今日も晴れ。 が、東の朝日岳は雲の中、代わって駒ヶ岳(2002,5m)が
畑越しに望む。 手前の北陸道には先週くらいから断然に観光バスの往来が多くなったように感じられる。
こちらは畑の脇を通る往来から望む駒ヶ岳。丁度道路の真ん中上が駒の山頂で、右手僧ヶ岳(1855,4m)の山頂には雲が掛かっている。
天気はこの後に風が出てきて、10時くらいからは6~7mの風に、その後お昼には8mの風となり、田んぼの高低差を直そうと思っていたが、風で田の水が一定方向に押され、高低差がわからず今日は断念する。
畑と田んぼの畦の除草に精をだし、午後の3時に先だっての案内の報恩講に出かける。 今日のような晴れた日には正直言えば仕事を優先したいのだが、なぜか行かないと1年が不安でもあるようで約束事のように割り切って出かける。
場所は黒部渓谷の玄関口でもある《宇奈月温泉街》で、上の画像の駒ヶ岳や僧ヶ岳の左付け根にあたる部分がその温泉街である。
これは宇奈月温泉街の一角だが、右側のこんもりした森が宇奈月公園で、その公園の通りの向かいにそのお寺さんはある。
この赤い屋根の建物が今日お邪魔した樹徳寺さんだ。 このお寺さんは昔は住職がおられず、僕の家のお寺さん(養照寺)が小寺さんともども輪番で管理をされていたそうだ。 昭和11年に小寺さんだった今の住職のお父君がここに住まわれるようになり名を樹徳寺と付けられたそうである。
そして11年から始まった、ある意味国家的事業だったこの黒部奥山での電源開発で13年に起きた《志合谷の泡雪崩》による大惨事では (吉村昭著、高熱隋道を参照)亡くなられた方々の合同葬がここ樹徳寺で執り行われたという事を今日のお話で知った。
お寺さんの通り向かいには足湯の施設がある。
足湯の名前は近くの面影橋からとって「おもかげ」という。もちろん無料だ。
ここ宇奈月は源泉が秘湯黒薙温泉から引いていて、源泉の温度は100度近く全国でも知られた湯である。
さて前置が長くなったが、報恩講は皆でお念仏を唱えて始まり、お話は心のありようを考えるものであった。心はどのようにして生まれ育まれるかをご住職のフルート演奏に合わせ一緒に歌いながら学んだ。
また実存する肖像画から推察される人間親鸞に触れて考え、そしてまた合唱し、
楽しいひと時を過ごすことができた。
僕は以前にも述べたが、とり立てて信心深いわけでもない。 むしろ家が代々仏教徒であるにも拘らず異教徒にも興味を持つ何でも屋である(笑。
それでもこの歳になると何処かに良心の置き場が欲しく、その様な場所が欲しくなり、たまたま今がここなんだろうと思ってる。
不思議なこの空間は以前の荒んだ心も、これから予想されるであろう不安をも和らげてくれる力がある。 それは相手がそうしてくれるのではなく、今の自分を曝け出してそれを受け入れるといった、受容が自ずとここでは生まれるのだと思う。
ただ、この空間を離れた途端に生身の人間に戻ってしまうのが、悲しいかな現実でもある(苦笑。
そんな僕はここを出ると、一路同じ宇奈月町にある法福寺へと向かった。
ここは山門だが、ここ法福寺の大桜が好きで以前に写真を撮る為通った事があったが、今では久しく訪れたこともなかった。
胴回り4~5mほどもあろうか、この大桜は傷みもひどく以前には無かったが、折れないように下から支えている沢山の柱が痛々しかった。
花の方は散り始めて、既に細かい葉が覗き始めていた。 1週間ほど遅かっただろうか、残念でもあるが逢えただけでも良しとすべきなのかもしれないと、ふと思った。 これも今ほどお寺さんで触れてきたお蔭だろうか(照。
畑越しに望む。 手前の北陸道には先週くらいから断然に観光バスの往来が多くなったように感じられる。
こちらは畑の脇を通る往来から望む駒ヶ岳。丁度道路の真ん中上が駒の山頂で、右手僧ヶ岳(1855,4m)の山頂には雲が掛かっている。
天気はこの後に風が出てきて、10時くらいからは6~7mの風に、その後お昼には8mの風となり、田んぼの高低差を直そうと思っていたが、風で田の水が一定方向に押され、高低差がわからず今日は断念する。
