ことしもだんだん残りが少なくなってきました。政府は”聖域なき事業仕訳”とやらで、早くも師走の様相ですね。どこまで本質的な議論がなされているのでしょうか。ここでキーワードとなるのは、やはり”エコ”になってくるんだと思います。流行語大賞でも取れそうな感じもしますね。
私が気になっているのは、ECOの後の”LOGY”が忘れられていることです。ECOという言葉は、もともとギリシャ語で”家”を意味するのだそうですが、そうすると「エコ住宅」というのは、”家の住宅”ということになり、妙な語幹になってしまいます。世間の風潮では、”ECO”は緑あふれる雰囲気みたいなファジーさを残し、みなぼんやりとしたイメージで語っていますね。
ECOLOGYは、学問の分野でいえば生態学です。生態系を理解するためには、単に動物や植物の生息数だけじゃなくで、それを支える土壌・大気・水、土壌を生む地質(母岩といいますが、これは生態系を理解するうえでとても意味の深い、やさしい表現だと思います)、大気や水の循環ということを念頭において、相互関係・因果関係を理解しなければなりません。まさしく、これがロジックであり、"環境”を語る上での基本認識となります。
マスコミ報道やそれに煽られたともいえる世論は、”カンキョウ”というよりは”カンジョウ”論になりがちです。LOGYがないと”エコ”が”エゴ”へと変質する過程も止められないのかもしれません。
最近防災科学技術研究所の家屋の耐震実験結果が注目を集めています。ケンプラッツの記事では、実験映像の動画とともに紹介されています。
長期優良木造3階立てが「想定通り」倒壊
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20091030/536517/
これをみると、耐震性能2に該当する家屋が「倒壊」に至っています。いろんなコメントを読んでいると、建物の剛性にこだわりすぎたとか、伝統的な木造建築物の耐震性をもっと見直すべきだという声が多いようです。そのなかで、以下のブログが紹介されていました。
建築をめぐる話・・・・・つくることの原点を考える 下山眞司
http://blog.goo.ne.jp/gooogami
興味深い記事としては、
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日本の建物づくりを支えてきた技術-12 古代の巨大建築と地震
http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/792cba3b7d2c718ef5671822c66625dd
古代の工法の「遊び」の多い「継手・仕口」が、地震の建物に与える影響を逓減させる効果があったのかもしれません。つまり、組物の「斗」「肘木」「斗」・・・と組み合わせてゆく各接点での「遊び」が、力を伝えるときに、伝える大きさ・量を減らしてしまう、のはないでしょうか。「ガタ」の効用です。
建築にかかわる人は、ほんとに《理科系》なのか
http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/dce40811dcf66a31f907506808f66b18
『理』とは「すじみち」のこと、「ものごとをすじみちを通して考えること」が「理科」であり「科学」のはずだ。それは決して、数学や物理の問題が解ける、計算がうまくできる、ということではない。単に計算ができても、それは「理科」「科学」を習得できていることではない。
残念ながら、最近のいわゆる「理科系の人」は、計算はできても「理詰めで考える」のが不得手のようだ。「木造住宅耐震診断士」という「資格」がある。先日、その資格を得た幾人かと話をする機会があった。当然「木造」を理解しているものと思った。しかし違った。理解しているのは、木造建築にかかわる法律だった。「木造に関する法律の理解≠木造の理解」なのは自明ではないか。《法律の規定を充たせば耐震建物になる》と、ほんとに思っているのだろうか。恐ろしい話だ。
私には、「理科系の人」ほど、理科系ではないように見える。
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私は砂防関係(広義で)に関わっていますが、同じようなことを感じることがあります。土石流は直進性がある、流線にそって、、大体30度くらいで氾濫する、、などどいった「マニュアルに書かれているとおりに設定したパソコンのなかの現象」を信じている人が増えてきています。実際に災害として報道される規模の土石流は、段派状に何度も繰り返し(その意味では山津波の方が的確な表現です)発生しますし、先頭巨礫や大きな流木の影響で、まずどちらに行くかわからないし、扇状地という言葉があるように30°に限定されることはない。地形を判読して過去の氾濫範囲を歩いて程度推測するとか、瀬と淵の分布の仕方からどのあたりからの崩壊・堆積土砂が被害をもたらすのか、現場を丹念に調べ歩くことしかありません。
基準書に載っていないことを理由に”想定外”として免責することが簡単ですが、それではかなり行政書士的、文系的な仕事といえるでしょう(それらの仕事の意義がどうということではなく、それを自然科学と思っていることが問題)、もちろん道理にはかないません。
地表・地質踏査では、事前にある程度予習をしておいていても、ああこんなころに安山岩が貫入していたのか、テフラをきっているということはおもっより活動時期が近いなあ、、とか、現場で仮説を修正し、現場に学び、新しい好奇心が沸いてくる、、、そんな経験をすることがあります。
しかし、最近では、ただ淡々と現状を確認する。あまり考えずに写真をとるだけといったことが増えてます。
