玄文講

日記

浅草ウ●コビル騒動記

2004-11-05 15:45:52 | バカな話
祖父が突然空を指差して言った。

「おい、ウ●コだ」
 
突然のことに私は驚き祖父の顔を見た。ボ、、、ボケた?
しかし、その顔はいたってまじめであった。
 
「本当だ。ウン●だ」
 
「ああ。ウ●コだ」
 
「どう見ても、ウン●よねぇ」

同行していた兄が、父が、母が口々にウ●コ、ウン●と言い出した。
そして彼等の視線の先に目をやると、成る程、そこには夕闇の中で黄金色に輝く巨大なウ●コが黒光りする台座の上から私達を見下ろしていた。それが私がアサヒビール本社ビルを初めて見た時のことであった。

私は浅草という江戸、明治の文化が色濃く残り、上野、東京という繁華街に近い地理的条件に恵まれた場所で育った。ここに住んでいる人々は多かれ少なかれこの町の風土に愛着を持っていた。この町の持つ、色を香りを味を、川を寺を路地裏を、その全てを大事に思っていた。

そんな時にである。突如として目の前に突き付けられた巨大ウ●コビルという現実。私達はこの大いなる非日常をいかにして自分達の日常とこの町の風土とに一致させるかで慌てふためくこととなったのである。

「しかし何でウン●なんだ」

そのビルの屋上に何かを造り出したのは知っていた。

それはバブル経済が終わった頃のことである。アサヒビールが吾妻橋のたもとに二棟のビルを建て始めた。そのうちの一つはジョッキに注がれたビールをイメージしたものであり、黄金色に反射する鏡で覆われ、最上階にはビールのあの白い泡を連想させるようなビルの外縁より一回り大きい白い幾何学的なテラスが造られていた。そしてその隣には、そのビールのビルの半分以下の高さの台形をひっくり返したような黒いビルが建てられていた。そして、ある日彼等はその屋上に何かを造り始めたのである。
 
あの物体を…
 
「いや、あれはフランスのデザイナー、フィリップ・スタルクがデザインしたもので流れる炎をイメージしているらしいよ」
 
「知るか!どう見てもアレはウン●だろうが。アレがウ●コに見えないって言うならそのフランス人はよっぽどのとんとんちきだ」

既に「ウン●ビル」という名称で呼ばれ出していたそのビルは、私達の間でしきりと話題になった。そしてその話題で問題となることは決まって
 
「何故ウ●コなのか?」
 
「あのウ●コを一体どうすればいいのか?あのウン●をどう受け止めるべきなのか?」

であった。私達はかつてこれ程真剣にウ●コという言葉を使い、ウン●の存在について議論したことはなかった。

 その「ウン●ビル」は雷門のある通りからもよく見える。日本中から来るお年寄りが、修学旅行生が、日本情緒を求めてきた外国人がその謎の物体を目の当たりにさせられた。
彼等にしても浅草に来てよもや巨大ウ●コに遭遇するなどとは夢にも思っていなかったことだろう。

白人の老夫婦がウ●コを指差して大笑いしあい、坊主頭の十人くらいの学生の団体がウン●を見上げて立ち尽くす。そういう光景を私は何度も目撃した。

何しろウ●コである。しかも日本情緒溢れるはずの浅草において巨大で黄金色のウン●である。
あまりにもシュール。あまりにもファンタジックな現実である。

しかし私達がどれだけ驚き、笑い、怒り、叫び、慌てふためこうともその巨大なウ●コは台座の上に静かに鎮座ましまし、決してそこにあることを止めようとはしなかった。

悠然

自分自身の存在の特異さ、そしてその特異さに対して騒然とする下界。しかしそんなことを意にも介さず、ただそこにあり続けるだけのその姿には「悠然」という言葉が最もふさわしかった。

それがどんなに非日常的なものであったとしても、それが現実であるなら、それは日常となる。

私達は次第にウ●コの存在に慣れていった。むしろそこにそれがあるのが当たり前にさえなりつつあった。誰もあの「ウ●コビル」のことを話題にしなくなったし、そのビルの前を通り過ぎる度に少し立ち止まりそのウン●を見上げるということもなくなった。

「何故ウ●コなのか?」

「あのウン●をどうすればいいのか?」

それらの疑問に対する答えは何一つ与えられてはいない。しかしもはや私達にとってそんなことはどうでもいいことだった。何故ならそれらはもうそこにあるのだから。ウ●コと浅草は完全に融合し、浅草の風景の一部となったのだから。ウン●は浅草となり、浅草はウ●コとなったのである。


時折 そのビルを初めて目にする人が驚き、そしてからかいながら

「何でウン●があるんだよ」

と聞いてくる度に、私達はそのビルの存在を改めて思い出し、はにかみながらこう答えるのである。

「ロンドンにはビックベン、浅草には大便(Bigベン)があるってことだよ」

 …おあとがよろしいようで

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