峠の語り屋

FLAT OUT!全開~!

お艶伝説(淀殿)

2011-06-25 07:59:53 | Weblog
元景寺に行って見て下さい。

パンフレットを貰いましたが、マジで打ち掛けと駕籠の一部(扉)が残っています。
お墓には織田木瓜の家紋があります(石塔)
何故だ?
織田の血を大事にしているのか?

本堂には五七の桐の家紋があります。
秀吉の正室だった証?
謎です。


連れて来たとはいえ、淀殿とは言えずにいました。
情報が洩れて家康の耳に入るのを恐れたと思います。
そこで、お艶と名前を変えたようです。

なぜ?
妖艶の色気だから?
秋元もチャレンジャーだな~(笑)


伝説を確認するために敷島公園に行きました。
場所はボート乗り場付近です。

ありました!!
一緒にいた前橋在住のリスナーに聞いたところ、小さい時からあるから気づかなかったとか・・・。
鈍感?(笑)

岩は護岸工事で邪魔になって持って来たのかナ?
よく分らないけど、大きな岩があったので撮影しておきました。


信じるか信じないかはアナタ次第です。


学生時代の友人は、伝説が嘘だったり、無くなってたりしたらどーすンだ?
歴史のロマンが無くなるからやめろ~っていいます。
400年近くたっても平成の時代に伝わるってことは、それだけでも歴史好きには嬉しいです。

正直、確認するときは怖いです。
アンタ何言ってンの~?って言われると思いましたから・・・(笑)

淀殿の伝説

2011-06-23 20:26:44 | Weblog
NHK大河ドラマに登場している江の姉、茶々の話です。
秀吉の正室になり、淀殿となってからの話です。

大坂夏の陣で豊臣秀頼と淀殿は自刃したというが、死体が発見されなかった。
秀頼の妻(千姫)は家康の孫である。
千姫は落城前に脱出させた。
千姫が脱出できたなら、秀頼と淀殿も脱出が可能であると推測できる。

大坂夏の陣で家康側の秋元氏の元に助命嘆願をした淀殿。
家康に隠れて駕籠に乗せて、総社城(群馬県)に連れ帰ったという。


母親のお市様が絶世の美女だけに、淀も美女だったとか・・・。
その魅力に負けて関係を迫ったら、岩の上から利根川に身を投げたという。


その証拠として、淀殿のお墓と打ち掛け(着物)と駕籠が残っているというが
信じるか信じないかはアナタ次第です(笑)

上杉家廟所

2011-06-22 19:36:34 | Weblog
上杉謙信が甲冑を着てミイラになっているって・・・。
ホントかよ?


中央は謙信のお墓です。



5代米沢藩主は吉良上野介の実子です。
赤穂浪士で有名ですが、米沢の民にとっては不名誉の事実。
今では赤穂浪士はテロだった・・・・と米沢の人は言います。
歴史って見方を変えると、すげーな?(笑)


右側は奇数の藩主。
左側は偶数の藩主。
屋根が三角と平があるけど、土葬と火葬の違いです。

財政難になってからは、彫刻が入ってなかったり、扉が安物だったりしてます。

前田慶次 400回忌

2011-06-07 23:34:58 | Weblog
慶次から年賀状が来たので、400回忌の供養祭の会場である米沢の堂森善光寺に行きました。

花の慶次を読んで行ったので、テンションが高かった私です。
熱すぎる男たちの友情に涙が止まらない
なぜこの男たちは、こんなにカッコいいんだ
運命に導かれて、愛の将と傾奇者が禁断の遭遇。

義風堂々を読んでも、男の友情に涙する。
漫画で月見する山の頂上に行けなかった!
ロープがあったけど皆が上に上がると危険だからかな?
残念!

慶次ファンは傾奇者Tシャツで来ている人が多かった。
そんな中で、私は愛のTシャツを着てました。
「アイツ、間違ったのかな?」って視線が痛かった(笑)

実は、私は慶次の友として馳せ参じました。


茶道で飲む時のお茶を振舞っていたので頂きました。
周りは、「ありがとうゴザイマス!」って言ってましたが、私は「手前、頂戴致します」ってなりきってました(笑)


尾島の東照宮でのお茶会に参加した経験が生きました。
まさか、こんなタイミングで使うとは・・・