峠の語り屋

FLAT OUT!全開~!

前立て

2010-10-14 22:11:54 | Weblog
朱色のお札が重長です。(2代目)


オヤジ殿は黒で書かれてます。
違いが難しい~。


也は白石宗実でござる。
右で切りつける時に、兜が邪魔にならないようになってます。
伊達政宗の三日月と同じだよ。


トンボは後退が出来ない。
つまり、前進あるのみ!
毛虫の兜もバック出来ないから、前進あるのみ。
常に背水の陣だ。

西軍の裏総大将 石田三成だ~!
ファンから写真撮らせて~に応えている。
弁当食べてる余裕が無いね。



片倉小十郎

2010-10-14 18:43:55 | Weblog
歴史ミステリーは・・・。
大坂冬の陣で和平となった家康は、公約以外の堀も埋めてしまいました。(嘘つきです)
真田丸が邪魔だったみたいです。

落城前夜、幸村は敵将片倉小十郎重長(2代目)を智勇兼備と見込んで、子女を託しました。
(政宗だと殺されちゃうから?)
重長は預かった5女お梅と幼い子女(阿菖蒲・おかね・大八)を白石城の二の丸で密かに養育しました。

のちに、お梅は重長の後妻になり、阿菖蒲は田村定広の妻に、おかねは早死にしました。
大八は片倉四郎兵衛守信と名乗り、片倉家家臣から伊達藩士に取り立てられました。
そして真田姓に戻しています。

仙台の真田氏は幸村の子孫みたいです。

伊達政宗は、妻の実家のお墓に幸村の慰霊碑をよく許可したよな~。
重長も忠義に厚く恐れ入りました。
片倉の家臣から伊達藩士、そして名前まで。
なかなか、出来ないよな~。