蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

舊書三題

2005年06月15日 05時24分54秒 | 古書
先週末の土曜日、久方ぶりで東京古書会館の古書即売展にいってきた。ここ何週間も覗いていなかったので何か変わったことにでもなっているかと思ったが、そんなことありはしない。何十年も変わらない光景があるばかりだった。新築なってからの東京古書会館の即売展は地下のホールで開かれている。最近やっとその雰囲気に慣れてきた。今回は新興古書展で、和本や書道関係の書籍が多かったが普通の書籍も出ていた。西早稲田の五十嵐書店なども出品していたけれど、この店は新宿古書展にも参加しているので比較的よく目にする。いつも良い本を存外安い値段で出しているように思う。その五十嵐書店出品の四冊を買ってしまった。
一冊目が『綴字逆順排列語構成による大言海分類語彙』という、ちょっと長めな題名の本。この辞書の特徴は、たとえば名詞、漢語の部で「ホウ」を引くと『ホウ 封 タイホウ 大封 ショクホウ 食封 ソホウ 素封 イッポウ 一封』(注1)といった具合に語頭音を五十音順に排列するのではなくて複合語の被修飾語の語頭音で排列してある。だからこの辞書を使えば韻を踏んだような文章が簡単に作れる(はずだ)などと愚にもつかぬことを考えたりしたが、じつは古書展をみたあと神保町の悠久堂書店でこの辞書の新品同断のものを、わたしが買った値段より五百円高く売っていた。この五百円の違いをどのように評価すべきか。古書でほんの少し汚れがあるにしても、五百円はその瑕疵を補って余りあるとみるべきか。あるいは五百円多く支出しても新刊本を買ったほうがよかったのか。じつはこの辞書、定価一万二千円なのだがわたしはこれを二千円で購入し、悠久堂書店では二千五百円で売っていた。
つぎが『典拠検索名歌辭典』。この本そのものは随分と前の刊行なのだけれども、何回も再刊されているので新しい版で持っている人も多いと思う。今回わたしが購入したのは昭和十八年の刊行で千部発行と奥書にある。更に配給元は国策会社の日本出版配給株式會社とくれば、太平洋戦争に突入して二年目の経済統制社会がまざまざと目に浮かぶ。紙質も悪く装丁も質素なものだけれども、内容はいいですねえ。たとえば落語にもある「ちはやふる神代も聞かず立田川からくれなゐに水くくるとは」ってのを引いてみると、古今集から始まって古来風躰抄、浄瑠璃、均庭雑録(均は竹冠で作る:筆者注)、筆唄まで二十四の出典を挙げている(注2)。わたしのような国文学門外漢にはこのようなアンチョコみたいな辞書は有難い。これでまた何処かで偉そうに知ったかぶりをすることができるってわけだ。
最後が勁草書房刊行ルカーチの『美学』全四巻のうち一巻と二巻の二冊。このハンガリーのマルクス主義思想家は実生活と芸術との決定的区別を三つ上げそのその三番目が非常に重要な意味を持っているとして「日常生活での人間は異質の諸傾向の渦中に立っているが、他方[芸術においては]、芸術作品の(芸術種の、芸術の)同質的媒材は人間に影響を及ぼして体験をただちに一定方向へさながら水を流すように導き、一定の注意力の視野や思う存分精力を消費できる場を体験に配当してやるのである。したがって人間は暫定的に日常生活内の全体的人間から人間全体へ変貌するのであって、この人間全体の能動的能力と受動的能力はこのような集中によって、同質的媒材に媒介されて、あらゆる体験をこの河床へ流入させることによって、またそのなかで体験を改造することによって、すでにはじめから一定方向へ操作されるのあでる」(注3)と書いている。ルカーチの原文が難しいのかもしれないけれども、訳文自体からして拙いのは目に見えている。簡単に言ってしまえば、人間ってのは常日頃は政治経済そして宗教などにかかわってその時々いろいろな態度を取るけれども、芸術という体験は人間を同質的感動のなかに流し込み、そのとき人間は一時的に社会存在としての有り様からその人本来の有り様へと変貌する、てなことになるのだと思う。訳文が拙いといいながら、では何故そんな本を買うんだって叱られそうだけれども、他によい訳がないのでこれで我慢してるんです。

(注1)『綴字逆順排列語構成による大言海分類語彙』296頁 風間力三編 冨山房 昭和54年6月20日初版
(注2)『典拠検索名歌辭典』328頁 中村薫編著 明治書院 昭和18年8月20日三版
(注3)『美学Ⅱ』710-711頁 G.ルカーチ 木幡順三訳 勁草書房 1970年5月30日第1刷