蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

横須賀暮色

2005年06月02日 10時09分07秒 | 彷徉
横須賀の街というとむかし海軍いま米軍ってなわけで、地元に住んでいない人たちには海の印象だけがやたらと強いようだけれども、じつはここ横須賀は山がちの地なのだ。地図を見ているだけではイメージするのがむずかしいかもしれないけれども、不入斗方面に向かって歩いて行くとこのことが実感できる。したがってこの街で自転車に乗るということは、無謀というか物好きというか、あるいは挑戦者として賞賛すべきか。要すれば地元以外の人々には、横須賀の街は京急横須賀中央駅周辺の繁華街とアメリカ海軍横須賀基地ですべてだと思われている。
わたしは京急駅前から16号線にいたる中央道、三崎街道というらしいがそこの商店街が好きだ。なんだかこじんまりしていて良い。とくに三笠ビルなんぞがよい。三階建ての細長いところがレトロでかつキッチュではないか。そしてさいか屋。聞くところによるとここの屋上で新人だった山口百恵がわずかなお客の前でキャンペーンをしたそうだ。道の両側に植えられた欅の葉が盛大に繁るころなど、歩道のベンチに腰掛けて通行人をいつまで眺めていても、けっしてあきることがないだろう。とはいうもののそのような至福のときがわたしに与えられたことはない。横須賀中央まで出てきても街を歩くことはほとんどなく、京急に飛び乗って横浜か東京に向かってしまうのだから。若松町の商店街を歩くのは、そう数ヶ月に一度あるかないか。
初夏のころ、晴れた日には三笠公園で汐風にあたったり、ちょっと気分が乗ったら連絡船で猿島に渡って弁当を食べるのもよい。このまえ家族のものといっしょにいってみたが、かつての日本軍要塞跡とて、わたしでさえちょっとした探検気分に浸ることができた。もし自分が子供の頃このような場所で遊ぶことができていたなら、どれほどに興奮したことだろうと想像したものだ。
観光客にはどぶ板通りなどが横須賀らしさの典型として、足を運ぶところなのだろうが、どうもわたしには興味がない。そもそもアメリカという国にあまり興味がないし、それゆえアメリカ的雰囲気にもあまり触れたくない。もっというならベースのアメリカ人もあまり見たくない。断っておくけれども、これは政治的な意味をまったく含みません。念のため。ただしアメリカの小説、スタインベックとか、ちょっと時代が下ってヘミングウェイ、ドス・パソス、フィッツジェラルド、もっと下って南部文学のウィリアム・スタイロンなども好きだし、トルーマン・カポーティなんかは涙が出るほど好きだっていうのだからいっていることと大いに矛盾している。
じつは今、この文章を珈琲屋のテーブルで書いている。パソコンなんぞは使わない、手帳にボールペンがわたしの筆記道具。これでは何のためにブログがあるのか判らないってか。でもこれもよろしいんじゃないか。わたしは車内や珈琲屋でパソコンを操作してるやつらの気が知れない。なぜもっとのんびりしないのだろうかと思う。
さて、今日は家族のものが外出してしまったのでわたし一人の晩餐会だ。酒屋でちょっと高めのワインとそして惣菜屋で肴でも誂えて、駅前からバスにのって帰宅することにしよう。