がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

「食堂のおばちゃん」奮闘記 001

2013年08月18日 20時29分11秒 | 食堂のおばちゃん

打診していたお宅は、「貸せない」と返事が来た。

残念、非常に残念。

お金がないから仕方がない。

 

○先方様

1.亡くなったご主人が建てた家

2.公営住宅へ入るために「持ち家」は持っていてはいけない。→手放す

3.建物が残っているのを見つづけるのは忍びないので、買い手が今年中に買い手がつかない場合は取り壊す

ということだそう。

 

○当方

1.一時払いのまとまったお金が作れない。

2.ローンが組めない。

3.借りられるのであれば、(2年契約・・継続)その間に少しずつでも動きがあるようなら、最終的には買えるのでは・・

4.両親の売り地が片付けば方向性も決まるのだが・・ < 隣家に打診しているが無理のよう・・

 

諦めるしかなさそうだ。 直接談判には応じない。

 

再びスタート地点に戻ろう・・

1.コーヒーを美味しく淹れる勉強を続ける。

2.実家の両親を少しでも助けていこう。

3.お金がないからといって、コンビニバイトや清掃や新聞配達等、今以上に仕事を増やすことはやはりできない。 先にも書いたが、昼時間の食堂の両親を手伝うことを考え、自分自身の現状の仕事を考え、自分自身の身体のことを考えると、現状ですすめていくしかないのか。

現状=いつまで経っても、お金の動きが小さい → いつまで経ってもお金はたまらない → 家賃や光熱費などかかるものは払っていかなければならないから出費は変わらない → 支払いに追われる → いつまで経っても新規に店を持つことはできない。

 

同僚は 「寝ずに働くことが大事」 という。 わかってはいるが、もう 「寝ずに働く」 ことはできない。 そりゃ、やることがあるときは頑張るよ。 頑張ってきたつもりだよ。

けれど、身体が追いつかないことを実感してきている。 寝ずに働くことができるのは、40代までだろうな、と。

急ぐことをやめよう。 でも、急がないと。 この中途半端な焦り。泣

私の将来はどうなっていくのだろう。


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