この間も、同業他社も同じ仕事をする、足並みをそろえるために、スケッチの精度を落としてくれと言われたことがあります。まるで手をつないでゴールする没個性かけっこみたいです。考えるヒントさえつかめない。由々しき自体です。
土木学会で出版された『家族を守る斜面の知識 - あなたの家は大丈夫? - 』が、ネットショップでも販売が開始されましたし、ジュンク堂書店でも販売されておりました。
家族を守る斜面の知識 - あなたの家は大丈夫? -
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0001038003
私はこの本の"売り”は『家族を守る』というところにあると思っています。これまでの斜面関係の本といえば、地形・地質の解説に始まり適して対策工を整理するという流れでした。それは防災は公共事業でやるものであり、土建業界の代表的な分野でありました。
しかし、先日の記事でも書いたように、土木工学は"シビル・エンジニアリング”です。防災に関しは、伝統的に"パブリック・エンジニアリング”という観念が出来上がっていますが、やはり公共事業を受動的に待っていては、”順番待ち”をしている間に被災するかもしれません。そして、”事業の成立”が前提になっているため、必要最小限というわけには行きません。
この本は、家族を主体に置おことによって、必要最小限の投資で防災効果を上げるための知恵、コラム等がつめられており、とても読みやすい内容になっています。そういう意味では、書店の実用書に並んでほしい一冊です。
なにしろ、この充実の内容で、1000円でおつりがきます
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ちなみに、”家族を守る”だけでキーワード検索すると、どんな本があるだろうと思い試してみました。そしたら76件ヒットしました。やはり”実用書”コーナーに多いですね。専門書でもあるので、両方に置かれるようにしたいですし、リスクマネージメントのコーナーにも必要ですね。
例えば、茨城県では「地質観光マップ」と称して、名勝となっている海岸や滝の成因をキャッチーな文章でつづるといった内容です。
正直、これだけでは物足りません。魅力を醸成しているのが”既にある自然”であって、”企業努力”の及ぶものではないからです。単に”客を寄せる”ためのだけに集中しすぎていないでしょうか。そこに能動的な経済活動が伴わないと、”夢”だけで終わってしまいます。観光の亜流であれば、観光のプロに任せればいいわけです。
私は、教材として販売するのはひとつの方法だと思っています。さらには試験にでるとなれば、みな必要だと思うでしょう。
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先日受けた宅建の問題別正解率が発表されました。私にとってちんぷんかんぷんだった、裁判判例の解釈問題の正解率が71%、こんなの中学地理のレベルだと思った地形に関する問題の正解率が65%、、、世間はそんなもんでしょうか。そんなに地理・地学ってみりょくないかなあ、、
また、矢守先生の研究の目玉ひとつに『防災クロスロード』があります。基本的にはYew Noで”成解””最適解”を導いていくゲームです。内閣府のページにも紹介されていました。
災害被害を軽減する国民運動のページ
http://www.bousai.go.jp/km/gst/kth19005.html
火山工学・斜面工学講習会 案内
http://www.jsce.or.jp/journal/kaikoku/m200909/08.shtml
会員の方の申し込み
http://www.jsce.or.jp/event/active/beforeform.asp
非会員の方の申し込み
http://www.jsce.or.jp/event/active/form.pdf
・主 催 土木学会 地盤工学委員会 火山工学研究小委員会、同斜面工学研究小委員会
・共 催 長崎大学安全工学教育センター
・後 援 砂防学会、地盤工学会、日本応用地質学会、日本火山学会、日本災害情報学会、日本災害復興学会、日本自然災害学会、日本地すべり学会、日本地質学会関東支部、砂防・地すべり技術センター、全国治水砂防協会、新・住宅ジャーナル出版事業部等
このうち、私は、地盤工学会、日本応用地質学会、日本地すべり学会に入っており、新・住宅ジャーナル出版事業部では、宅地トラブル解決虎の巻を連載しています。
このところの国民的関心事といえば、”景気災害対策”です。この夏の選挙で議論されたのは、景気の防災対策ばかりで、『防災の日』の9月1日には殆ど話題にあがりませんでした。民主党は公共事業削減、地域分権を強力に推し進めようとしています。まあ、自民党でもこのあたりの大勢は変わらなかったでしょう。
防災に関わる知識、防災のプロの存在を知る、そして、自らも考えるヒントをつかむ。そのためのわかりやすいテキストが手に入る。それを含めて6,000円です。やすいじゃないですか。
http://disaster-i.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-8f57.html
一昔前は,地震の起き方や台風の構造なんかを教えることが「防災教育」だと考えられていました.しかし,最近は,災害が起こった後の助け合い方を教えることが防災教育であるかのような声が強いように感じます.私は,どちらも偏っていると思いますが,最近,前者が軽んじられすぎではないかと思うようになってきました.個人レベルの防災対策のスタートラインは,やはり,自然を知り,危険を知ることだと思います.その上で,どう備えるかは,マニュアル化できることではなくて,個人個人の事情によって話がだいぶ変わってくるものだとおもいます.講演の最後は,次のようにまとめました.
