新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

上野歴史散歩㊲ 黒田記念館の外壁にはフランク・ロイド・ライトが帝国ホテルで採用した工法が使われている

2023-01-31 | 上野歴史散歩

 前回の旧博物館動物園駅のちょうど交差点向かいに、黒田記念館がある。この建物は日本の近代洋画界をけん引した黒田清輝を記念した建物だ。

 黒田清輝は、1866年生まれ、17歳でパリに留学した。当初の留学目的は法学を学ぶため。だが、パリの自由な空気の中で絵画に目覚め、印象派的な視覚で物事をとらえる外光派と呼ばれる画風を吸収して9年後に帰国。自らが進歩的な絵画作品を発表する傍ら、東京美術学校の教授となって明治の洋画界を大きく進展させた功労者だ。

 彼の遺産の一部を活用して、この黒田記念館が建てられた。設計は同校教授だった岡田信一郎。

 正面から見ると、2階部分にイオニア式柱頭が並び、外壁にスクラッチタイルと呼ばれるタイルが貼られている。大正期にはコンクリートや鉄が構造に使われるようになり、レンガ積みではなく、このようにタイル貼りで外装を仕上げることが可能になった。

 それも手作業で櫛目をつけるスクラッチタイルで変化を演出する工法が出現した。この工法はフランク・ロイド・ライトが帝国ホテルで使用したものだ。

 また、玄関口の扉窓は、アールヌーヴォー風のデザインを採用している。

 内部の階段も美しい。手すり部分の装飾にしゃれた工夫がなされており、

 赤じゅうたんと下階の板階段とのコントラストも面白い。

 次回は黒田の絵画作品をじっくり観賞しよう。

 

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上野歴史散歩㊱ 実は公園のど真ん中に鉄道の駅があった。それが今は歴史的建造物指定に。

2023-01-28 | 上野歴史散歩

 東京国立博物館の敷地の外れに、ちょっと変わった建物が残っている。

 これは旧博物館動物園駅。京成電鉄の日暮里ー上野公園(現京成上野)駅の中間に1933年に開業した駅の名残だ。

 公園内で乗降できる利便性の高い駅を計画したのだが、問題も多かった。ここの敷地は皇室の御料地となっており、地上にレールは敷けなかったし、また品位にかけるものであってははならない、との条件も。そこで、トンネルを掘ったうえで地下駅とし、駅舎も工夫した。

 遠くから見ると、まるでピラミッドのように階段式の屋根になっており、内部はイタリアのパンテオン風とした。ただ、ホームは短くて、4両編成の長さしか取れなかったため、現代の長い編成の車両では運行不能となり、1999年に営業停止、2004年には正式に廃止されてしまった。

 ただ、その景観は貴重。東大教授の芸術家日比野克彦氏によって入口扉に新しいデザインを追加し、斬新さを加えた建物とした。現在は都の歴史的建造物に指定されている。

 たまたま私が訪れた時は、この扉がちょっとだけ開いていた。訪ねたところ、許可をもらっての、ミュージシャンによるMVを撮影中とのことだった。中には入れなかったので詳細は不明だが、そんな活用法も始まっているようだ。

 地下の一部はこんな風になっているようだ。よく見ると「切符売り場」という表示がまだ残っている。(ネットで見つけた内部の写真を借用しました)

 

 

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上野歴史散歩㉟ 東博敷地内には変わったものがいろいろ。大名屋敷の門、鬼瓦、ジェンナーの像

2023-01-24 | 上野歴史散歩

 東京国立博物館の敷地内に堂々とした黒い門がある。これは旧因州池田屋敷の表門。

 因州(島根県)の池田家は、徳川家とも婚姻関係にある大名で、丸の内大名小路(今の丸の内3丁目、帝国劇場付近)に上屋敷があった。立派な門だけに明治になって東宮御所に移転、さらに昭和時代1954年に現在の地に移築された。

