既にそういった状況下にありながら、「生活塾」でも「希望する者が多く存在すると考えられる」なのだから、その計画性は見事と言うしかない。
「ファミリー・サポート」の〝預り手〟不足を「社団法人全国ベビーシッター協会」の会員会社が補っているとしたら、まさしく官の斡旋による民への利益提供となる。当然そのキックバックは飲食接待とか接待ゴルフとかの形で行われるのではないだろうか。とにかく日本人は義理堅い、あるいは恩義深い人種だから。
〝預り手〟の「人生経験豊かな退職者や子育てを終えたベテラン主婦」の来し方とこれからの全体――人生というものを考えてみた。「退職者」は仕事、あるいは会社に縛られ、「ベテラン主婦」は育児・子育て、あるいは家事に縛られて、自分の時間を自由に持ち、自分の思いのままに利用する機会が少ない過去を送ってきたのではないだろうか。少なくとも時間を自分のものとして自由自在に使うことができた人間はごく少数に限られるだろう。
そのような「退職者」・「ベテラン主婦」が自分を縛っていたものからやっと解放された現在を送っている。何か社会に役立つことをしようと志したとしても、そのことによって過去と同様の時間に縛られる状況を望むだろうか。「生活塾」が要求するサービスは時間的に定時性を持ち、常態化を求める種類のものである。決められた時間に預り、「挨拶等のしつけを身につけさせる」はともかくとして、場合に応じて決まった時間に「おやつや食事の提供」を行わなければならず、〝預け手〟の途中買い物に寄ったり、急な残業とかで必ずしも決まりきっているわけではない迎えに来る時間に合わせた生活を日常化しなければならない。
相手の都合に合わせた時間に日常的に縛られることの覚悟(あるいは犠牲)が必要になる。そのような覚悟や犠牲をクリアできる「退職者」・「ベテラン主婦」がどれくらいいるだろうか。そのことの事情が既に「ファミリー・サポート」での〝預け手〟と〝預り手〟の比率は4:1とか6:1とかの状況となって現れているということだろう。〝預り手〟が自分の時間の確保に融通を利かせることができる短時間の制約で済む「ファミリー・サポート」であっても、そういった具合なのである。
参考までに新宿区の「ファミリーサポート」の年代別提供会員を挙げてみると、20歳未満=0、20~29歳=3、30~39歳=25、40~49歳=36、50~59歳=45、60歳以上=41となっていて、他の自治体も似たような傾向にあるから、「生活塾」が想定している「団塊世代」・「ベテラン主婦」は〝預り手〟として期待ができる年代と言えるが、期待だけでは問題が解決しないのは「ファミリーサポート」の〝預け手〟過剰の〝預り手〟不足の状況自体が物語っている。
「退職後」、「子育て卒業後」も自分の時間を犠牲にして、それを譲り渡して相手の時間とし、縛られても何も感じないで、それを自分の人生・余生とすることができるとしたら、そのような人生感覚こそ、却って空恐ろしいことではないだろうか。長い人生を無駄なく生きて、他人ではない自分と言うものを築き上げ、何かしら独自なものを持つに至った人間だったなら、残された少ない時間をなおさらに自分の自由にしたいと思うのではないだろうか。自分がより十全に自分であることができる最後のチャンスなのだから。
児童誘拐・殺人事件の多発化で児童の下校時に地域全体の警戒に当るために駆り出された、あるいは自分たちから組織した(と言っても市や警察、連合自治会といった上からの要請が実態だろう)パトロール隊の老人会や自治会の老人にしても、これまでの人生経験から必然的に生み出された自己独自の何かを自分のものとした時間に埋め込むのではなく、埋めるものを持たずに、それに代る時間埋めの集団活動だとしたら、社会に役立っていたとしても、個人的に子供を預かった場合、「挨拶等のしつけを身につけさせる」といったエチケット程度のことでも機械的な言葉の伝えで終わるだけのことで、そこから一体何が伝わるというのだろうか。
つまり単に預かるだけでは済まないということまで考えなければならない。年齢の低い子供なら機械的に言うことを聞くだろうが、それはするようにと指示されたことを単になぞるだけの表面的な起承転結で終わりかねない。
経験とは何々をしたと機械的な積み重ねを言うのではなく、そこから人間全般に関わる何らかの言葉を獲得し得てこそ、経験としての価値を持ち、人に伝わるだけの内容を持つ。機会的な積み重ねで終わった経験の伝えは単なる履歴の知らしめでしかなく、逆説的ではあるが、そういった経験ほど自慢話と化す。教師の言葉が生徒に伝わらないのは言葉に広がりを持たせることができないからではないだろうか。
尤もそういった状況は今に始まったものではなく、昔からあった状況であろう。権威主義の強い時代は先生の話が面白くなくても、教師(=大人)が怖いからじっと我慢して席に座っていただけの話である。怖くない女性教師がいたとしても、告げ口を仲立ちとした怖い男の教師が後ろに控えているから、迂闊には騒ぐことはできない。
今現在、身体が達者に動いて地域パトロールとかで社会に役立っていたとしても、そういった活動性が見えにくくしているが、その下に人生経験が単なる履歴で終わったために独自の自分・独自の言葉を獲得できなかった姿を隠している者が数多くいたとしても不思議ではない。退職者だからと言って、あるいはベテラン主婦だからと言って、能書きが謳っているようにすべてが「人生経験豊か」であるとは限らない。そこまで求めるのではなく、仕事として求める方が無難ではないだろうか。小遣い稼ぎをしませんかと。
自分を持たない人間ほど時間の制約に抵抗なく入っていけるだろからと言ったとしたら、不遜な物言いとなるが、事実としてある状況であろう。
提案者の島田氏は「地域での子育てを復活させたい」と言っているが、かつての日本の地域にそういった習慣があったと思うのは過去を美化するだけの幻想に過ぎないのではないか。キレイゴトで彩ることのできる人生を送った者は少数ながらいるだろうが、キレイゴトで彩ることのできる時代や社会など存在するはずはないし、そうである以上、存在した試しはないだろうからだ。
農村の中学卒の子供たちが金の卵と持てはやされて集団就職列車で都会に就職していった日本がまだ貧しかった頃までは農村や田畑を多く抱えた地域の小・中学校の教室は農繁期になると欠席生徒が続出して、櫛の歯が抜けたようにガランとなったという。農作業が機械化される前の人手頼りに中学生は働き手として、小学生はさらに幼い弟や妹の子守りとして駆り出されたからだ。いや、農繁期でなくても、子供達はさらに幼い兄弟の子守りを日常的に強制されていた。少なくともそこでは「地域で子育て」といった光景を見ることはできまい。