今日、知人と話していて「来週は選挙がある」と言われ、私は「何の選挙?」と答えてバカにされた。
選挙に興味がなかったので、投票日なんてまるで覚えていなかったのである。
もちろん私は投票にも行かないつもりである。
このように選挙に行かないと言うと、「民主主義を軽んじているのか!」と怒る政治意識の高い人がよくいる。
しかし選挙権は「権利」であって「義務」ではない。私には権利を放棄する権利がある。
たしか民主主義というのは「人権」を信仰する思想であり、「自分の権利を守り、かつ他人の権利を尊重する」思想であると私は理解している。
ということは、選挙に行かないことを怒る人は他人の権利を尊重しない人間であり、民主主義を愚弄する大悪党ということになるのではなかろうか。
そんなに選挙が好きならば「民主主義的な手続き」を踏んだ上で選挙を「権利」ではなく「国民の義務」に法制化すればいいのだ。
実際、国によっては選挙は「権利」ではなく「義務」であり、選挙に行かない者は罰金を課される。選挙が国民の義務ならば私も投票に行くだろう。
また明治から昭和にかけての普通選挙制度が確立されるまでの歴史を語り、「選挙権の尊さ」を説く人もいる。
しかし過去に価値があったからといって現在も価値があるとは限らない。
今回の選挙に価値があるとは、私にはどうしても思えないのである。
それにこんな話もある。
全員が投票しなければいけないという発想がそもそも古い。
これはギリシャの直接民主制を引きずった考えである。
統計力学の教えるところによれば、選挙のサンプルは有権者の1%(任意抽出)でも十分正確な結果が得られる。
現在の投票率は50%前後もあり、多すぎるくらいである。テレビの視聴率なんか数百万世帯の動向をわずか数百世帯のサンプルで測定しているのである。
「みんなにあげるな選挙権」より引用
だから選挙も各地域、各世代、各職種から数世帯を選んで投票させれば十分である。それならば管理も楽であるし、先のアメリカ大統領選のような不毛な混乱も起きずにすむ。
前にこの話を同僚にしたところ、「それでは国民は納得しないでしょう。そんな選挙で選ばれた政治家は支持されませんよ。選挙は全員を参加させることに意義があります」と言われたことがある。
確かにそうだろうと思う。
国民全員が参加できた選挙で選ばれたということが政治家の権利の正当性を保証しているのだろう。
しかし私はそんな保証には興味がない。
「自分の1票の軽さ」と「選挙に行くことで要する時間と費用」を比較すれば、家でゴロゴロしているほうが私には有意義なことなのである。
**********
もちろん私は選挙に行く人をバカにしてはいない。
しかし選挙に行かないと怒る人には、少しヘキエキしている。
そんな私には「みんなにあげるな選挙権」での以下の発言は愉快であった。
「自分の一票で政治を変えるために投票する」と本気で思っている人がいたら、失礼だがよほど確率計算のできない人であろう。
「この一票で政治が変わる」と考えるのは一種の信仰か妄想である。
選挙とは脳への名前刷りこみの結果でしかない。その程度の感覚で投票する者がシタリ顔で「政治に無関心はよくない」とか「棄権するのは無責任」などとのたまっている。
選挙制度最大の問題点は、棄権することよりも棄権しないことにある。みんなが投票するなんてまちがいなのだ。
政治に関心もない、主張もない、政策も知らない人が投票に行くのは無責任な行為だとハッキリ言おうではないか(ボクなんかそんな無責任なことは一度もしたことないぞ)。選挙はよく考え、よくわかった者だけが投票すればいいのである。
**********
全員参加する選挙制度だけが民主主義を正しく機能させるものなのだろうか?と私は思う。
山形浩生氏は選挙権の売買制度を(半ば冗談、意外と本気で?)提言している。「市場制民主主義――選挙権を売ろう!」
とても面白いので、是非御一読を。
選挙に興味がなかったので、投票日なんてまるで覚えていなかったのである。
もちろん私は投票にも行かないつもりである。
このように選挙に行かないと言うと、「民主主義を軽んじているのか!」と怒る政治意識の高い人がよくいる。
しかし選挙権は「権利」であって「義務」ではない。私には権利を放棄する権利がある。
たしか民主主義というのは「人権」を信仰する思想であり、「自分の権利を守り、かつ他人の権利を尊重する」思想であると私は理解している。
ということは、選挙に行かないことを怒る人は他人の権利を尊重しない人間であり、民主主義を愚弄する大悪党ということになるのではなかろうか。
