新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

奈良・寺社巡り 東大寺⓸ 四天王像があったことはあったが、なぜか2体は首だけ

2022-05-30 | 奈良旅

 大仏殿の中にも四天王が存在した。大仏の左後方には広目天が立つ。

 その足元を見ると、踏みつけられた邪鬼が情けない顔をさらしている。

 また、右後方には多聞天。四天王のうちの2体は比較的怒りを抑えた表情の像だ。

それで、もう2体はどこ?  見当たらない。

あちこち探していると、いたいた。でもこんな形の像。

 増長天と、

 持国天。

2つの像は胴体なしの首だけという意外な状態で置かれていた。

大仏造立にあまりにも多額の費用を費やしてしまったので、この2つの像の体まで資金が及ばなかったため・・・・なのかもしれないなあ・・。

 だからなおさら、怒りの表情に悔しさの表情も入り混じってしまったのかも、とも思えてしまう。

 堂の隅に天井まで続く妙に長い階段があった。どんな時に使われるのだろうか。

 大仏の背後に創建時の東大寺の復元模型が陳列してあった。当時は東西に2つの七重塔が建っていたらしい。しかも高さが96mと超高層。すごい!

 大仏殿を一周して出口にくると、左手に赤い頭巾をかぶった像があった。これは「びんづるさま」 釈迦の弟子だ。

 神通力を持つ尊者だったが、それを自分の欲のために使ってしまい、追放されてしまった。でも反省して修行を積みなおし、釈迦の元へ戻ること許された。しかし、訪問者の病を治すことで償いをしようと、堂の外に控えているのだとか。

 自分の悪い部分とびんづる様の同じ部分を交互になでることで、病が治るということだそうだが、今は感染防止のために接触禁止になっていた。 残念。

 

 

 

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奈良・寺社巡り 東大寺③ 大仏様は5階建てほどのビルに相当する高さで圧倒的

2022-05-27 | 奈良旅

 さあ、大仏殿。現在のものは1709年に再建されたものだが、創建時はもっと大きかったという。それでも木造建造物としては世界最大級の規模だ。

 なにしろ大仏の大きさは15m。台座を含めると18mという巨大な像がすっぽりと収まっている建物だ。

 見上げる顔の長さだけでも5m。頭にあるつぶつぶ渦巻いた髪の毛1つ1つが直径22cmあるという。創建時は966個のつぶつぶがあったというが、江戸時代の再建時に492個になった。

 今でこそ黒光りする体だが、創建時には金色に輝いていたという。さぞかし凄かっただろうなあ。

 東大寺ミュージアムの前に、実物大の両手のレプリカが置いてあった。これだと間近に眺められる。右手は施無畏印という形に開いている。この形は「恐れることはないよ」と伝える形だそうだ。

 意識して造ったのかはわからないが、生命線なんかもあるように見える。

 一方左手は、「願いを叶えてあげましょう」という与願印を表現しているという。

 殿内には大仏以外の像もある。大仏の両脇にあるが、向かって左は虚空蔵菩薩。

 右手には如意輪観音。

これらも結構大きな像だが、大仏が圧倒的すぎるので、脇侍の2体は全く目立たない感じだ。

 

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奈良・寺社巡り 東大寺② 楽器を奏でる国宝の菩薩像達に迎えられて大仏殿に向かう

2022-05-24 | 奈良旅

 中門横の受付から境内に入る。ちょうど桜の時期、花びら越しに大仏殿が現れた。

  

 門に掲げられた几帳の文様は丸形に鳳凰が描かれ、その下に雲がなびいている。これは正倉院文様を基にデザインされているようだ。

 大仏殿に入る前に注目したいものがある。金銅八角灯篭だ。

 境内の建物はほとんどが完成から1300年も経過して、何度もの改修修復を繰り返してきているが、開眼供養の時に造られたこの灯篭だけはほぼ原形のままの貴重な財産。もちろん国宝に指定されている。

