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言問団子の店から墨堤通りの道を横断すると、
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これも有名な長命寺桜餅の店がある。長命寺に仕えた山本新六が墨堤の桜の葉を塩漬けにし、餅をくるんで売り出したところ評判を呼び、名物になったという。
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餅は3枚の葉に包まれており、葉の香りがプーンと香って評判通りの味に満足。わざわざ3枚で包むのは香りづけと乾燥防止との二重の意味があるのだという。
田山花袋は「東京近郊一日の行楽」で「長命寺の桜餅は今でも盛んで、寺門の中にたすきをかけた女の、客に接しているさまなども捨て難い」と、その賑わいぶりを描写している。
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なお、この建物の2階には一時正岡子規が住んでいたとの説明版があった。
そうそう、ここ長命寺は桜餅が本命ではなく、お寺が本来の目的。
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境内に入るとすぐに成島柳北の碑がある。
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成島は幕府の重臣から朝野新聞社長になり墨堤の桜保持に努めた人。
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成島の碑を見ると、下の部分に彼の顔が彫り込んである。だが、鼻の部分が欠け落ちてしまっている。田山花袋がここを訪れたころにもすでにこうなっていたらしく、
「成島柳北の碑の中の像の鼻の欠けたのは、なんだか一種皮肉のような心持がしていておかしい」と記している。
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その先には芭蕉の句「いざさらば 雪見にころぶ ところまで」の句碑がある。
ここは雪景色の名所だったという。
なお、長命寺の命名の由来はこうだ。
三代将軍家光が鷹狩り中に腹痛を起こした。だが、この寺の水を飲んだところ痛みが治まり、喜んだ家光は井戸水を長命水、寺号を長命寺と命名したという。
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墨堤通り沿いに三囲神社がある。中世の創建と伝えられる歴史を刻んだ神社だが、この日は境内への入口が閉まっていて入れなかった。
吾妻橋と言問橋との間に、隅田川に注ぎ込む掘割がある。これが北十間川。江戸幕府の1659年の開発で掘削され、物資輸送、農業用水として使われた。
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その川が今は東京スカイツリーの撮影スポットとなっている。ちょうどスカイツリーが川の水面に映る角度になるためだ。
この写真はまだ建設途中の時に撮影したスカイツリーの姿。
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今は青空を背景にすっきり、高々とそびえている。