防災ブログ Let's Design with Nature

北風より太陽 ソフトなブログを目指します。

写真は写真でしかない

2009年12月28日 | 災害の記憶と想像力
今日は土石流危険渓流の再調査です。この師走の時期にそれはないだろうと言うとこでしが、気候以上に写真に写る範囲でしか自然を想像することの出来ないで、それで”それらしく”見える写真を撮りなおすという発想で技術者と言っている”技術者”が増えている現状が寒いと思います。

自然現象には多種多様な存在理由があります。崩壊や土石流の有無、最終氷期以降の地形発達史的背景や岩盤の風化、植林の管理状況などがその渓相を醸し出しているのですが、それを一枚の様式に収まるような写真で表すというのは無理があります。だからこそ、私たちはスケッチや調査所見でそれを補うなどするわけです。

確かに写真は事実を客観的に写してはいますが、ただそれだけです。技術者の判断や(写真家であればその陰影や色彩を、自分の伝えたいことを反映させるために、様々な”技術”と情念を注ぐことと思います)ががなければ付加価値はありません。シャッターを押すだけの単純作業でしかありません。

小説と科学的描写 - スマトラ島大津波から5年

2009年12月26日 | 災害の記憶と想像力

http://www.gupi.jp/letter/letter011/letter-011.htm
「海の水がどんどん引いています」とか「大きな波が押し寄せてきます。異常気象です。」などといったナレーションもありました。 海が引くというのは津波の前兆現象です。 戦前の教育を受けた人なら誰でも知っていました。 小學國語讀本で「稲むらの火」を教わっていたからです。 稲むらの火は安政元年11 月5日、紀伊國有田郡廣村を襲った津波の話です。 庄屋の五兵衛(本名濱口儀兵衛)は地震の後「波が沖へ沖へと動いて見る見る海岸には廣い砂原や黒い岩底が現れ」たのを見て「津波がやって來るに違ひない」と気づき、とっさに稲むらを焼いて村人に危急を伝えたため、村人は助かったという実話がもとになっています。 この美談を小泉八雲が”A Living God”という小説に書き、その和訳が国語の教科書に載ったのです(昭和12~22年)。当時は国定教科書ですから国民全員がこれを学びました
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これは、NPO法人地質情報整備・活用機構の岩松先生が寄せられた文章です。この文章には、地学教育の弱体化に対する憂いがあり、知的好奇心と自然をイメージする力が防災への近道であるという主張も読み取れます。

しかし、最近出版された 広瀬弘忠『どんな災害も免れる処方箋』講談社新書
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2726211&x=Bによると、

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津波という災害は、決して綺麗な災害ではない。高速で陸上を流れる海水の層は、破壊された建物や船の残骸、油やゴミ、廃棄物などの人工物と、樹木、岩石、砂などの自然物のミックスであり、渦をまいて流れる水の中では窒息の危険だけではなく、切断や打撲の危険性がある。津波は土石流と同じで液体と固体のアマルガム※なのである。

※Wikipediaでアマルガムをみると、広い意味で混合物を指し、ギリシャ語で「やわらかいかたまり」を意味するとあります。土石流は”お粥状”ということができるので、それよりはゴツイでしょうか
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前者の稲むらの火は小説で国語の教科書でもあるので、後者のようなリアリティはないのですが、科学的描写もしっかりイメージすることも確かに大切です。ただ、初学者がとっつきやすくするためには多少の娯楽性も必要ですので、バランスが難しいところです。


古い空中写真判読の効果

2009年12月22日 | 災害の記憶と想像力
最近砂防の仕事で空中写真判読をする機会が多くなりました。過去の災害による土砂移動実態を洗いざらい調べてみようということです。その際に昭和30年代、40年代の空中写真を判読することも多いのですが、この時期は植生が薄いので微地形がよく見えます。最近は、大縮尺で高解像度でありさえすればよいという傾向がありますが、地形・地質の構造はある程度広域的に把握しながらでないと、なぜのその地形がそこにあるのかを考えるきっかけがつかみにくいものです。

そういった意味では、1970年代のカラー空中写真がダウンロードできるのはありがたいと思います。

地震と耐震の法律

2009年12月21日 | 災害の記憶と想像力

下山先生のブログに「日本建築技術史年表」が掲載されていました。年表といえば、私も雑誌に投稿するための年表を作っておりました。地震と耐震の法律に斜面災害等との対応をまとめて、地盤も耐震化を促すものですが、下山先生の年表の迫力に押されてしまいました。

下山先生の記事には、「技術は突然生まれるものではなく、醸成されるものだ」という認識がないのです。
というフレーズがありますが、地盤はまさに醸成されるものです。どういう過程で醸成されたのかを知ることによって初めてどのように付き合っていけばよいかの考察が始まるのです。単純に定数を与えクリックするだけで得られた答えに対して、あれは想定外、これはイレギュラーと言い訳作りに終始し勝ちな最近の調査業務。。。下山先生の年表もよくかみしめたいと思います。