そんなに選挙が好きならば「民主主義的な手続き」を踏んだ上で選挙を「権利」ではなく「国民の義務」に法制化すればいいのだ。
実際、国によっては選挙は「権利」ではなく「義務」であり、選挙に行かない者は罰金を課される。選挙が国民の義務ならば私も投票に行くだろう。
また明治から昭和にかけての普通選挙制度が確立されるまでの歴史を語り、「選挙権の尊さ」を説く人もいる。
しかし過去に価値があったからといって現在も価値があるとは限らない。
今回の選挙に価値があるとは、私にはどうしても思えないのである。
それにこんな話もある。
全員が投票しなければいけないという発想がそもそも古い。
これはギリシャの直接民主制を引きずった考えである。
統計力学の教えるところによれば、選挙のサンプルは有権者の1%(任意抽出)でも十分正確な結果が得られる。
現在の投票率は50%前後もあり、多すぎるくらいである。テレビの視聴率なんか数百万世帯の動向をわずか数百世帯のサンプルで測定しているのである。
「みんなにあげるな選挙権」より引用
だから選挙も各地域、各世代、各職種から数世帯を選んで投票させれば十分である。それならば管理も楽であるし、先のアメリカ大統領選のような不毛な混乱も起きずにすむ。
前にこの話を同僚にしたところ、「それでは国民は納得しないでしょう。そんな選挙で選ばれた政治家は支持されませんよ。選挙は全員を参加させることに意義があります」と言われたことがある。
確かにそうだろうと思う。
国民全員が参加できた選挙で選ばれたということが政治家の権利の正当性を保証しているのだろう。
しかし私はそんな保証には興味がない。
「自分の1票の軽さ」と「選挙に行くことで要する時間と費用」を比較すれば、家でゴロゴロしているほうが私には有意義なことなのである。
**********
もちろん私は選挙に行く人をバカにしてはいない。
しかし選挙に行かないと怒る人には、少しヘキエキしている。
そんな私には「みんなにあげるな選挙権」での以下の発言は愉快であった。
「自分の一票で政治を変えるために投票する」と本気で思っている人がいたら、失礼だがよほど確率計算のできない人であろう。
「この一票で政治が変わる」と考えるのは一種の信仰か妄想である。
選挙とは脳への名前刷りこみの結果でしかない。その程度の感覚で投票する者がシタリ顔で「政治に無関心はよくない」とか「棄権するのは無責任」などとのたまっている。
選挙制度最大の問題点は、棄権することよりも棄権しないことにある。みんなが投票するなんてまちがいなのだ。
政治に関心もない、主張もない、政策も知らない人が投票に行くのは無責任な行為だとハッキリ言おうではないか(ボクなんかそんな無責任なことは一度もしたことないぞ)。選挙はよく考え、よくわかった者だけが投票すればいいのである。
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全員参加する選挙制度だけが民主主義を正しく機能させるものなのだろうか?と私は思う。
山形浩生氏は選挙権の売買制度を(半ば冗談、意外と本気で?)提言している。「市場制民主主義――選挙権を売ろう!」
とても面白いので、是非御一読を。
よほど私の「理屈」が気に障ったとみえます。
言葉で勝てないときは「うっとおしい」とみもふたもない感情論で切り捨てる。
口喧嘩の基本ですな。
******
それと私は文中ではっきりと
「選挙に興味がなかったので、投票日なんてまるで覚えていなかったのである。」
と言って、興味がないから行かないだけだと明言しております。
それを今更自分が発見したかのように威張られても困ります。
批判をするなら、せめて批判相手の記事くらいは読んでいただきたいものですが、
貴方様にそのような「高尚」な要求をするのはやめておきましょう。
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ついでに言っておけば私は自分の行動の正当化のために理屈をこねているわけではないのですよ。
(そもそも選挙に行かないのが悪いことだと少しも思っていないので、理屈をこねる必要がないのです。)
純粋に選挙制度の有効性を疑問に思い、そのことを共に考えてもらいたいから理屈をこねている。のです。
私が選挙に行かないという話は、この壮大なテーマの枕に過ぎないのですよ。
それがまるで枕の方がメインで、主題がそのための言い訳でしかないと思われるとは、、、。
私は自分の表現力のなさを反省するとともに、貴方様の読解力のなさを嘆くものであります。
よく言えばシンプルというか(苦笑)
