眼力Blog

反日国の動向をウォッチしています。
自滅する韓国を看取るブログです。
政治、時事問題なども扱います。

9条教信徒 現憲法はバイブル

2014年08月19日 | 政治


1週間ぐらい前の三橋貴明氏のブログに、佐藤健志氏のコラムが掲載されていた。

【佐藤健志】驚異! 九条せんべい

オヨヨ! 九条せんべいですかww

紀州九条せんべい”の テーマソングもあるんだそうで、

紀州九条せんべいの歌

あなたの思いを読んでみた

つらい悲しみ 乗り越えて

戦争捨てた その誓い

平和を希求する心


あなたをみんな食べてみた

幸せ満ちて 広がって

お腹の底から わいてくる

平和を守る その力


よい子のおやつに 九条

ばあちゃん お茶うけ 九条

父さんも母さんも 九条

日本の名物 紀州九条せんべい

(おいしいよ?!!)

とまあ、3番までしっかりあります(わらい


一番に気になった台詞が、これ

>戦争捨てたその誓い

いまの憲法は、国民が望んで創った憲法ではないんですね。

ですから戦争捨てたその誓いなんて言われても、国民は白けますよ

戦争に負けた日本が、敗戦で米国の統治下で、占領軍のGHQの有無を言わせぬ強引さで押付けられたのが現在70年経つというのに一字一句改憲もできないでいる“現憲法”です。

それが9条教を信じる信徒の“バイブル”となってしまった“現憲法”の象徴が、歌詞によく表われていますね。

では、現憲法はどのような経緯を辿って出来たのでしょうね。

1945年10月、”憲法を改正しなさい”という要求が、GHQから出され、これを受けて”日本政府”による明治憲法の調査研究が開始され、1946年2月8日に”日本側”の最初の憲法草案が完成します。

その前の2月1日に、この草案が毎日新聞にスクープされるのですが、それを見て「これではまだ保守的、現状維持だ」と考えたマッカーサーは、2月3日、GHQ民政局長であったコートニー・ホイットニーにGHQ草案(マッカーサー草案)の起草作業を指示します。

ホイットニー自身は弁護士でもあったけれど、憲法についての実務的な知識に欠けたため、日本の民間憲法草案などを参考として大急ぎでGHQ草案を作成します。

2月13日、スクープされていた”日本側草案”が手渡されると、マッカーサーはその場でこの草案を拒否し、ホイットニーらの作成したGHQ草案を検討するように指示します。

”日本側”は、このGHQ草案に原則として沿う形で案を練り直して3月2日に再提出し、これが最終案になります。

最終案はホイットニーらのGHQ案といくつかの相違点がありますが、ほぼGHQ案に沿ったものになりました。

マッカーサーはホイットニーに「マッカーサー三原則」を指示していました。

マッカーサー三原則とは

1.「天皇は、国家の元首の地位にある」(The Emperor is at the head of the State)
2.「国家の主権的権利としての戦争を放棄する」(War as a sovereign right of the nation is abolished)
3.「日本の封建制度は、廃止される」(The feudal system of Japan will cease)
 
の三つだと解釈されています(2月3日にマッカーサーがホイットニーに宛てたメモ、いわゆる「マッカーサー・ノート」の三つのポイント)。天皇制を維持しようという判断は、”日本”を早期に”安定される”ことが対共産圏戦略として至上命令であり(マッカーサーの独断という感じもしますが)、そのためには天皇の戦争犯罪追及も、天皇制の廃止も、マイナスに働くと考えたのだろうと思います。この判断の背景には、無論、当時の”日本側”の強い要求があった。天皇に手を出すようなことをしたらわれわれは何も保証できないぞ、という雰囲気をマッカーサーも感じ取っていたのでしょう。

 2番目の「戦争放棄」は、結果的に”日本”に独自の戦争能力を持たせず、米軍の基地化する(少なくとも当面は)戦略に見えますが、憲法に「戦争放棄」を謳うことは、1946年1月に行われたマッカーサー・幣原(当時の首相)会談で、幣原から提案されたものだという説もあります。

 3番目の「封建制」廃止には、本来は天皇制が含まれなければ矛盾していますが、皇族は除外されています。これは天皇制の存続と連動していたので矛盾してもしょうがない、ということでしょうかね。これによって、しかし、華族は解体され、華族の権利もほぼ消滅しました。いわゆる「民主化」を進めるための最低限の要求に見えます。

青字の項は阿川亭さんの記事からの引用です。

ところでマッカーサーの側近であるコートニー・ホイットニーGHQ民政局長と、彼をサポートして憲法草案の素案を実質作成したといわれるのが部下のチャールズ・ルイス・ケーディス当時大佐

ケーディス大佐の右腕として憲法草案の起草に尽力したのが、ケーディス大佐の友人で知日派の共産主義者ハーバート・ノーマンです。

ケーディス大佐は弁護士資格を持っていますが、実際は軍人で日本の法律には疎かったようです。

彼(ケーディス大佐)は、のちにこんなことを言っています。

「まだ、あの憲法9条を改正してないのは、驚きだ。」

「9条に『国の交戦権はこれを認めない』と書いてあるけれども、私は交戦権の意味がよく分かっていなかった。」

「交戦権を放棄すると、戦争ができなくなるが、それがどういうことを意味するのか、よく分かっていなかった。」とも述懐しています。

結局は、当時アメリカで跋扈していた共産主義者が理想とした憲法を日本へ押付けたんですね。

迷惑なことこの上ないです トホホです。

ウソかまことか知りませんが、吉田首相マッカーサー「日本を赤化させるつもりですか」と言ったというのですが、

当時、吉田首相マッカーサーにそんなことを言ったのなら、なぜサンフランシスコ条約が発効した時に新憲法を制定しなかったのでしょう。

それをしなかった怠慢が、70年後の今の日本をも苦しめているのです。

吉田茂氏戦後の政治家の元勲みたいに言う人がいますが、GHQ憲法をそのままにした罪は決して小さいものではないのです。