 大名屋敷の門が現在もそっくり残されているのは、東大の赤門(加賀藩)とこの黒門の2つだけで、重要文化財に指定されている。

 晴れた日、都美術館側から歩いて来ると、正面に風格を漂わせたこの門が見える。

 東博敷地内でこの門に近づくと、手前に大きな鬼瓦がデンと鎮座している。これは池田家とは無関係、福岡黒田家の江戸屋敷にあった鬼瓦が、ここに保存されている。

 建物の棟飾りに用いられたもので、鬼の面にはなっていない。大胆で複雑な雲文(雲の形をした文様)が特徴で、ちょっと見入ってしまった。こうした雲文は中国の美術工芸品に広く使われていたものが、我が国にも伝わってきていた。

 一方、東洋館の建物の横にひっそりと建つ西洋人の像がある。調べてみると、何とこれは種痘を発明したイギリス人医師ジェンナーの像だという。種痘発明百周年を記念して1896年に設立されたそうだが、どうして博物館の敷地内に建てられたんだろうか?

 台座にはジェンナーの名前が「善那」と漢字で記されていた。

 

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上野歴史散歩㉞ アジアの仏像群が並ぶ東洋館、飛鳥時代の宝がそろう法隆寺宝物館

2023-01-21 | 上野歴史散歩

 本館の向かって右側にある東洋館は、朝鮮半島からインド、パキスタン、エジプトまで、アジア各地の作品がずらりと揃う。

 特に中国美術のコレクションが豊富だ。

 中国の人物と動物(?)。彩色された色彩がしっかり残っていて面白い。

 

 中でも、最も古いという仏像を紹介しよう。「如来坐像」。パキスタン、ガンダーラクシャーナ朝のもので、2-3世紀に造られた。

 衣のひだの表現が特徴的。ヘレニズムの影響を残すとともに、東西文化の交流によって生まれたガンダーラ美術の性格を物語っている。頭の後ろの光背には、左にインドラ(帝釈天)、右にブラフマー(梵天)が刻まれている。

 こちらもガンダーラの仏像。端正な顔つきは神々しさが漂う。

 対して、表慶館の奥にある法隆寺宝物館は谷口吉生の設計で、1999年に新装オープンした。

 飛鳥時代の貴重な遺品である、高さ30cm前後の小さな胴仏57体がずらりと並んだ部屋は、まさに壮観だ。

  キラキラと輝く仏様の姿は、横から見ても均整がとれ、今でも衰えない荘厳さを身につけている。

 

 

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上野歴史散歩㉝ 表慶館はネオバロック様式、変幻自在の階段に心を奪われた。

2023-01-17 | 上野歴史散歩

 表慶館は1909年、大正天皇の御成婚記念に片山東熊の設計で建てられたネオバロック様式だ。

 花崗岩の貼られた外壁には、楽器類(竪琴など)や製図道具(コンパス、定規)、工具(ペンチ)や、般若の面など幅広いジャンルの装飾がなされている。

 ブロンズ製のライオンが控える正面玄関を通って館内に入る。

 この建物は現在特別展などの時しかオープンしないので、なかなか入る機会が少ない。

 中央ホールから天井を見上げると、ドームが目に入る。ちょっと東京駅丸の内のホールを連想させる造形だ。東京駅を設計した辰野金吾と片山は、同時代のライバルでもある。

 2階へ上がる階段が素晴らしい。華やかなアーチを描く手すりはシンメトリーな曲線。

 階段途中で眺めると、なだらかに曲がって流れるような線が提示される。

 2階に上り切ると、こんなかわいい円形の手すりに出会える。

 そこから下を見ると、七色のフランス産大理石のモザイクを施した床面が広がる。

 ある角度でみる階段は、これから大海に漕ぎ出す1つの船のような造形の見える瞬間があった。

 夕闇が迫り、ライティングが始まると、建物全体が静けさの中にふんわりと浮かび上がった。

 

 

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