ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「平成史」佐藤優・片山杜秀 その12

2019-03-23 06:46:28 | 


さてさてこの「平成史」も今回で終わりです。といっても平成自体が終わったわけじゃないから、終わった時点で何か書きたくなるのかもしれません。
佐藤優氏、片山杜秀氏による対談は「日本型社会主義から脱皮できるか」という項で終わっていますが、内容がなんともやるせないものになっています。佐藤氏曰く「早朝に警備員を配置する図書館がある。リタイアした60代の男性同士で小競り合いを起こすケースがあるからなんです。だらが一番最初に日経新聞を読むかでケンカになる。これも競争社会がもたらした深刻な影響なのではないかと思います」
実は私の夫が言ってたことがありまして。地元の図書館の男性トイレに「使用後は綺麗にしてください」という張り紙がでかでかと貼られていて「そんなに書かないと綺麗に使用できないのかとあきれた」と。
競争社会、というより新聞を奪い合いうことも含めて他人を思いやらず自分のことしか考えきれない、ということなのではないかと思うのです。後に使用する人のことを思えば綺麗にする、自分が新聞を読みたいように人も読みたいのだからお互い譲り合う、そういう気持ちがあればケンカになどならないはずですよね。これは綺麗ごと、というよりも当たり前にできることだと思うのですが。

最後にも少子化の話があったのですが、これも前に書きましたが皆が思いやりをもっていて母子や父子に優しくできればもっと子供を生みやすくそして育てやすくなると思うのですが、連日ネットで書き込まれるような意地の悪いこと(電車の中にベビーカーを入れることや泣き声に怒る)を読んでいるととてもこの日本で出産育児ができると思えません。
「子供は国の宝」という言葉がありましたが、この言葉も現在の日本では何の意味も持っていないどころか反発する人が多いのかもしれません。
昨日も記事に書きましたが現在の日本では夫婦二人で子供を育てるのは不満と苦悩が多すぎるように思えます。子供を生むのは二人の男女(少なくとも今は)ですが育てるのはもっと多数の人間であってもいいはずです。
特に少子化してしまってるのですから多人数で一人の子供を育てていけばかなり余裕も出て幸せになれるのではないかと思うのです。

最後の言葉は佐藤氏の「恵まれてはいたが幸福感はない。そして平成を生きた私たちが大変なツケを次の世代に背負わせてしまた。私たちはそれを自覚しなければなりません」で終わっています。

昨日こんな報道を見ました。


「幸福度」日本は58位に後退 「自由度」「寛大さ」評価低く

国連による数値化なのだそうで報道は様々にされていますから、それを読み比べるのも面白いでしょう。
NHKニュースでは
「健康に生きられる年数が2位だったのに対し、▽社会的支援が50位、
▽社会の自由度が64位、
▽他者への寛大さが92位と低迷しています。」
ということから幸福度が58位に後退していると判断したようですね。


他の報道では「これは自覚での幸福度だから謙虚な日本人は他人に遠慮したのだ」とか「宗教によるものだ」とかいささか弁解じみた解釈が書かれているようですが実感として日本人の幸福度は確かに2014年度の46位から58位になるほど後退もしくは失墜していると私は感じてしまうのです。
ネットでのやり取りはぎすぎすとして思いやりがなく可愛い動物たちの写真だけに癒しを求めていると見えてなりません。
「いや違う。日本人は幸福だ」と思える人はもうそれでいいのではないでしょうか。
私は幸福でない、と感じている人が多いように思えるのです。それはむしろ「他人に遠慮する」ことばかり求められてきたために自分を大切にできなかったことでの不幸感のように思えます。

そして幸福度というのは自分だけのことばかりでなく周囲の人に対しても感じることであるはずです。
上に書いた母子に冷たい世間、というのは私自身はもう関係ない話です。それでも母子に冷酷だという話を聞くと心が痛みますし、幸福を感じられなくなりますよね。
逆に人から思いやりを受けた話を読んだり聞いたりすると自分の事ではなくても嬉しくなるし幸福になれるのではないですか。
そうしたことも含めての他者への寛大さ、社会の自由度、社会支援に対しての不満、絶望感があるのではないでしょうか。

平成という戦争のなかった平和であるはずの時代はそうした人への思いやりを減少させてしまった時代のように思えます。多くの災害がありボランティアなどの良いことが多かったことに対する反面なのでしょうか。まるで副作用のようにその他の場所で闇の部分が露出しているようにさえ思えます。

次の時代は良い方向へ進むことができるのでしょうか。
それともそんな時代の魔法などはなくこのまま日本の幸福度は落ちていくばかりなのでしょうか。


そんなことはない。
他の人への思いやりが持てる寛容な社会になり、自由な発想・行動ができる社会支援が受けられる日本社会になりますよ、と願いたいのですが。



旅を続ける人々は

いつか故郷に出会う日を

たとえ今夜は倒れても

きっと信じてドアを出る

たとえ今日は果てしもなく

冷たい雨が降っていても




中島みゆきさんの「時代」です。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