 名前の通り8つの面を持つが、うち4面には音声菩薩と呼ばれる菩薩像が彫刻されている。

 まず、横笛を吹く菩薩。

 次に尺八を鳴らす菩薩。

 3番目はシンバルような打楽器を打ち鳴らし、

 4番目は笙の笛だ。

 広い境内で楽器を使って音楽を奏でるという伸びやかな菩薩たちに迎えられて、大仏殿に歩を進める形になるわけだ。

 なお、残る4面には獅子の姿が彫り込まれている。

 境内ではまさに満開の桜。

 その花びらを通して、風格十分の大仏殿が立ち上がる。

 

 

 

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奈良・寺社巡り 東大寺① 全国国分寺の総本山には、運慶快慶の力作「金剛力士像」がにらみを利かせる

2022-05-20 | 奈良旅

 東大寺は、あの大仏様のお寺ということで、大仏建立に関わる時代の話から始めよう。

 大仏建立の詔を発したのは聖武天皇だ。724年に即位したが、当時は地震や疫病などの流行で社会不安が高まっていた。そこで天皇は仏教に救いを求めることにした。

 全国各地に国分寺を建立、その総本山として奈良に東大寺を建てて、シンボルとしての大仏を作ることを決めた。

 だが、莫大な人と費用はどうするか?天皇は大仏建立の責任者として僧行基を指名。行基は国民の喜捨と勧進を基とし、先頭に立って諸国を巡って金と労力を集めた。その行基の像が近鉄奈良駅前に建っている。

 造立スタートは754年。だが、その途上で天皇は病に倒れた。そのためまだ未完のまま開眼供養が行われたが、天皇は756年に死去。大仏の完成はその翌年の757年まで待たなければならなかった。従事した技術者と人夫は合わせて延べ260万人にも及ぶ大事業だった。

 さて、話を戻そう。最初にくぐる東大寺の門は南大門。寺の表玄関だ。真下に立つとさすがに大きい。

 高さ25m。天井裏も高さを感じる。

 ここで一番の目玉は金剛力士像だ。鎌倉時代の南大門再建時には、運慶快慶を中心とする仏師集団によって完成されたもので、向かって右に吽形、左に阿形の二体の像が立つ。

 まずは吽形。

  

 大きく目をあいている一方で、口元はきりりと絞られている。

 踏んばって前に出した右足の親指。まさに力がこもっている。

 対して左には阿形。

 口を大きく開けて、怒りの声を四方に響かせているようだ。

 その左手は、相撲の張り手を繰り出した時のごとくに、大開き。

 いずれもこの聖なる地に悪霊たちが入り込まないようにしっかりと警護している姿だ。

 一般的に全国の金剛力士像は正面を向いているが、ここだけは二体が向かい合わせに立っている。つまり、参拝客が正面から門を見た時には、力士像は見えないのがここの特徴だ。

 また、後に法隆寺を訪れたが、あちらでは向かって右に阿形、左に吽形と、東大寺とは逆の位置に立っていた。

 

 

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奈良・寺社巡り 奈良市中心部ぶらり③ 「ならまち」の散歩で、ひと昔前の雰囲気に浸った

2022-05-17 | 奈良旅

 ならまちと呼ばれる風情ある街並みの一角に「なら格子の家」があった。高い天井と深い奥行きは、昔からの造りを思わせる。

 中に入って後ろを振り返ると、外の明るさと対照的に内側には暗闇の部分が強調される。

 「陰影礼賛」。谷崎潤一郎の言葉を思い出させる。

 居間の奥に箱階段があった。写真では見たことがあったが、実物は初めて。階段好きにはたまらない。

 下には文机があり、その上には生け花と手毬が。いい感じ。

 中庭には石の渡り道が設えてある。お寺にも通じる風情だ。

 二階に上がった。格子窓から差し込む明かりが美しい。

 階段を降りる時に目に入る壁には、仏像のポスターが。やっぱり奈良らしい。

 さりげなく置かれた鉄瓶も落ち着いた雰囲気にピッタリ。

 外に出て、歩いているとあちこちの民家の軒先に赤い布を丸めたようなものがぶら下がっている。これは「身代り申」というもので、災いが襲いかかるのを身代わりとなって防いでくれるお守りなのだという。

 その身代りに加えて、わらじのふちだけのようなものも飾られていた。その曰くについては聞き忘れてしまった。

 しばし一時代昔に帰ったような雰囲気を味わう通りだった。

 

 

 

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