畑と田んぼの畦の除草に精をだし、午後の3時に先だっての案内の報恩講に出かける。 今日のような晴れた日には正直言えば仕事を優先したいのだが、なぜか行かないと1年が不安でもあるようで約束事のように割り切って出かける。
場所は黒部渓谷の玄関口でもある《宇奈月温泉街》で、上の画像の駒ヶ岳や僧ヶ岳の左付け根にあたる部分がその温泉街である。
これは宇奈月温泉街の一角だが、右側のこんもりした森が宇奈月公園で、その公園の通りの向かいにそのお寺さんはある。
この赤い屋根の建物が今日お邪魔した樹徳寺さんだ。 このお寺さんは昔は住職がおられず、僕の家のお寺さん(養照寺)が小寺さんともども輪番で管理をされていたそうだ。 昭和11年に小寺さんだった今の住職のお父君がここに住まわれるようになり名を樹徳寺と付けられたそうである。
そして11年から始まった、ある意味国家的事業だったこの黒部奥山での電源開発で13年に起きた《志合谷の泡雪崩》による大惨事では (吉村昭著、高熱隋道を参照)亡くなられた方々の合同葬がここ樹徳寺で執り行われたという事を今日のお話で知った。
お寺さんの通り向かいには足湯の施設がある。
足湯の名前は近くの面影橋からとって「おもかげ」という。もちろん無料だ。
ここ宇奈月は源泉が秘湯黒薙温泉から引いていて、源泉の温度は100度近く全国でも知られた湯である。
さて前置が長くなったが、報恩講は皆でお念仏を唱えて始まり、お話は心のありようを考えるものであった。心はどのようにして生まれ育まれるかをご住職のフルート演奏に合わせ一緒に歌いながら学んだ。
また実存する肖像画から推察される人間親鸞に触れて考え、そしてまた合唱し、
楽しいひと時を過ごすことができた。
僕は以前にも述べたが、とり立てて信心深いわけでもない。 むしろ家が代々仏教徒であるにも拘らず異教徒にも興味を持つ何でも屋である(笑。
それでもこの歳になると何処かに良心の置き場が欲しく、その様な場所が欲しくなり、たまたま今がここなんだろうと思ってる。
不思議なこの空間は以前の荒んだ心も、これから予想されるであろう不安をも和らげてくれる力がある。 それは相手がそうしてくれるのではなく、今の自分を曝け出してそれを受け入れるといった、受容が自ずとここでは生まれるのだと思う。
ただ、この空間を離れた途端に生身の人間に戻ってしまうのが、悲しいかな現実でもある(苦笑。
そんな僕はここを出ると、一路同じ宇奈月町にある法福寺へと向かった。
ここは山門だが、ここ法福寺の大桜が好きで以前に写真を撮る為通った事があったが、今では久しく訪れたこともなかった。
胴回り4~5mほどもあろうか、この大桜は傷みもひどく以前には無かったが、折れないように下から支えている沢山の柱が痛々しかった。
花の方は散り始めて、既に細かい葉が覗き始めていた。 1週間ほど遅かっただろうか、残念でもあるが逢えただけでも良しとすべきなのかもしれないと、ふと思った。 これも今ほどお寺さんで触れてきたお蔭だろうか(照。
心に沁みるようになってきたのはやっぱり年齢の
せいかしらね? ご住職の話を伺うとちょっとはね、
浄化されるように思います。京都では『鈴虫寺』の
坊さんが、漫談調の面白可笑しいお説法をなさいます。 漫談にせよ、フルートにせよ、とっかかりは何でもいいと思ってます。要は、知ることだと感じてます。
今までも、多分にこれからも悪さは無くならないと思っているので、良心の呵責がそっちへ向かわせると思うんですよ。 それで仰るように難しい事を言われても、この歳になるとついていけないんです。ですから解りやすく導いてくれるお寺さんは有り難いですね。
確かに、自分の若い頃を思い出しても、お寺さんに行くのは年寄りの仕事って・・・。
こちらのご住職さまのように、わかりやすくお話をしてくださったら、難しいお話もす~っと心にしみこんでくるような気がしますが・・・。