飯盛山から鶴ヶ城へ移動した。
この城は1593年蒲生氏郷が築城したもの。7層の天守閣があり戊辰戦争では1か月にわたる官軍の激しい攻撃にも耐え抜いた歴史を持つ。
ただ、老朽化が激しくなり明治になって取り壊され、再建されたのは1965年のことだった。
今回の訪問の目的は城と桜。前日に激しい風雨が吹き荒れたが、桜はしっかりと耐えて満開の美を誇っていた。
城内には約1000本の桜があり、それが見事に咲きそろって壮観だ。
この城には深い思い出がある。
実は高校2年生の11月、ちょうど中間試験の前夜に私たちの高校から出火、一部を除いて校舎は焼け落ちてしまった。
そのため私たちの学年が2年生の3学期から3年の卒業まで移転を余儀なくされた。その仮校舎に充てられたのがこの鶴ヶ城の敷地だった。
従って丸々1年間お城の中で学び、過ごすという、他学校はもちろん他の学年の生徒たちも誰も経験できないまれな高校生活を送ったわけだ。
そんなことを思い出しながら、天主閣を中心にゆっくりと場内を巡る。
東南の一角に「荒城の月」の碑があった。
詩人土井晩翠がこの地を訪れ、構想を練ったという場所だ。
三の丸への出口付近にある廊下橋は、朱塗りの映える橋。豊臣秀吉も会津を訪れた時はこの橋を渡って天守閣に進んだとされる。
堀にも満開の桜がずらりと並ぶ。
水面には散り始めた花びらが浮かんでいる。
荒城の月の碑上方にある土手の高台からは天守閣と桜のコラボレーションがピッタリするアングルが認められた。
三の丸付近で出会った新島八重の像。まさに「八重の桜」。
いったん休憩して、ライトアップされるという日没時に再び城に。午後6時を過ぎて夕暮れと共に照明が光り始めた。
天主閣のライトアップは、中、下層がピンクに染めれらていた。そして桜の花びらの形も認められる。
ようやく空が暗くなってきた。それと同時に照明も輝きだす。
白い桜と白い城、そしてピンクの壁。極限まで咲き開いた桜に囲まれて、ブルーの空を背景に浮かび上がる天守閣はまさに幻想的。
可憐な美がそこにあった。
廊下橋の朱と桜の妖艶な城にも目を奪われる。
帰り際、堀沿いの桜が水面にその姿を映していた。
訪れる時期と桜満開とが偶然にもピッタリと合ってくれて、稀有ともいえる光景に出会うことが出来た。
翌朝帰りの電車で、湯野上駅付近で地元の子供たちが手を振って見送りをしていてくれた。田舎ならではの得難く可愛らしい光景だった。