蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

新的舊書舗開市

2005年06月14日 04時56分01秒 | 本屋古本屋
近ごろ神保町や駿河台に新しい古書店が店開きしている。
概してビジュアル物を扱う店が多いように思う。叢文閣や崇文荘にせまろうとする店ではないようだ。新しく古書店が増えるのはわたしとしてはとても楽しいかぎりなのだが、しかしこれではなんともさびしい。
そりゃあ古本屋だって商売だから食っていくためには商いが栄えなければならない。いきおい早く捌けるものを商うのはわかる。それならばビジュアル系の雄である松村書店に張り合う店があってもよさそうなものだが、どうもそこまでレベルは高くないようだ。彼らの店に並ぶ商品がどうしても際物に見えるのは、わたしが素人だからだろうか。しかも店に個性が感じられない。これはある意味際物商品以上に問題だと思う。どの店も古書店というよりは古本屋といったほうがよく、これじゃあブック・オフとどこが違うんだといいたくなる。それともこれらの新規古書店の主人はそもそも和洋古典籍を扱える力がないのだろうか。としたらこれは大問題。和洋古典籍の知識もなく、雑誌、漫画やアイドル写真集にだけ詳しい古書店ばかり乱立したところで神保町が栄えているなどとは到底いえなではないか。わたしはなにも雑誌、漫画、アイドル写真集を古書店が扱うべきではない、と主張するものではない。そうではなくて和洋古典籍を専門に扱う新規古書店の出現を切に望んでいるだけなのだ。一誠堂や南洋堂、東陽堂などで修行していないからなのだろうか。どうもそういうことでもないみたいだ。
もっとも新規開店の古書店ってのはなかなか店売りがむずかしいようで、出久根達郎のエッセイにはそのあたりのことが自分の体験談として面白く描写されている。余談になるが出久根のエッセイは読ませるけれども、小説はどうも面白くない。どこがと聞かれると答えに困るのだけれども、なんというかどうも作り物めいているといったらよいだろうか。小説なのだから作り物であるのはあたりまえだが、その「作り物」加減が過剰なのだ。だから読んでいるほうが鼻白んでくる。
閑話休題(ってわたしも古いね)、もとに戻って、要すればバラエティに富んだいろいろな店があってほしいということ。なにも難しいことをいっているわけではない。よく捌けるからって、高円寺ルック通りに並ぶ若者向け古着屋みたいに、どの店この店同じ傾向の商品を置いたりしてたらつまらないでしょ。ここでわたしのきわめて個人的な嗜好にしたがって、新規出店する古書店のジャンルを上げるとすれば、まず「国語学・古典・漢籍」「中央ヨーロッパ言語」「数学」「哲学・思想史」はあたりまえとして、「神道・古代信仰」「西洋エゾテリズム」「神智学」「占星術」「骨相学」「タロット」・・・。だめだ、だんだん怪しげになってきた。ちょっと熱があるみたいなので、このへんで止しにしておこう。