新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

上野歴史散歩㉒ モネ、ルノワール、ピカソ・・・。西洋美術館所蔵作品はバラエティ豊か。

2022-10-29 | 上野歴史散歩

今回は西洋美術館所蔵の著名な画家の作品を見て行こう。

 モネ「舟遊び」

戸外の明るい午後、2人の女性がボート遊びを楽しんでいる。見るからに優雅な姿。だが、個人的には主役はこの女性たちではなく、それを包み込むかのように降り注ぐ光のように思える。開放的に広がる明るさが、見る者の心をとらえて離さない。

 また、大胆に船を半分に切り取った構図は、北斎の絵に見られるような浮世絵の手法が取り入れられている。ジベルニーのモネの家を訪れた時、家の中に多数の浮世絵が飾られていたのを今でも思い出す。

 ルノワール「アルジェリア風のパリの女たち」。

御存じ印象派を代表する1人であるルノワール。この絵は戸外の風景ではないが、温かい色彩、豊満な女性の肢体、室内のあでやかさなど彼独特の、人を引き付ける魅力にあふれた作品だ。

 ピカソ「男と女」。

男女が裸でもつれ合っている。底なしに豪快、全くためらいというものを感じさせない自由奔放さ。この絵がピカソ88歳の時に描かれたというだけでも、ひたすら恐れ入ってしまう。まさしく世紀最大の画家だ。

 ロセッティ「愛の杯」。

一方こちらは何が不満なのかうつろな瞳が空を泳いでいる。イギリスの画家ロセッティが描く女性は、いつもどこかに秘密を抱え込んだ表情だ。ただ、その神秘性ゆえにこの女性が魅力的に映るのかもしれない。

ここからは子供たちを描いた作品を。

 ルーベンス「眠る二人の子ども」。

 バロック絵画のドラマチックな作品を多数残した巨匠だが、こんな愛らしい作品も手掛けている。モデルは彼の兄の子供たちということだが、今にも安らかな寝息が聞こえてきそう。赤らんだほほと柔らかな髪を思わず撫でてみたくなってしまう。

 ジョン・エバレット・ミレイ「アヒルの子」。

 水辺にたたずむ少女がいる。体よりも大ぶりな服に、粗末な靴、髪も整えていないままだが、じっと前を見詰めるその瞳は、純粋な心を十二分に表現している。見る側にとっても、ただいつまでもこの娘を見守っていたい思いにさせられる。

 ウイリアム・アドルフ・ブーグロー「少女」。

 夜ベッドに入る前に行う祈りの時間。うるんだ大きな瞳と,合わせたふくよかな指。当時のパリで流行し始めた印象派を否定するサロン勢力の一員だったが、サロンが主張する「美」というものの1つの典型として見る事の出来る絵なのか、とも思える。

 ポール・ゴーギャン「海辺に立つブルターニュの少女たち」。

 ブルターニュ地方の民族衣装に身を包んだ素朴な少女たち。都会から来た見慣れぬ訪問者には不安なまなざしを向けている。背景には緑豊かな山野が広がる。

 文明社会と決別してタヒチへ旅立つゴーギャンの心境の変化が、この絵からも読み取れる気がする。

 

 

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上野歴史散歩㉑ 西洋美術館の前庭には、極上のロダン作品が盛りだくさん。

2022-10-25 | 上野歴史散歩

 国立西洋美術館は、館内に入る前に注目の彫刻がずらりと並ぶ前庭がある。

 まず、左側に「カレーの市民」の群像が立つ。イギリスとフランスの百年戦争。イギリス軍に攻め入られたフランス西部の町カレーで、6人の市民が自らの命を差し出すことによって町の壊滅を救った歴史の物語が、ここに再現されている。

 硬く唇を結び、苦悩の浮かぶ表情を見せながらも、差し出した右手にその決意を表す壮年、各人各様の姿を、豊かな感性表現で彫り上げた、ロダンの傑作だ。

 その奥には、ご存じ「考える人」。深い思索に沈む人間の苦悩を体現した作品。

 ただ、いつも思うのは、首を支える右手の肘が、なぜか左の膝に乗っかっている。自分でこの姿勢をしてみると、かなり無理な恰好なことがわかる。それが、思索の深さを物語っているのだろうか。

 右側のスペースには、ロダンが生涯にわたって制作を続けていた「地獄の門」がある。当初の発注先であったパリ装飾美術館の建設中止で、ロダンの生前にはこの作品が日の目を見ることはなかった。そのプロンズ鋳造を最初に注文したのは、この美術館の生みの親、松方幸次郎だった。

 実は、「考える人」はこの大彫刻の一部として制作されたものだ。門の中央上部にしっかりと収まっている。

 ロダン作品だけではない。この「弓を弾くヘラクレス」は、ブールデルの作品。怪鳥を退治しようと弓を一杯に引き絞った躍動的な姿は、人間の肉体と意志の力の素晴らしさをはつらつと表現している。ブールデルは、師ロダンの亡き後、パリの彫刻界の第一人者として活躍した人だ。

 

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上野歴史散歩⑳ 西洋美術館は建物自体が世界遺産。ロダンやモネなどの名作がずらり!