・マニュアル頭から卒業しましょう
・地震「だけ」が災害ではありません
※そうなんです。死者・不明者がいちばん多いのは津波なんです。2004年インドネシアの地震では、日本人観光客が、潮の引きを津波と認識できなかったことが指摘されました。
・避難訓練「だけ」が備えではありません
・まずは予想される災害の把握
土地の歴史は災害の歴史です。ハザードマップは法指定区域図とは違います
・自分はどのような危険に見舞われそうか その上で,自分としての対策
・何が重要かは,人それぞれ違います
・どうなったら自分は困るか? 具体的にイメージ
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具体的にイメージすることは、妄想することではありません。具体的に”描く”ことが大事です。自分の住む大地は、どのような履歴をもっているのかを”見える化”することです。この手作業の教育が最も遅れています。そして、技術者が地域デビューするべきなのです。
http://www.pref.yamagata.jp/ou/norinsuisan/140017/pdf/shimekake/plan0721.pdf
ひとめみて。。。。なんもそこまで。。。。。。。
砂防えん堤工のマークは逆向きだし。。。。。。。
行政の担当部局ごとに見事な縦割り色分け。。。。。。
社内で「自分がここの防災担当者だったら」という仮定の話をしたことがありますが、集落周辺は杭工で力技で止める。その他は、横ボーリングで地下水圧を徐々に低減するほうが、費用対効果にみあうんではないのか、、などど話していたのですが、、、、
集水井は単なる水抜きではなく、水圧低減でなければならないし、渓流の堆積物、植生の状況から考えて、砂防えん堤、床固は数年もすると堆積物や落ち葉が堆積し、ヘドロ化(富栄養化)につながり環境にもよくないことになる、、、、、これらのことは、いかにもバラマキ的な対策案をみていると、考慮に入っているとは思えません。
http://manifesto.shuugi.in/?wicket:interface=:4:1:::
よく検索されるキーワードとして”災害”があがっていたので検索してみると、民主党が『災害と犯罪から国民を守る』というフレーズが1件検索されただけでした。どうもここでいう災害からは”自然災害対策”があまり伝わってきません。そもそも防犯と防災は根本的に違うのですが、100年に1度(かどうかも客観的・科学的に検証されたとも思えませんが)の”景気災害”のインパクトが強すぎて、軽く見られた感じがしてなりません。
例えばこのような地質なら、土質定数がコレくらい、土石流は直進性があり大体30度で横に広がるから、想定氾濫域がどのように広がるか、といったものです。
しかし、私たち現場を歩く技術者にとっては、経験をつむほどに帰納法的な考え方をします。地質学の基本が観察にあるのですから、本来は帰納法的な考えで問題解決に当たるべきなのですが、どうも初期段階の仮説が不十分な演繹法がはやっています。個人差が出るのを嫌う勢力は一定数いるのですが、個性をなくすことは選ばれる理由をなくすことなのですが。、、、
「あまり知られていないが、昨年は台風の直撃がなく、例年と比べて降水量も被害も記録的に少ない年。死者や行方不明者、建物の全半壊などのデータからも、『大した雨が降らない』年だった。(児童ら5人が流された)神戸市の都賀川で起こった事故の衝撃が大きかったために、注目を集めたと言える」
―国が検討会を設置するなど、本格的な対策に乗り出しました。
「都賀川の事故で、安全と思っていた公園で小学生の犠牲者が出るという衝撃性に、焦点が当たったのだろう。事故以来、ゲリラ豪雨は『特殊な自然現象』という認識が生まれたが、本当は『起こり得る当たり前の現象』。外力のせいにして思考停止するのは問題だ。人間側の対策で被害は軽減できる」
「自然現象に目を向ける以前に、いる場所の地形や地質、気候、人口など、土地が持っている性質を知っておく必要がある。この場所でどういう災害が起こり得るのか。土地の脆弱(ぜいじゃく)性を知ることは、あらゆる災害対策の第一歩。過去にどのような被害があったのか。既にある情報を最大限に生かすべき。指定された危険個所やハザードマップなどを確認することが重要だ」