それにしてもこうしてみると、最近地震が頻発しているのがわかります。また、ゲリラ豪雨や地球温暖化とおいう言葉のなかった時代に豪雨による災害も頻発しています。

そのたびに(そして事後に)法律が後追いで整備されていくわけですが、コンクリートで抑えるにしても、ソフト対策のための調査(調査のための調査というべきですが)、そこに災害史(誌)が振り返られることはありませんでした。記録としての災害がないにしても、地形や地名が災害の歴史を物語っているのですが、市町村合併に代表されるように何のことかわからない名前になってしまいました。即戦力ばかりを求めるよりも人を育てる会社の方が健全であるということを聞いた事がありますが、似ているかもしれません。


亀の瀬地すべり

2009年12月12日 | 災害の記憶と想像力
http://mainichi.jp/kansai/news/20091210ddn012040019000c.html
日本有数の地滑り地帯とされる大阪・奈良府県境の大和川流域(大阪府柏原市)で、明治時代に造られた旧国鉄関西線亀ノ瀬トンネルの一部が原形で見つかった。国土交通省大和川河川事務所と柏原市教委が9日、報道機関に公開した。トンネルは1931~32年の地滑りで崩落したと考えられており、関係者は「残っていたのは奇跡的」と驚いている。

 トンネルは1892年、旧大阪鉄道が建設。地滑りでは、トンネル(長さ約1・5キロ)内に亀裂が生じ、坑門が崩壊した。国鉄はトンネルを閉鎖し、対岸の現行ルートに線路を付け替えた。

 同事務所が昨年11月、地滑り対策の排水トンネルを掘削中に偶然発掘した。長さ39メートル、高さ4・6メートルの馬てい形で、当時主流だったレンガ積み。レールや枕木は撤去されていたが、蒸気機関車の煙によるとみられる煤(すす)が残っていた。レンガにはひび割れもなく、アルファベットの「E」と読める刻印も見つかった。

 同事務所は来年度以降に一般公開の方針。石田成年・同市教委文化財課主査は「トンネルすら押しつぶす地滑りのエネルギーを目の当たりにできる場所としても貴重」としている


土石流とは違うプロセスの岩塊流

2009年11月26日 | 災害の記憶と想像力

今回の現場でよく目にするのは、全面にコケが付着した数mの巨礫が集積している光景です。となりの渡良瀬川流域には、似たような堆積地形があって、地質学的な研究論文も発表されています。

私が学生時代兵庫県の山中でみた麓屑面と呼ばれる堆積地形と似ていると思います。

古峰ヶ原高原では、最終間氷期以前に基盤岩である花崗閃緑岩の深層風化によって、コアストーンやトアが形成された。その後、約5万年~1.4万年の間に、周氷河性のマスムーブメントによって細粒の斜面堆積物が形成され、角礫やコアストーンの一部が斜面上を移動した。この斜面不安定期の末期以降に、緩速度のマスムーブメントによって斜面上の谷沿いを岩塊が移動し、さらにトアからの岩塊の供給やマトリックスの洗い出しの影響も受けながら、岩塊堆積地形が形成された。

瀬戸真之(2004);地理学評論


群発する崩壊を読んでみた

2009年11月25日 | 災害の記憶と想像力
千木良先生の著書ですが、以前勤めていた会社においてきたので改めて購入しました。

群発する崩壊
http://www.d1.dion.ne.jp/~kinmirai/16-Gunpatu-suru-houkai.html

手書きの野帳のスケッチまで掲載されていて、臨場感があります。そして、千木良先生の書籍はあとがきが面白くてためになります。ひとつ引用します。

<比喩的表現>
  ・剛な岩盤の上に砂状のマサが乗っているために摩擦係数が小さく
    ↓
 ・崩壊に対してあたかもすべり台のような役割を果たし

 ・透水係数に著しい異方性があり、斜面内部方向への透水係数の○倍程度と見積もられるために
  ↓
 ・浸透水に対して蓑のような役割を果たし

わかりやすいことは、相手とイメージを共有しやすいことです。読むのも自ずと楽しくなります。

さざれ石の巌となりて

2009年11月23日 | 災害の記憶と想像力
君が代の歌詞のなかに「さざれ石の巌となりて」という部分があります。さざれ石とは、石灰成分の多い山にあ<WBR>るのですが、川の小石<WBR>や砂利に石灰が付いて<WBR>固まり、小石の塊のよ<WBR>うになった石で、これが更に大きくなり<WBR>、巌(いわお=巨大な<WBR>岩)にまで成長し、そ<WBR>れに苔が生える(苔は<WBR>数ヶ月で生えるけど)<WBR>までという意味です。私がいまいる現場にもこのような渓流が沢山あります(そうえいば”沢山”という字が、”沢”と”山”とからなっているのも面白いですね)。このような地質学的タイムスケールも十分に視野にいれると、自ずとどのような防災対策が必要か、不必要か、わかってきます。

