もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

大谷翔平選手のシーズン終了

2021年10月04日 | カープ・スポーツ

 MLBの大谷選手のシーズンが、9勝、37本塁打で終わった。

 タイトル獲得やベーブ・ルース超えは成らなかったものの、投打ともに極度に分業化した近代野球で誰も成し得なかった二刀流で魅せた大谷選手に対して、アメリカのメディアもリーグMVPは99%確実とまで報じている。端麗な容姿、米人に伍せる体躯、国立大合格必至と云われた学力、研鑽を忘れない姿勢、金銭に恬淡とされる私生活、・・・、将に非の打ち所がない好青年であるが、捻くれた老人としては、せめて悪性の水虫くらいは持っていて欲しい気がする(謝罪)。閑話休題。
 大谷選手は、投手と外野手の二刀流であるが、日本のプロ野球には投手を含め全ポジションを守った、究極の「ユーティリティープレイヤ」が二人いる。
 1人目は南海・日本ハム・ロッテに在籍した「高橋博士」選手である。
 日ハム時代の1974(昭和49)年、高橋選手は既に投手・左翼・右翼を除く6ポジションを経験していた。本拠地・後楽園のシーズン最終戦(9月29日の対南海)で中西太監督が考えた「高橋にイニングごとにポジションを変えさせる」というファンサービスによるもので、初回/ファースト、2回/捕手、3回/サード、4回/ショート、5回/セカンド、6回/レフト、7回/センター、8回/ライトの後、9回には投手として初体験のマウンドに立ち、プロ野球史上初の記録を達成した。
 2人目は、ロッテ、オリックス、近鉄でプレーした「五十嵐章人」選手である。高橋選手がファンサービスとして1日で記録を達成したのに比べて、プロ入りから10年かけての達成である。
 既に投手と捕手以外の7ポジションは経験していたロッテの五十嵐選手は、1995(平成7)年5月7日の対オリックス戦、2人ベンチ入りしていた捕手のうち先発捕手が途中交代、2番手も8回に球審を小突いて退場処分となり捕手がいなくなってしまった。已む無く中学時代の練習でマスクを被った経験だけの五十嵐が急造捕手を務めた。そして5年後、オリックスに移籍していた五十嵐選手は、2000(平成12)年6月3日の対近鉄戦で投手としてマウンドに上がることになった。3-16と大きくリードされ、なおも無死三塁のピンチに、仰木彬監督が「白旗を掲げた」と無経験の五十嵐をリリーフに送った。五十嵐選手は何とか投げ切ったものの、本職ではない投手との対戦を嫌った相手選手が意味の無い送りバントをしたり、近鉄・梨田昌孝監督を白けさせたことなどから、高橋選手の時のようなお祭り・祝賀ムードでの記録達成では無かったようっである。また、五十嵐選手は近鉄移籍後の2002年には史上6人目の全打順本塁打も達成しており、「全ポジション守備」と「全打順本塁打」の両方を実現した最初(現在まで唯一)の選手ともなった。

 我がカープにも、堂林・松山・安部・坂倉・中村奨成・上本と複数ポジションをこなす選手が多いが、出場機会を得るためや球団事情に因ることが大きいようである。
 一般社会でも、どの業務でもそつなくこなして一定の成果を挙げる便利屋的な存在が居ると思うが、器用貧乏の評価で終わることが多いのではないだろうか。我が身を振り返えれば、周囲には見当たらないほど多くの勤務地や業務に補職されたのも、そんな評価によってであったのかとも思えるが、残念ながら「不器用貧乏」の実績に終わったようである。


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