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厩橋を過ぎると駒形橋が見えて来る。橋越しに、もう東京スカイツリーは目の前にそびえて見える。
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名前の由来は、橋の西詰のお堂からきている。
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この堂は駒形堂。浅草寺縁起によると、平安初期の942年、安房守平公雅が浅草寺観音堂を建てた時ここにちいさな堂を造り、浅草寺の本尊・聖観音像を最初に奉安したところだった。
今の駒形堂は2004年に建て直されたので、新しい。
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歌川広重の絵「駒形堂あづま橋」では、左端に駒形堂の屋根が描かれている。その屋根越しに見えているのは駒形橋ではなくて吾妻橋だ。
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実は駒形橋が出来たのは広重の時代よりもずっと後の1927年(昭和2年)と、昭和に入ってからのことだ。
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なので、当然広重の絵には駒形橋の姿を見ることはできない。当時は「竹町の渡し」があり、船で川を渡って駒形堂に参拝し、そこからつながる参道を歩いて雷門、浅草寺へと向かうのが、スタンダードなコースだったという。
駒形橋建設のきっかけとなったのは、1923年に発生した関東大震災。隅田川の橋の大改革はまさに関東大震災によってもたらされた。
震災の前年(1922年)に東京市長になった後藤新平は、アメリカから政治学者ビアードを招いて市の再開発を計画、模索していた。 そこに発生した震災。
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震災復興事業の一環として実施されたのが隅田川改造で、結果として相生,永代、清州、蔵前、駒形、言問の6つの橋が架けられることになった。これが隅田川のバラエティ豊かな橋のきっかけとなり、うち永代橋、清州橋は現在、国の重要文化財になっている。
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日中は青い落ち着いた姿の橋だが、
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ライトアップされると、アーチが浮き出るように強調されて、昼とはまた違った美しさが発揮される。
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橋の東詰には長髪の女性像が、隅田川の流れを静かに眺めている。「休日の午後」(樋口保喜作)というタイトルがついている。
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また、川岸に設けられた遊歩スペース「隅田川テラス」からは川を挟んで向こう岸にスカイツリーと足元を走る高速道とが夕闇から立ち上がり、現代の東京を象徴するような光景が展開される。
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間近で見上げる駒形橋は、野性的な骨組みに意外な逞しさをも発見することが出来た。
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帰りがけ通った夜の駒形堂は、重厚なたたずまいを見せていた。