昨日の夜、古くなった茄子を三本、炒めて食べたのがいけなかったらしい。
午前三時頃から手足が痺れはじめ、胃が痙攣して何度も吐き、悪寒と下痢がもう七時間も続いている。
口に入れたものは身体がことごとく受け付けず、飲んだ薬も排水溝へと消えた。
私は嘔吐の疲労感と寝不足の中で、悲しみについて考えている。
そして、悲しいことは何もないという結論を何度も出している。
割れた洗濯バサミは悲しくない。
2001年の10月になったままのカレンダーは悲しくない。
壊れて音の鳴らなくなった目覚まし時計は悲しくない。
悲しいことは何もない。
私の古い友人は自殺した。
理由もなく、たんたんと死んだ。
哀れみは侮蔑だから、私は彼に同情しなかった。
彼は朝一番の電車に飛び込んだのだから、JRからの損害賠償請求はかなりの額になるはずだ。もちろん、通常はJRは遺族側にその代金を請求したりはしない。
もし彼の人生の総決算にその賠償金を含めるとしたら、赤字になってしまう。
彼の人生は大赤字だ。どうでもいいことである。
生きていれば楽しいことはいくらでもあっただろうに。
しかし死にたくて死んだ人間を哀れむのは失礼なことだ。
だから、悲しいことは何もない。
壁に北原白秋の詩の書かれた自作のポスターが貼ってある。
そらに真赤な雲のいろ。
玻璃(はり)に真赤な酒のいろ。
なんでこの身が悲しかろ。
空に真っ赤な雲の色。
悲しいことは何もない。
時おり誤解と無知に満ちた理論もどきを思いつき、世界を変える大発見をしたと吹聴する人を見ることがある。
彼らに共通しているのは「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」である。何者かになるはずの自分といまだに何者でもない自分との落差に苛立ち、悩み、おびえ、自分の人生に対して「何かやり残したことがある」という焦りを抱いている。
だから彼らは一刻も早く「偉大なる発見をし、世間で名を成さなくてはいけない」。そのために彼らは声を大にして叫ぶ。誰も聞く者がない、価値のない言葉を。
私の親戚にも「偉大なる発見」をしたおじさんがいる。
おじさんは働きながら夜間大学に行き、家業を継ぎながら、納屋に自作の実験室を作り仕事の傍らに研究をしてきた人だ。
おじさんの人生は、まるで私の人生を鏡に映したかのように似ている。
おじさんも私に自分と似たものを感じたのかもしれない。彼は私にだけは「偉大な発明」を事細かに教えてくれた。
ある日おじさんとレストランに行った時は、彼は出てきた食事に手をつけることも忘れて私に語り続けた。おじさんは私にそっと耳打ちをしたものである。
「これからこの理論の特許を取るからな。だからこの理論のことは誰にも言ってはいけないよ」
ああ、おじさん。クォークの存在もスピンも知らない、ボソンとフェルミオンの区別も出来ないあなたの理論が陽の目を見る日は永遠に来ませんよ。
「ノーベル賞をもらうまで長生きをしないとな」
おじさんはそう言いながら、曲がった背骨をさすり、びっこをひきながら帰っていった。
小さな後ろ姿だった。誰にも理解されない人間の苦悩を見たような気がして、私は寂しくなった。
ところで、現在のおじさんの心に苦悩はない。何故ならおじさんは病気で植物人間になってしまったからだ。
寝たきりになったおじさんを、彼の奥さんが、息子たちが熱心に看病している。優しい人たちだ。ただ残念なことは、看病疲れした奥さんがおじさんよりも早くお亡くなりになってしまったことだ。優しさは無常の苗床(なえどこ)である。
しかし、そんな優しい家族に囲まれたおじさんは幸せではないか。
彼には何者かになる必要なんてものがあったのだろうか?誰からか理解される必要があったのだろうか?
