鳩山通り 2010-10-18 20:43:21 | Weblog 秋の軽井沢に行きました。 紅葉はまだです。 旧軽好きな私は駅から散策。 ハロウィンよりサンタクロースが先に出てる(笑) ココは鳩山通り。 SPはいないようです。 金賢姫の時は通行止めです。 バリケードが2重になってる~。
伊達の先陣 2010-10-16 18:01:44 | Weblog 全ては主君のため 独眼龍と共に 片倉小十郎参上! 刺激を受けてTシャツを買いました。 やっぱり、鬼ソッコー着てみたい。 オレも片倉隊です(笑) 白石駅の前にある小十郎プラザは狭いけど歴女が一杯。 早く入りたいよ~。 城内には山形から応援に来ていた愛の武将隊がいました。 愛と義を貫く武士 いざ出陣! 最上と兼続がいないな・・。 前田慶次か? もうちょっとイケ面が良かったナ。
白石の市章 2010-10-15 21:06:20 | Weblog 釣鐘です。 これは片倉小十郎重綱の姉が、片倉の名が世に鳴り響くように・・・と紋章にしました。 白石の商店街を散歩したらココにも。 片倉小十郎の名が響き渡りました。
前立て 2010-10-14 22:11:54 | Weblog 朱色のお札が重長です。(2代目) オヤジ殿は黒で書かれてます。 違いが難しい~。 也は白石宗実でござる。 右で切りつける時に、兜が邪魔にならないようになってます。 伊達政宗の三日月と同じだよ。 トンボは後退が出来ない。 つまり、前進あるのみ! 毛虫の兜もバック出来ないから、前進あるのみ。 常に背水の陣だ。 西軍の裏総大将 石田三成だ~! ファンから写真撮らせて~に応えている。 弁当食べてる余裕が無いね。
片倉小十郎 2010-10-14 18:43:55 | Weblog 歴史ミステリーは・・・。 大坂冬の陣で和平となった家康は、公約以外の堀も埋めてしまいました。(嘘つきです) 真田丸が邪魔だったみたいです。 落城前夜、幸村は敵将片倉小十郎重長(2代目)を智勇兼備と見込んで、子女を託しました。 (政宗だと殺されちゃうから?) 重長は預かった5女お梅と幼い子女(阿菖蒲・おかね・大八)を白石城の二の丸で密かに養育しました。 のちに、お梅は重長の後妻になり、阿菖蒲は田村定広の妻に、おかねは早死にしました。 大八は片倉四郎兵衛守信と名乗り、片倉家家臣から伊達藩士に取り立てられました。 そして真田姓に戻しています。 仙台の真田氏は幸村の子孫みたいです。 伊達政宗は、妻の実家のお墓に幸村の慰霊碑をよく許可したよな~。 重長も忠義に厚く恐れ入りました。 片倉の家臣から伊達藩士、そして名前まで。 なかなか、出来ないよな~。
大坂夏の陣 2010-10-13 18:12:14 | Weblog 元和元年(1615)、大坂夏の陣- 伊達勢は道明寺口に集結し、5月6日、片山に陣した片倉隊は、攻め寄った大坂方の後藤又兵衛勢を迎え撃って戦い、加勢の薄田隼人正の首を掲げ、後藤又兵衛を鉄砲で討ち取り、ついで真田隊と大激戦となった。 この日、重長をはじめとする片倉隊は、90を超える兜首を揚げ、翌7日も大坂方と対戦し60の首級を揚げる。この武功により、重長自身、鬼小十郎の名を馳せ、天下に片倉隊、伊達勢日本一の評価を受けることとなった。 大阪城はかくて落城した。 この決戦の裏側に隠されたもうひとつの物語・・・ 落城の前日、重長の陣所に大坂方真田隊より一通の矢文が射込まれた。 その内容は・・・。 大坂夏の陣、感動秘話、いまここに・・・。
歴女たち 2010-10-12 20:34:49 | Weblog 可愛い歴女です。 エキストラではありません。 フォトコンテストに応募したのかな? 10名がMAXなのに、それ以上いました。 コスプレファンかな? 決まりすぎて怖かったです。 でも逆ナンされたら、ついて行きます(笑)
伊達武将隊 2010-10-12 20:19:20 | Weblog いざ!参らん!! 400年の時空を超えて、いま仙台の地に舞い降りる。 でも白石城に出張してました。 伊達男の美学は? こだわり、生き様が凝縮された伊達文化の魅力、そして伊達の魂を今、再び全国に 伝えるべく立ち上がった。
サインはどーしよ・・・? 2010-10-11 22:58:43 | Weblog 大河ドラマに申請するって? 嬉しいけど、ファンは困るな~。 真田村の存在からファンでしたが、メジャーになったら砥石城とか猿飛佐助の 修行場とか知られちゃうジャン。 みんなの幸村より、オレだけの幸村であって欲しいナ~。 サインしないでスルーです。