新イタリアの誘惑

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隅田川⑳ 江戸時代最後の橋・吾妻橋 今では現代東京を象徴する景観が・・・

2018-03-05 | 東京探訪・隅田川の橋

 吾妻橋。この橋の西詰から眺める「リバーピア吾妻橋」と呼ばれる風景は、一種現代の東京を代表するものといえる。

 赤で統一された橋桁の向こうに東京スカイツリー、墨田区役所、アサヒビール本社ビルと金色の炎を表すオブジェ(フィリップ・スタルク作)が見える。
 かつてこの周辺で隅田川の両岸をつなぐのは「竹橋の渡し」だけだったが、対岸の本所方面の開発が進むとともに江戸最大に繁華街となった浅草界隈の大火避難対策もあって、1774年吾妻橋の架橋となった。

 この橋が江戸時代5番目、そして同時代隅田川に架けられた最後の橋となった。
現在の橋は1931年製。1887年に隅田川初の鉄の橋が架けられたが、関東大震災で焼け落ちていた。

 欄干にはここにも花火のデザインが見られる。

 江戸時代は吾妻橋あたりから下流が「大川」と呼ばれ、特に吾妻橋から新大橋付近までを「大川端」と呼んだ。

 今の吾妻橋は夜、赤くライトアップされてその光を水面に湛えている。

 墨田区役所横には、勝海舟の像があった。2003年、生誕180年を記念して有志が建立したものだという。


 川の東に渡り、アサヒビールの本社ビル21階から下界を眺めると、林立するビル群を切り裂くように隅田川の流れが見渡せる。
 南方面しか見えないため、下流に向けての眺めだが、一番手前に少しだけ見えるのが駒形橋。その先にある厩橋はちょうど改修工事中なのか全体にカバーが掛かっている。そこから蔵前橋などが確認できる。 
 この周辺は江戸時代後期にはわが国最大の繁華街として栄えた場所だった。

 「白髭から永代まで5つあった大橋が今はその数が倍になって、ひとつの橋の上に立って川筋を見渡すと、

 きっちりと物量感を持った鉄の橋がその先から先へと、二重にも三重にも重なりあって眺められる」

  (佐多稲子『私の東京地図』)

 ここまでくれば浅草寺に寄らないわけにはいかない。まずは浅草寺についての予備知識を仕込んでおこう。

 寺の起源は628年、宮戸川(現隅田川)で漁をしていた桧前兄弟が、網に引っかかった金の観音像を見つけ、土師中知がこの像を供養したことから始まったという。

 歌川広重が描いた浅草寺の浮世絵だ。「吾妻橋金龍山遠望」。
 裕福な商人の舟遊び風景で、船の屋根の下に吾妻橋が見え、芸者の後ろ姿が半分だけ見える。その遠景として浅草寺本堂と五重塔がかすかに描写されている。


 私が浅草に来る時には地下鉄を利用する。東京メトロ銀座線の浅草駅出口は、和風にデザインされている。

 この線はわが国の地下鉄第1号だ。計画では浅草から新橋までを一挙に開通させる予定だったが、工事開始後まもなく関東大震災が発生して計画変更を余儀なくされ、1927年にまずは浅草ー上野間2・2キロで開業となった。
 わずか5分間の乗車時間だったが、初めての地下鉄というものを体験しようと、開業当初は2時間待ちの行列ができたという。その後建設が進み,現在の区間になったのは1939年のことだ。


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