私は思う。個性的になることに何の価値があるのだろうかと。理解されなくては生きていけないのだろうかと。家族に愛されているならば、それだけで死ぬまで生きていけないのだろうか。
だが彼らが何をして、どんな人生を望むかは彼らの自由である。他人である私の心配なんて余計なお世話でしかないだろう。
傍から彼らの様子を見て寂しがっている私が悪いのだ。
私が彼らやおじさんの人生から学んだ教訓は一つである。
仕事や自然科学とは何者かになるためにあるわけではない。自分が何者かであることを示すために研究をするなんて、まるで出来の悪い冗談のようだ。
言葉は耳を傾けなくては聞こえてはこない。自分ばかりに集中していては外に耳を傾けることなんて出来はしない。
悲しいことは何もありはしないのである。
胃の中に鉛が入っているような気分である。
吐いても、吐いても、この鉛だけが外に出ていかない。
私は脇腹の上からこの鉛をさすりつつ、悲しみについて何度も考えている。
そして、何度も、何度も、悲しいことは何もないという結論を出している。
午前三時頃から手足が痺れはじめ、胃が痙攣して何度も吐き、悪寒と下痢がもう七時間も続いている。
口に入れたものは身体がことごとく受け付けず、飲んだ薬も排水溝へと消えた。
私は嘔吐の疲労感と寝不足の中で、悲しみについて考えている。
そして、悲しいことは何もないという結論を何度も出している。
割れた洗濯バサミは悲しくない。
2001年の10月になったままのカレンダーは悲しくない。
壊れて音の鳴らなくなった目覚まし時計は悲しくない。
悲しいことは何もない。
私の古い友人は自殺した。
理由もなく、たんたんと死んだ。
哀れみは侮蔑だから、私は彼に同情しなかった。
彼は朝一番の電車に飛び込んだのだから、JRからの損害賠償請求はかなりの額になるはずだ。もちろん、通常はJRは遺族側にその代金を請求したりはしない。
もし彼の人生の総決算にその賠償金を含めるとしたら、赤字になってしまう。
彼の人生は大赤字だ。どうでもいいことである。
生きていれば楽しいことはいくらでもあっただろうに。
しかし死にたくて死んだ人間を哀れむのは失礼なことだ。
だから、悲しいことは何もない。
壁に北原白秋の詩の書かれた自作のポスターが貼ってある。
そらに真赤な雲のいろ。
玻璃(はり)に真赤な酒のいろ。
なんでこの身が悲しかろ。
空に真っ赤な雲の色。
悲しいことは何もない。
時おり誤解と無知に満ちた理論もどきを思いつき、世界を変える大発見をしたと吹聴する人を見ることがある。
彼らに共通しているのは「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」である。何者かになるはずの自分といまだに何者でもない自分との落差に苛立ち、悩み、おびえ、自分の人生に対して「何かやり残したことがある」という焦りを抱いている。
だから彼らは一刻も早く「偉大なる発見をし、世間で名を成さなくてはいけない」。そのために彼らは声を大にして叫ぶ。誰も聞く者がない、価値のない言葉を。
私の親戚にも「偉大なる発見」をしたおじさんがいる。
おじさんは働きながら夜間大学に行き、家業を継ぎながら、納屋に自作の実験室を作り仕事の傍らに研究をしてきた人だ。
おじさんの人生は、まるで私の人生を鏡に映したかのように似ている。
おじさんも私に自分と似たものを感じたのかもしれない。彼は私にだけは「偉大な発明」を事細かに教えてくれた。
ある日おじさんとレストランに行った時は、彼は出てきた食事に手をつけることも忘れて私に語り続けた。おじさんは私にそっと耳打ちをしたものである。
「これからこの理論の特許を取るからな。だからこの理論のことは誰にも言ってはいけないよ」
ああ、おじさん。クォークの存在もスピンも知らない、ボソンとフェルミオンの区別も出来ないあなたの理論が陽の目を見る日は永遠に来ませんよ。
「ノーベル賞をもらうまで長生きをしないとな」
おじさんはそう言いながら、曲がった背骨をさすり、びっこをひきながら帰っていった。
小さな後ろ姿だった。誰にも理解されない人間の苦悩を見たような気がして、私は寂しくなった。
ところで、現在のおじさんの心に苦悩はない。何故ならおじさんは病気で植物人間になってしまったからだ。
寝たきりになったおじさんを、彼の奥さんが、息子たちが熱心に看病している。優しい人たちだ。ただ残念なことは、看病疲れした奥さんがおじさんよりも早くお亡くなりになってしまったことだ。優しさは無常の苗床(なえどこ)である。
しかし、そんな優しい家族に囲まれたおじさんは幸せではないか。
彼には何者かになる必要なんてものがあったのだろうか?誰からか理解される必要があったのだろうか?
私は思う。個性的になることに何の価値があるのだろうかと。理解されなくては生きていけないのだろうかと。家族に愛されているならば、それだけで死ぬまで生きていけないのだろうか。
だが彼らが何をして、どんな人生を望むかは彼らの自由である。他人である私の心配なんて余計なお世話でしかないだろう。
傍から彼らの様子を見て寂しがっている私が悪いのだ。
私が彼らやおじさんの人生から学んだ教訓は一つである。
仕事や自然科学とは何者かになるためにあるわけではない。自分が何者かであることを示すために研究をするなんて、まるで出来の悪い冗談のようだ。
言葉は耳を傾けなくては聞こえてはこない。自分ばかりに集中していては外に耳を傾けることなんて出来はしない。
悲しいことは何もありはしないのである。
胃の中に鉛が入っているような気分である。
吐いても、吐いても、この鉛だけが外に出ていかない。
私は脇腹の上からこの鉛をさすりつつ、悲しみについて何度も考えている。
そして、何度も、何度も、悲しいことは何もないという結論を出している。