福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

1号機配管に水素『100%以上』ってどういうこと?:不注意を『超えた』単なる省略『以上』の何か…

2011-09-27 15:00:26 | 新聞
9月23日、東電は事故原発1号機の配管に水素が検出されたことを発表した。その濃度は、例によって『1%を超える』(朝日)『1%以上』(読売)。東電がこの濃度を計ったのは22日。ところが、朝日は24日になってこの水素濃度が『ほぼ100%が水素とみられる』という東電の『測定結果』を報道した。いったいこの間に何があったのだ。低い数値を出しておいて、『…以上』といってとりあえずその場をごまかし、事態を最小化するという東電の戦略を大メディアが、事故発生以来、忠実に支えているという図式がまたまた登場したのだ。

『1%超・以上』
と100%を結ぶのは、朝日・読売が沈黙した次のようなストーリーだ。

『配管内の水素濃度を22日に調べたところ、空気の1%を超えていた。使用した機器の計測能力が最大1%のため、実際の濃度は分かっていない。』毎日

『測定器の上限値1%を超えていた。東電は23日午後、1%以上測れる測定器を使って改めて計測する。』産経

なんだかどこかで聞いた話。測りたくない数値・出したくない数値以下しか測れない機械を持っていけば、とりあえずまずい数値は検出されない。さて、『新たに測定したところ、100%が可燃性ガスと判明』し、このガスが水素であることは東電も認めているという。最初からこの能力の計測器を使っていれば、あるいは22日に1%上限の計測器で測りきれないことがわかったらすぐ使っていれば、最初から、

『配管内の気体は水素でほぼ満たされている』毎日
『配管内の気体のほぼ100%が水素とみられる』朝日

という報道になったはずだ。それなのに、計測をやりなおしてより信頼できる数値を提出する前に『1%超・以上』と言っておく。それはなぜか。朝日だって最終的に100%って言ってるからいいではありませんか、とあなたは思いますか。それこそ、朝日が「嘘つきの朝日」「東電・政府広報の朝日」「棄民と情報隠ぺい操作の朝日」と言われずに、しかもこれらの役割を立派に果たすための情報提示技術に、善良な市民のあなたがだまされている・・・、いいや、そうではない。あなたはだまされた善良な市民の振りさえして、実はだましにかかる朝日を支持し、朝日が守ろうとしている利権構造の一角に、自分の利権ニッチがあると思い込みたいのではありませんか。でも放射能はそんなせこいニッチなんかものともしません。だって、「放射能強い、放射能えらい、だれも差別しない」ランキンタクシー)からです。

計測値としては意味のない『1%超・以上』という数値を提出することは、情報操作としては大いに意味がある。『1%超・以上』が100%かもしれないという論理的可能性にはふつう思い至らないから、濃度は1%周辺と思わせられる。まして、朝日・読売、そしてNHKのように、「計測器の限界値をこえた」という事実を提示しなければ、この「科学的に根拠のない思い込み」はますます自然なものになる。一日でも二日でも、やばい数値を低く見せておけたら儲けもの。それに、うまくすれば、この思い込みを一日・二日以上、引き延ばすことも可能だ。読売は、23日と24日0時に『1%以上』と繰り返し、その後、この件の報道は一切なし。NHKは、23日 17:55更新の報道で『1%を超える濃度の水素が検出』としたあと、25日、毎日・産経のみならず朝日までもが、水素100%を認めた段階でさえ、『東京電力では水素の濃度が4%以上あり』と100%とは程遠い数値を提出している(なるほど、100%あるのだから、『4%以上』は嘘ではない!)。
結局、読売とNHKは、配管が水素で満たされ、充満しているという情報を出さずじまいでほおかぶりすることができた。それというのも、最初に『1%超・以上』報道があったからだ。

最初に根拠のない変な情報を出しておいて、あとからそれを劇的に訂正するというのは、そのバカらしさ、マヌケな「ドジこしらえ」のおかげで、その後の情報の不正確・不誠実さが目立たなくなる。すべてがナンセンス演劇の枠組みで演出できる。だから、産経などは、こんなわけのわからないことを書いてしまうことができる。

『測定した結果、可燃性ガスの濃度が100%以上の値を示していた。』

濃度『100%以上』って、その空間にいったいどれだけ水素があるのだ。『以上』とつけておけばとりあえず安心という東電側の異常なマヌケぶりに太郎冠者新聞も同調したのか(濃度『100%以上』共同通信にもある)。

水素が出てきたとなると気になるのが水素爆発。大衆のそうした不安を先回りして封じるのが東電=政府広報たる大新聞の役割だ。朝日は、23日の見出しで『爆発の恐れはなし』と断言し、さらに24日、1%だったのが100%だと分かった後も、同じように見出しで『爆発の恐れなし』と念を押している。戦争中もこんなふうに『帝都空襲の恐れなし』なんて繰り返していたんだろうな。

朝日がこんなに念を押すということは、実は『爆発の恐れはある』ということにほかならない。そもそも朝日が『恐れなし』の根拠にしているのは、

『配管や格納容器内には爆発の条件となる酸素はほとんどないと見ており、すぐに爆発する恐れはないとしている。』

ということであって、水素があっても酸素がなければ爆発しない、という『科学』知識がよりどころだ。ところが、産経によれば、

『事故後に水の放射線分解で生じた水素が配管を逆流した可能性があるという。』

水が放射線で分解されて、水素が出たなら、いっしょに酸素も出るのではないか。それともそんなふうに考えるのは、私が『エセ科学』に毒されているからか。

さて、爆発可能性を伝える各紙のレトリックを点検してみよう。『すぐに爆発する恐れはない』(朝日)『突然爆発する可能性は小さい』(産経)『直ちに爆発ない』(毎日)、と3月の爆発時の放射線による健康被害の時のように、煮え切らないが、ようするに爆発が起こることもありうる、という含みがあり、ただそれが『今すぐ』というわけでないでしょう、たぶん…と言い訳しているにすぎない。産経からは、『突然』でなければ爆発の可能性もあると読めるが、いったい『突然でない爆発』とはどんな爆発なのだ。

各紙が必死にぼかし・ごまかそうとしている爆発可能性の点でガードが甘いのがNHKだ。

『配管の切断作業中に水素爆発を起こすおそれがあるとして、近く詳しい水素の濃度を測定することになりました。』
『また濃度の測定のために、配管の弁を開く際にも、中の水素と外の酸素が反応するおそれがあるため、静電気を抑えるなど慎重に作業を進めるとしています。』


『恐れはない』どころか、実は濃度測定それ自体も、直ちに・突然、起こりうる爆発の危険と隣り合わせの作業であったのだ。

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