蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

自卑惑

2005年06月09日 06時20分55秒 | 古書
ちょっとした調べものがあったので『支那學藝大辭彙』の頁をめくっていたら、『倭片假名反切義解』という項目に出会った。この本はなんでも藤原長親の撰で「五十音圖の傳來竝びに五十音圖にて反切をなすこと、及び片假名平假名の字原等を説けり」(注1)というものだそうだが、さいごに「國語學書目解題五〇三頁を見よ」と記されていた。
「引け目」という言葉は普段良く使われる。ではこの言葉の由来はと調べてみたが不思議なことに大言海にも言泉にも大日本辭林にも出ていない。大日本國語辭典には項目はあるものの現在使われている意味は出ていない。「穀類、液體などの引渡しの際に、量目を減少すること。又、その量目」(注2)なのだそうだがこれでは意味がまったく異なる。日本国語大辞典には「ひけ-め【引目】《名詞》②自分が他人より劣っているような感じ。肩身の狭い思い。気おくれすること。劣等感」(注3)とある。どうも「引け目」を肩身の狭い思いなどとする用例は近代になってからのようだ。確証はないけれどそんな気がする。ところでいまここで話題としたいのは「引け目」の語源解明ということではない。『國語學書目解題』のことなのだ。
『支那學藝大辭彙』にこの書名を見て、わたしはほんの少々たじろぎそして「引け目」を感じたのである。この本をいつごろ購入したのか、蔵書管理に使用していたワープロが故障して記録を出力できなくなってしまったので今では判らない。多分二十年以上前だったと思う。当時はアルコールを文字通り浴びるように飲んでいたが、ちょうど日曜日の朝ワインを飲みながらある本を読んでいたとき、あやまってグラスをひっくり返してしまった。そして運悪く机の下に置かれていたのがこの『國語學書目解題』だった。あわてて取り上げすぐに手近にあったタオルで拭ったものの、小口と地の角部分を汚してしまった。本文を見るのにはなんの支障もないのだが、この東京帝國大學蔵版明治三十五年四月廿五日発行の大切な本を安物ワインで汚してしまったことは取り返しのつかないことであり、それ以来わたしはこの『國語學書目解題』に引け目を感じているのである。
たかが本一冊になにほどのことだ、と呆れ返るかもしれないが、書痴にとっては本を汚すということは万死に値するほどの許されざる大失態なのであります。原状回復はもはや不可能であり、よごした張本人であるわたしは永久にその責任を追及され続けなくてはならない。時効などといった都合のよい制度は書痴の世界には存在しない。ここでわたしの不手際をこの本に詫びる意味で「國語學書目解題五〇三頁」から一部分を引用してここに載せることにする。
「やまと かたかな はんせつ ぎげ 倭片假名反切義解一巻 藤原長親撰 (群書類従第四百九十五巻に収む) この書は五十音圖の傳來竝に、五十音圖にて反切をなすこと、及び片假名平假名の字原等を説けるなり、その説によれば天平勝寶中、吉備眞備公我國に通用する假字四十五音に、同音のイイエウヲ五字を加へて五十音圖をつくり、後に空海ワ行のヲをオに、ヤ行のイをヰに改めたりと」(注4)

(注1)『支那學藝大辭彙』1279頁 近藤杢 京都印書館 昭和20年6月5日再版
(注2)『修訂大日本國語辭典』第四巻 961頁 上田万年 松井簡治 冨山房 昭和16年2月28日修訂版
(注3)『日本国語大辞典』第十六巻 656頁 日本大辞典刊行会 小学館 昭和50年7月1日 第1版第1刷
(注4)『國語學書目解題』502~503頁 東京帝國大學蔵版 明治35年4月25日発行