蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

對書斎評價

2005年06月01日 05時22分27秒 | 彷徉
「この室の第一に備ふべき條件は静安といふことである。書斎は住家の中でもなるべく閑静な場所を選び、東或は東南・南等に向け、方形に近い室形に作るのがよい」(注1)。
これは昭和三年に冨山房より刊行された日本家庭大百科事彙「書斎」の項目からの引用だが、これからも判るとおり、書斎が労働の場というよりは休息の場であるとの認識が、近代まで継承されていた。したがって書斎は本来他人様に公開するものではない。それが単なる装飾的なありようを超えて自分自身の延長、精神的肉体的延長であるならばなおさらである。
文筆家の書斎がときたま雑誌などで公開される。わたしの印象に残っている書斎は松本清張、三島由紀夫、澁澤龍彦のもの。ところで概して作家の書斎に並ぶ書籍は脈絡がない。まあこれはある意味いたし方のないことかもしれない。しかし最近の作家の書斎のなんと魅力のない、味気ないことだろう。書架に並ぶのがハウツー物やコミックときては見る気もしない。出版社としては売れればそれでよいのだから、作家がどんな本を読んでいようが知ったことではないのだろうが、せっかく作家センセイになったのだから、少しは体裁ってものを繕ったらよいではないか。小中学生の勉強部屋みたような書斎など麗々しく公表などしてほしくはないものだ。しかしこれはもしかしてわたしの僻みなのかも知れない。そもそも作家に書籍が必要だという必然性はない。一冊の本も読まなくたって文章は書ける(はずだ)。だから彼らの蔵書についてなんだかんだと難癖をつけるのは、つけるほうに理があるわけではない。
松本清張、三島由紀夫、澁澤龍彦の三名にしてからが、これはまったくわたしの好みにすぎない。三島由紀夫の書斎はいかにも小説家の部屋といった感じ。書籍のジャンルは雑然としているようで、しかしある種の統一と律儀さを感じさせてくれる。おそらく本人はこの中で武人でもボディービルダーでも、そして盾の会主宰者でもない本来の姿をさらけ出していたにちがいない。だから執筆中は他人を入れなかったのである。これはわかるような気がする。(注2)
松本清張の書斎。くわえタバコで原稿に向かっている写真がある。そして神保町の一誠堂書店の棚と見紛うようなおびただしい蔵書。しかし例えば史学雑誌のクロス装バックナンバーを本当にあれだけ揃える必要があったのか。なんだか気張りすぎているような、どことなく過剰感がただよっている。アカデミズムへの反発はえてして憧れの屈折した表現であることが多い。清張作品に学者を扱った作品で読ませるものが多いのも、貧乏で上級学校への進学を諦めざるをえなかった自分自信の少年期への補償だったのかもしれない。(注3)
サドといえば澁澤、澁澤といえばサド。あまりにサドのイメージが強すぎて、なんだか近寄りがたい孤高の評論家といった感じの澁澤龍彦だが、このうこのような人に限って、その日常はけっこう面白いのではないかと思う。しかし没後公開された北鎌倉自宅書斎の蔵書からは勉強熱心な姿がありありと窺える。どうして窺えるかというと書架に余計なものが置かれていないからだ。余計なものがあるということは本を出し入れしていない証拠のようなもの。(注4)

(注1)『日本家庭大百科事彙』第二巻1946頁 冨山房 昭和3年12月13日
(注2)『三島由紀夫の家 普及版』115頁~138頁 美術出版社 2000年2月25日第1刷
(注3)『作家の顔』4頁~5頁 文藝春秋 平成元年7月1日
(注4)『澁澤龍彦をもとめて』9頁~35頁 「季刊みづゑ」編集部 美術出版社 1994年6月10日