※ただし、指定された危険個所やハザードマップにこそ、地形・地質的背景、土地の成り立ちを充分に踏まえた定性的予測を含めておくべきなんです。
「04年以降の風水害の死者を調べると、用水路や田畑の様子を見に外出して流されるなど、自らの意思で危険な場所に接近して被害に遭う『事故型』が22%以上を占めているのが分かる。大雨警報と土砂災害警戒情報、記録的短時間大雨情報の3情報がセットになると危ない。豪雨のメカニズムを知ることよりも、自分がいる場所の特性をよく理解した上で、災害情報を知る心構えが大切になる」
大野さんの論文は、災害廃棄物の発生形態やその処分方法についての考えをまとめられたもので、大野さんが第一人者です。最近は地震の活動期であり、そこへきて社会インフラの更新時期でもあります。災害廃棄物がもたらすリスクとして、火山灰や崩壊土砂の中などに長期に埋没、放置された災害廃棄物は、複合的汚染の発生源、火災や有害なガス等の発生が懸念されます。しかし、この環境リスクに対する研究についてはあまり前例がありませんでした。
さて、そのほかの論文はというと、災害を受けやすい国土や地震時の宅地盛土の崩壊について述べられているものもありましたが、”どこかで見た”ようなものばかりという印象です。地質調査は、ダム・トンネル・橋梁等の土木構造物や建築基礎の設計のサービス業であるという、”昭和のイメージ”に使っているような気がします。市民のためとかExccellent small(必要最小限)が、時代の趨勢だと思うのですが。
昨日の記事で日本の山は安定傾向にあるということを書いたとたんの大雨、、崩壊も発生したようでちょっと間が悪かったですね。でも崩壊したところは伐採跡地の管理の悪いところだったようなので、やはり昔に比べれば(九州では昭和28年の豪雨災害がつとに有名ですが)雨量のわりに崩壊箇所は少ないでしょう。
それにしてもマスコミ報道では、毎年記録的だの史上最高だの言いますが、こういう豪雨が繰り返されて豊かな水田があり、農業が成り立ち飯が食えるわけです。
くしくも報道ステーションでは、”景気災害”にたとえ”雇用は大雨状態です”と言った後、”九州北部の豪雨は”と切り出しました。今回の豪雨は、自然の営みにしてみれば”いつものこと”で局地的なのですが、”景気災害”は本当に数十年から100年に一度程度のもので世界同時多発という点において、本質的な違いがあります。
”観測史”はとても浅いものです。ひきかえ、土地の成り立ちは長い災害史の繰り返しです。歴史好きの国民性なのに、自然の歴史に興味を抱くムードがないのが過大です。
少し前の論文ですが、2001年の砂防学会誌に東大の太田先生が、表題のような特集記事を寄せていらっしゃいます。その冒頭を引用しますと、
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水田とともに、背景の”荒廃した”里山がかつて日本の原風景であったことを知る人は少ない。豪雨があれば”無数”の崩壊地が発生したことも、次第に過去のものになろうとしている。油断はできないが、先日の関東地方の豪雨は800ミリをゆうに超えていたのに、それほど多くの崩壊地が発生したとは聞いていない。
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なぜこんなことを今頃述べたかといいますと、明日から久しぶりに災害履歴のある、言いかえれば防災技術者にとっては興味深い流域に現地調査に行くからです。日本の渓流には、戦後間もないころ山が荒れていたころに斜面から落ちてきた巨石が、そのままそこにとどまってコケがむし安定していることは多いのですが、最近はそんな歴史を知ってか知らずか”ワンクリック”で防災計画が立てられてしまっています。
調査箇所がとても多いので、清冽な水と地質との関係や緑化と土砂流出との関係などのテーマをどれだけ楽しんで見れるかわかりませんが、久しぶりにわくわくしています。