2022-10-22 | 上野歴史散歩

 

 国立西洋美術館。軽快なコンクリート打ちっぱなしの建物が、目に飛び込む。世界的な建築家ル・コルビジェ設計によるもので、世界遺産に登録されている。

 まずは、この美術館建設のきっかけからスタートしよう。それは、松方幸次郎による「松方コレクション」だった。

 松方幸次郎は、明治政府で首相も務めた松方正義の三男。川崎造船所(川崎重工業の前身)の社長となり、巨大な富を築く。

 ただ、その富は戦争を抜きには語れない。第一次世界大戦の開戦を機に松方は鉄を買い占め、大型船の建造を急ピッチで始めた。やがて戦争によって船不足となった欧米各国からのオファーが殺到。こうして蓄えられた富が、後に絵画購入の資金となったという、ちょっとほろ苦いエピソードが残っている。

 松方の美術品収集は、1916~18年と1921~22年の2回が主なる時期。今では一大コレクションとなっているロダン作品はパリに出かけての交渉だった。

 パリのロダン美術館の館長だったレオンス・ベネディットの指導の下に主要な作品入手に成功した。

また、モネ作品については直接フランス・ジヴェルニーのモネ邸を訪れ直交渉によって18点の作品を購入することに成功した。

 ただ、この後川崎造船所の経営悪化が待っていた。購入したコレクションは第一次世界大戦後までパリに残されたままで、敵国人財産としてフランス政府に差し押さえられてしまう。

 結局サンフランシスコ平和条約後の交渉の際、フランスからの寄贈という形でようやく1959年4月に日本に到着することになった。

 

 このような経緯でようやく日本にたどり着いた作品群の展示場所として企画されたのが今の美術館の建物だ。1959年に完成したこの建物は、近代建築の先駆者ル・コルビジェに設計が依頼された。打ちっぱなしのコンクリートでサッシのないガラス、円柱もコンクリートを使うなど、彼独特の理念に基づいて設計され、2016年には世界遺産に登録されている。

 正面のすっきりとした壁面は、自然石を素材としており、天候によって質感を変える。晴れれば陰影のある景色を見せ、雨なら黒く落ち着いた質感を表現する。

 1階のピロティは、柱だけで開放的な空間にしており、大規模建築にありがちな威圧的な感じを払しょくしている。

 また、天井の高さは226cmに設定されている。これは西洋人(身長平均183㎠)を標準として、人が手を伸ばした高さ(226cm)で、快適な空間が提供される。この基準はコルビジェがモデルロールと呼ぶ黄金比の寸法で、同美術館には全体にモデルロールが採用されている。

 

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上野歴史散歩⑲ 我が国のクラシックの殿堂「東京文化会館」にはスカーレットのらせん階段が。

2022-10-18 | 上野歴史散歩

 JR上野駅公園前口の正面には東京文化会館がドンと構える。1961年、前川国男の設計によって完成した。

 「東洋一の音楽の殿堂を」との掛け声の下に建設されたもので、国内有数の伝統を誇るコンサート会場だ。2303席の大ホールと649席の小ホールを持ち、現在でもその名に恥じないクラシックの各種コンサートがここで 開催されている。

 同館の斜め前にはル・コルビジェ設計の国立西洋美術館が建っているが、前川はコルジェの弟子にあたる。同じ場所で双方の建築を楽しむ贅沢も味わえる。

 ロビーはゆったりとした空間になっており、天井の照明はまるで星空のようで楽しい。

 入口右側には、当時の東京都知事安井誠一郎の胸像。長崎の平和記念像の作者である北村西望の作品だ。この像には気づくものの、その後方のくぼ地に隠れるようにして建っているもう1つの像がある。

 「ダイアナ像」。ニューヨーク市から贈られたものだという。空に向けて弓を射る姿で、足元には射落とされた獲物を運ぶ犬まで配置されている。

 どこかで見たテーマだと思ったら、「人と猟犬」の構図はまさに西郷さんの銅像と同じだった。

 個人的には、内部のレストランに繋がる階段がイチオシだ。

 スカーレットに彩られた螺旋階段。

 狭い階段だが、ほれぼれする美しさを保っている。

 帰りがけ、会館の前を通ったら、ダイアナ像が見事なシルエットになって舞っていた。

 

 

 

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上野歴史散歩⑱ 「打者」「走者」などの野球用語を創作した正岡子規の名が球場名になった

2022-10-14 | 上野歴史散歩

この辺で公園中央の広い道路を横断して、駅側(西郷さん側)の彰義隊墓所のある所へ戻ろう。

 正面に上野の森美術館がある。この美術館はフジサンケイグループによる民間美術館。同公園内の他の美術館はすべて国立や都立などの公立美術館で、民間はここだけ。それだけに公立では出来にくいような自由な展覧会で注目を集めることがよくある。2014年の「進撃の巨人展」などが、その例だ。

 私が訪れた時はちょうど「キング&クイーン展」が開催中で、エリザベス女王の巨大な肖像画がポスターになっていた。女王はつい先日亡くなったばかりで、このポスターを見て、改めて壮大な国葬の様子を思い出している。

 美術館を過ぎると、何と球場が出現する。この名称は「正岡子規記念球場」。著名な俳人正岡子規は、野球をわが国に紹介した人として2002年には野球殿堂入りも果たしている。

 野球は明治初期に日本に伝来したが、その初期から子規は野球に親しみ、著作の中でも紹介している。その際英語の訳語として使用した、打者、走者、直球などの言葉は今でも野球用語として定着している。

 この球場では明治19年~23年にかけてしばしば自らが野球を楽しんでいて、公園の130周年を記念して子規の名を取った球場名が付けられた。

 2006年に建てられた句碑には「春風や まりを投げたき 草の原」と刻まれている。なお、彼のポジションは捕手だったという。

 球場の近くにあるのが「時忘れじの塔」。1945年3月10日、東京は米軍による大空襲を受けて焼野原と化したが、その犠牲者を供養し、惨事を風化させまいと、2005年に慰霊碑が建てられた。

 寄贈者は海老名葉子さん。先代の落語家林家三平師匠夫人だ。

 日本芸術院の角からJR上野駅につながる大きな階段と橋が出来ている。2000年に竣工した。

 そこに付けられた名前は「パンダ橋」。やはり上野とパンダは切っても切れないものになっている。

 

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