もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

池上彰・木村太郎・桜井よし子氏に見るキャスター論

2018年09月07日 | 報道

 標記の3氏が各々述べたニュースキャスター像について考えた。

 3氏は、表現こそ違うが”ニュース番組のキャスターはジャーナリストであるべきで芸能人がキャスターとして発言することに疑問を持つ””点で共通しているようである。そもそもジャーナリストとは誰を指すのかと調べてみたら、「時事的な事実や問題の報道・評論を社会に伝達する活動を行う新聞、通信、雑誌、放送などの企業の従業員のうち、取材、評論および編集を担当する者を一般にジャーナリストと呼ぶ」ことであるらしい。一方、組織に属さないフリージャーナリストと称する人も存在することから、時事的なことについて例え借り物の意見であろうと意見を発表する人は総てジャーナリストと呼んでも差し支えないのだろう。然らばニュース・キャスターとは何者であろうかと調べてみたら、大辞林では「解説や論評を加えながら、ニュースを報道する人」とされている。アメリカでは番組において、事実を追うリポーター、原稿を書くライター、情報を繋ぎ合わせる編集者、賛否を主張する専門家の頂点に位置し、番組の最後に当該ニュースの色付けに断を下すことからアンカーと呼ばれているらしい。日本では放送法4条に定める「放送における公平義務」があるために、アメリカのアンカーのようにニュースに色付けすることは許されないため、全てのキャスターが大同小異のコメントを付してニュースを締め括るのが一般的であり、唯一、久米宏が賛否拮抗する討論の最後に『それでもこう考える』と反対意見に与する発言をして顰蹙を買った例が思い出される。以上の括りを基に櫻井翔君を例に考えると、リポーター・ライター・編集者の総意を伝えるとともに「許される程度の最後っ屁を付け加える」意味で立派なキャスターであろうと思うし、時事問題を伝えるという意味においてジャーナリストの範疇に分類されてもおかしくないものと思う。

 標記3氏の意見を皮肉な目で眺めれば、取材経験も無い人間には時事問題を語る資格がないとする「ジャーナリスト神聖論」とも云うべきものと考える。他の時事問題に対する3氏の論評には賛否は別にして敬意を表するものであるが、主張の全てが自己取材に依るものではなく、他人が作成した統計資料や、他人の取材の引用が随所にみられることからも、この問題に対する理論の破綻を感じ取るとともに、一種の思い上がりを感じ取るものである。

 

 

 


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