気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

伏見城の面影21 長楽寺後山墓地

2024年09月09日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 長楽寺仏殿と建礼門院塔を見た後は、上図の文化財収蔵庫に入って国重要文化財の木造時宗祖師像七躯を見学しました。時宗の開祖としても有名な智真(一遍)の立像も安置されています。室町期の応永二十七年(1420)2月に慶派仏師の康秀が製作した旨の銘文があることで知られます。あとの六躯も同じ室町期に相次いで製作されており、おそらくは七躯をセットで順番に造立していったものともられます。

 

 その後、U氏がいう「水戸藩28万4千石の赫奕たる歴々の勇士たちの鎮まる聖域」へ向かいました。長楽寺の裏山に位置して一般的には後山墓地と呼ばれますが、U氏は正式名称の「尊攘苑」のほうで通していました。

 

 5分ほど山道を登ると、上図の「尊攘苑」入口に着きました。道が二手に分かれて下段の墓地と階段の上の墓地へと通じていました。

 

 入口脇に立つ墓地の全体図です。かなりの規模であることが分かります。私は思わずU氏に問いかけました。

「この墓地全体が、水戸藩関連の墓地になってるのか?」
「いや、正確には三割ぐらい、かな。あとの七割ぐらいは寺の檀家や信者の墓だな」

 

 墓地全体図の右下に25人の氏名が列記されています。私は再び問いかけました。

「1番の高城都雀、2番の能勢春臣、ってのも水戸藩のゆかりの人なのかね?」
「いや、違うと思う。聞いた事ないからな・・・。寺の檀家や信者のほうじゃないかな・・・」

 後日調べてみたら、高城都雀(たかぎとじゃく)は江戸期の俳人、能勢春臣(のせはるおみ)は幕末の歌人で古筆刀剣の鑑定も行った文化人、であり、いずれも水戸藩とは関連が無さそうでした。

 

 下段の墓地の中央辺りに、ひときわ大きくて目立つ頼山陽(らいさんよう)の墓碑がありました。江戸期の歴史家および思想家として有名で、主著の「日本外史」は幕末から明治にかけて広く読まれ、尊王倒幕の志士にも影響を与えたとされています。
 U氏によれば、水戸藩でも「日本外史」はかなり知られたようで、水戸光圀が始めた「大日本史」と共に参考書として読まれたそうです。

 

 下段の墓地を一周してから上段の墓地への階段を登りました。その後に上図の石碑を見ました。碑の上部に「尊攘」の太字が刻まれていることから、尊攘碑と呼ばれます。

 

 傍らの説明板。

 

 その左隣には、水戸藩兵留名碑がありました。U氏が姿勢を正して恭しく一礼しましたので、氏の言う「赫奕たる歴々の勇士たち」の顕彰碑なのだろうな、と察してこちらも頭を下げました。

 

 水戸藩兵留名碑の説明板。

 

 上段の墓地の最高所には、上図の徳川余四麿昭訓の墓所がありますが、私たちが訪れた時には墓石の改修工事中で、墓碑が一時撤去されていました。

 U氏は最初、墓石が無くなっているので驚き、動揺し、左右を見回して頭を抱え、「しゃっ、一大事である、昭訓公の墓石が無くなってる、これは何としたことか」と騒いでいましたが、参道手前にある「改修工事につき・・」の貼り紙を見つけて「なんと・・・」と安堵の声を発していました。

 

 徳川余四麿昭訓の墓所の説明板。兄の水戸藩主徳川慶篤を支えて上京し京都御所の守衛や海防の任務に努めましたが、僅か十六歳にて病没、弟の昭武公が跡を継いで最後の水戸藩主となったことが分かります。

 

 U氏と並んで場所に一礼しました。

 

 それから、登ってきた山道を引き返して下り、仏殿の背後へ回りました。来た道とは反対側のルートでしたが、こちらが後山墓地への正規の参拝路であるそうです。

 

 長楽寺仏殿の横から出て南へと回りました。

 

 かくして長楽寺においては、その仏殿が、伝承にいう旧伏見城建築とは無関係で、旧地の正伝寺にて江戸期に新造された建物であったことを確認出来ました。

 旧伏見城からの移築建築と伝える建物は、京都市内だけでもあちこちにありますが、それらが本物なのか違うのかをこれまで誰も考察、検証していません。ネット上でも、伝承をうのみにして列挙している記事が殆どで、建築や遺構をきちんと見学して考証している方は、これまで見かけたことがありません。

 それで二年前、2022年の4月にU氏が「そういう伏見城移築の建物を回って記事にしたらどうかな、単なる伝承の建物は外して、確かな建物だけをリストアップして順に紹介したら面白いんじゃないかな」と言い出し(当時のレポートはこちら)、「君がやってみたらいいじゃないか」と私にけしかけて以来、今回で四度目を数える旧伏見城移築建築巡りが続いているわけですが、いざ回ってみますと、面白くて興味深い学びや気づきが豊富に得られます。京都の歴史散策の新たなステージ、フィールドが広がってゆくのを実感させられます。  (続く)

 

コメント
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