ところで、今回の総選挙は9月11日、日本の面子叩き潰すには絶好だよな。
「或る貝だ」とか、頑張りそう。
秩序だの治安だのはクソどうでもいいんだが、株価は選挙の結果をもろに反映するからな。
特攻をかけている私は、心配でケツが二つに割れそうだよ。
素で忘れていました。
あちこちのブログで投票結果に触れていたので始めて思い出しました。
自民党が大勝したとか。株価も安泰で良かったですよね、ホント。
でもいまのぼくはだいうちゅうのしんぴとかせかいのひみつのことであたまがいっぱいでそんなことでうでもいいのです。
>選挙行かないと「民主主義を軽んじているのか!」と怒る政治意識の高い人がよくいる
こんな人居るんですか?宗教者っぽくて嫌ですね(笑
でも選挙に行かないという事は現在の政府を、現在の政治の在り方でいいと言う事ですよね。
いまの日本は赤字国債を馬鹿みたいに発行しまくって借金塗れです、その額なんと700兆
その700兆を返済できないので政府は増税案を出しました、そのせいで1世帯の非消費支出は60万ほど増えます
ですが少子高齢化が進む以上これからは社会福祉などの負担も増え我々の非消費支出は増え生活が苦しくなるでしょう
そんな日本でいいんでしょうかね?
まぁ貴方が年収億を越すリッチマンなら何も問題無いんでしょうけど・・・
ですが私の記事は2つの理由で「全員(私)が選挙に行かなくても」、「政治の在り方を変えられる」ということを言っているのです。
1つは現在の選挙制度が統計を利用すれば全員が参加する必要はないということです。
つまり私を含めて全ての人間が選挙に行かなくても十分に民意を反映できるということが重要です。
もう1つは経済、政治にうとい人間が問題の本質を理解しないまま選挙に行けば、分かりやすい善悪の対立構造(小泉VS利権集団)で人気投票をしてしまい、問題の解決を遅らせかねないことです。
つまり思慮の浅い人間が無用な投票活動で現場を混乱させることで、かえって政治改革が遅れてしまうかもしれないということです。
ですから自分に知恵がないと思うならば、静かに見守ることこそが「政治の在り方を変える」のに役立つということです。
乱暴に言えば「何も知らないやつは邪魔だから黙って見てろ」ということです。
そして私は何も知らないから黙って見ていたのです。
(2)次に「そんな日本でいいんでしょうかね?」というご発言は、今回の選挙が日本の将来を変えるということを前提にしておられます。
ですが私は赤字財政の改善はデフレを克服することでしか改善されないと考えています。
今回の選挙の争点である、郵政民営化とそれに伴う構造改革、緊縮財政は問題の解決には特に貢献しないと思っているのです。
ですから私にとっては、こんな日本でいいから選挙に行かないのではなく、こんな日本を変えることのできない選挙だから興味がなかったのです。
もちろんこれは私の考えが間違っていて、今回の選挙や郵政改革こそが日本の未来を明るくする(もしくは暗くする)のかもしれません。
そして、それならば選挙へ行き、小泉(もしくは反小泉)に投票することこそが国の将来を憂れう人の取るべき行為であります。
私の仲間の何人かもそういう考えで選挙に行きました。
ですが私はそうは思えないから、何もしなかったのです。現状でいいとは決して思ってはいないのですよ。
なにせ私も社会の底辺を這いつくばっている人間なのですから。
bewaadさんの『文科系人間から見た「小泉改革の本質」』
http://bewaad.com/20050903.html#p03
で解説されていることと同じもの(と言うか受け売り)です。
消費を増やす方向に仕向けないと事態は改善されない。
そのためにはインフレ期待を起こすことが大事で、構造改革は二の次だというのが私の考えです。
もっとも私はブログをいつも拝見させていただいているので、久しぶりという感じはないのですが、、、
ご商売の方が大変なことになられて、その後 多忙な日々を過ごされていることと思います。
最近、母がスイスにいる姉との電話代が高くついて困ると申しておりましたので、プリペイドカードを薦めてみたいと思っています。
そのときはpolestar様のサイトで購入するように言うつもりです。
私にできることは何もありませんが、polestar様のご商売がうまくいくことを願っています。
それと私も虚実皮膜の間にあるpolestar様の文章を好ましく思っております。
(「虚実皮膜」http://kotonoha.main.jp/2004/06/27chikamatsu.html)