蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

望眼欲穿的電話

2005年06月07日 05時50分33秒 | 太古の記憶
かなり大きな大衆酒場、いまでは居酒屋という。たとえば「庄屋」「つぼ八」「魚民」のような店と思えばよろしい。一階にはテーブル席と奥に座敷、二階は大広間の座敷という造り。多くの仲居が酒や料理を盆に載せて広い廊下を往来している。わたしとM社長、それにK君の三人でその店に入り一階のテーブル席についた。
いろいろと注文したがいたって庶民的雰囲気の店だったので、三名でしっかり飲み食いしても支払いが一万円を越すことはないだろうと、わたしはかなり楽観的見通しを立てながら銚子を空けていった。やがてM社長とK君は飲み物にも食べ物にもあきて、先に帰るといい出した。わたしは料理を食べていたにもかかわらず空腹感にさいなまれていた。そのため鰻重を二人前注文していたのだが、いつまでたってもそれはできてこなかった。鰻重を食べるためにはかれら二人といっしょに店を出ることはできない。しかたなくわたしだけ店に残り鰻重を食べることにした。
M社長とK君が出ていってからしばらくして二人前の鰻重が運ばれてきた。早速食べようと二つの重箱のふたを開けて驚いた。中にはほんの少しのご飯と消しゴムほどにもちいさな蒲焼の破片が二つ三つが入っているだけだったからだ。当然ながらわたしはそれをほんの数分もかからず食べ終えてしまい、空腹が満たされぬままレジに向かった。ところがレジまで来てわたしは先に帰った二人が勘定を済ませたかどうか確認していなかったことに気づいた。さっきわたしたちのテーブルに料理を運んできた仲居が近くにいたので尋ねてみると、どうも払ってはいかなかったらしいことがわかった。これは困った。わたしの財布には一万円しか持ち合わせがなかったのだ。恐る恐るレジの女性にいったいいくらになるのか聞いてみると、なんと四万円を超えているではないか。自宅に電話して金を持ってきてもらうことも考えたが、しかし時刻が遅すぎた。すでに午後九時をまわっている。そんな時刻に自宅に四万円もあるのだろうか。昼間ならばATMが使えるが、この時刻には全てのATMが停止しているはずなのだ。わたしは途方に暮れて店内を徒にうろついていたが、だれもわたしのことなど気に留めはしなかった。
とことん困り果てたとき、わたしは昔の商家の帳場のような構えのなかにいる女性、あたかも女王のごとくその店に君臨しているその女性が、ちょうどかかってきた電話にでているのを眼にした。「え、なに、***、***ね」と彼女は聞き返した後、「***さんっていますかあ」と叫ぶではないか。わたしはすぐさま飛んでいって電話に出た。電話はM社長からだった。彼は自分たちの飲食代はせいぜい二千四百円程度だと思っていたと呑気にいったので、わたしはつい「あれだけ飲み食いして二千四百円で済むはずがないじゃないですか」と怒鳴ってしまった。「とにかく助けてください」と社長に訴えていると、それまでわたしの隣で電話していたK大学の学生らしき男が、わたしの使用している電話機のフックをガチャガチャといじりだした。その電話機は一台で二つの受話器が接続されているというきわめて珍しい代物だった。おかげでM社長との回線は途絶えてしまった。
わたしは再びM社長から電話のかかってくることに一縷の望みをかけつつ、しかし二度とかかってはこないだろうと知りながら、それでも電話の前に立ち続けていた。