過去に学ぶということ

2009年11月11日 | 災害の記憶と想像力

今日11月11日は、昭和46年に川崎生田緑地で行われた斜面崩壊実験事故の日です。この実験は、斜面崩壊の発生機構を解明すべく斜面崩壊に関する総合研究の一環として行なわれたもので、実際に斜面に散水し降雨を再現することで、人工的に斜面崩壊を発生させ、基礎データを収集しようと試みでしたが、崩壊土砂が15人もの犠牲者を出した悲劇です。このあと、2003年に森林総合研究所が実験を行うまで、現地での斜面崩壊実験は見送られることになります。

http://www.ohta-geo.com/siryou23/kabayama.htm
http://www.ffpri.affrc.go.jp/shoho/n34-04/034-4.htm

森林総合研究所はその後、地下水の音を聞く装置を開発し、斜面崩壊のメカニズムに迫っています

地下水の音で土砂崩れを予測、長さ15cmのセンサーで「曝気音」を測定
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20080604/522174/

PCより現実の方が、はるかに精度が高い、実用的な結果が得られます。当たり前ですが、最近このことがわからない人が増えています。


災害伝承情報データベースから

2009年10月10日 | 災害の記憶と想像力
竹やぶの下に家を作ってはいけない
http://www.saigaidensho.soumu.go.jp/saigai/import.2007-03-13.185839-1/

じつにあっさりしてますが、このようなことでもデータベース化してあるところに価値を感じます。地すべりには沢山の言い伝えがありますが、決して”昔話”ではありません。これは根が深くは入り込まないためで、大雨の際には斜面の竹林はそれ全体が滑り落ちるような崩れ方をする例がある。とはWikipesiaからの引用ですが、地すべり調査中におじさんから聞いたところでもあります。

今日も雨のなか地すべりの調査

2009年10月07日 | 災害の記憶と想像力
日本には6つの季節があるといいます。そのうちのひとつが秋雨前線なんでしょうが、なんでまた私が現場に入るときに限って雨なんでしょう。しかも寒いし><

まあ、おかげで生々しい湧水を見る事ができましたが。それにしてもこんなところにおしゃれな家を立てるのはよくありません。確かに太平洋が見えて景色はよいのですが、地すべりによって竹がバキバキと音を立ててるのはあまりいい音ではありません。

防災の日に因んで - 二番煎じですが。。。 -

2009年09月01日 | 災害の記憶と想像力
いま報道では選挙結果一色ですが、”地すべり的大勝利”とかよく使われますよね。地学用語が、、、っと、なんと太田さんと同じ展開を考えていました。

防災の日に因んで 例えば

○「付加帯」・・・掃除をしていない部屋の隅に集まった洗濯物のこと
   私の場合は既に隆起して地すべりを起こしています。

という具合です。二番煎じですが、私もいくつか考えてみましょう。

・内陸地震的 … 目立つ人の隣にいる地味な人が極端な結果を出すこと
・イエローゾーン … 広げすぎたストライクゾーン。あるいは”黄”上の空論。
・本当の地すべり的勝利 … そのうち細分化して縮小?http://www.kankyo-c.com/landslide/ls_life.jpg

佐用町の豪雨と災害廃棄物

2009年08月22日 | 災害の記憶と想像力
麻生総裁が佐用町の被災地の視察に入るとのニュースを読みました。牛山先生のホームページによれば、1976年台風17号以来の災害だったようです。

http://disaster-i.net/disaster/20090809/d-table2.html

今回の災害でクローズアップされたのは、災害廃棄物です。これまで地震や火山による災害廃棄物については、私たちも研究を重ねていたところです。

http://www.kankyo-c.com/waste.html

廃棄物を中長期にわたり放置すると、有害物質や地下水の汚染など、環境地質学的な問題が生じることを指摘したものです。今回の佐用町は水害です。牛山先生のHPの災害履歴をみても、1976年の災害時には床下・床上浸水が多かったのですが、今回の災害は全半壊の家屋が突出しています。さらに、山地荒廃による流木も見過ごせない問題でしょう。

場当たり的復旧のための公共事業という、単純な発想では意味を持たないということです。

余震観測

2009年08月20日 | 災害の記憶と想像力
『内陸地震はなぜ起こるのか』という本の最後の方に、2004年新潟県中越地震と2007年中越沖地震が、時間的にも空間的にも非常に近い間隔で発生しとことに注目されていました。このようなことは、明確なこたえが出ていないというのが現実のようです。1995年兵庫県南部地震以来、不気味に増加する内陸地震、そしてこの間の駿河湾の地震、、来るべきときが近づいているように思います。