蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

我愛欧羅巴影片(二)

2005年06月13日 06時44分37秒 | 昔の映画
年に一度か二度、観たくなる映画がある。「ローマの休日」と「わが青春のマリアンヌ」の二本。「ローマの休日」は有名だけれども「わが青春のマリアンヌ」は、今では知ってる人は知っているといった程度の作品になってしまった。それでもウェッブサイトやブログなんかにはけっこう取り上げられていたりして未だに根強い人気のあることがわかる。それにしても1955年製作のこの作品がなぜこれほどまで人を引き付けるのだろう。観れば判るが、答えはいたって簡単で要すれば満たされぬ願望の充足とでもいったらよいのだろうか。そりゃあそうでしょう、一日数時間の授業がある他はなにをしていても良い、鬱蒼とした森の中を遊びまわったり、作曲したり、詩を創ったり、あるいは古典文学の読書三昧、アウトドアスポーツは特に奨励されているらしい。唯一厳格に守られねばならない規則が食事の時刻に遅刻しないことってんだから、少なくともわたしにしてみればこれは天国以上の場所だ。家庭環境に恵まれぬといっても、こんな豪勢な寄宿学校に入学させるだけの財力がある家庭ではないか。両親が離婚しようが愛情をかけてくれなかろうが、そんなことはなんのその、できることなら用務係のゴッドファーザーみたいにこのドイツの山の中の城のような寄宿学校で一生過ごしたいものだ。
わたしがこの映画を初めて観たのはたしかフランスバージョンだった。だから何となく柔らかい雰囲気だったことを憶えている。バンサン(ドイツバージョンではビンセント)を演じたのが、これは後になって調べたのだけれどもピエール・ヴァネック(Pierre Vaneck)という俳優だった。金髪の美青年って感じかな。ところでいま「フランスバージョン」「ドイツバージョン」と書いたが、「フランス語バージョン」「ドイツ語バージョン」でないことに注目願いたい。よくヨーロッパの映画では各国語のバージョンを作成する。ドイツ映画だったら、英語版とかフランス版とかね。なぜそんなことをするのかというと、字幕にした場合たとえばドイツ映画をオランダでオランダ語字幕をつけて上映するとドイツ語とオランダ語が非常に似ているため、観ているお客が混乱してしまうのだそうだ。だから各国語バージョンを作製するわけだけれども、しかしこのとき俳優までは変わらない。同じ俳優が各国語で演じることになる。外国語のできない俳優ならば吹替えで外国語バージョンを作成する。しかしヨーロッパの俳優は概して数ヶ国語に堪能だから、けっこう吹替えなしで出来上がってしまう。で、この「わが青春のマリアンヌ」なのだが、主人公ビンセントや狂言回し的存在のマンフレッドを演じている俳優がフランスバージョンではそれぞれピエール・ヴァネック、ジル・ヴィダルであるのに対してドイツバージョンではホルスト・ブーフホルツ、ウド・ヴィオフとなっている。ちなみにヒロインのマリアンヌ役のマリアンヌ・ホルトと恋敵的な美少女リイズ役のイサベル・ピアは両バージョンとも同じ。つまりフランスバージョンとドイツバージョンでは別の俳優が演じている。だから単に言葉だけ替えてあるというのではない。
さて昨今のウェッブサイトやブログではフランスバージョンへの言及が圧倒的に多いけれども、これはどうしたことだろう。ドイツバージョンは観られないということなのか。いやそんなことはない、ポリドールからVHSでドイツバージョンが販売されている。わたしもこれを手に入れて観てみたのだが、これがいいんですねえ。主人公ビンセントを演じているホルスト・ブーフホルツ(「荒野の七人」にでてたな)がどうもアリアン民族的ではない、いかにもアルゼンチンのロザリオ(ヨーロッパのドイツ人から見たらド田舎)から遥々やってきたって感じの青年なんですね。落ち着き払ったマンフレッドと対称であるからこそますます神秘的に見えてくる。
"Ich höre deine Stimme..."ハイリゲンシュタットの森に響くマンフレッドの台詞がまた聞きたくなった。