たわいもない話

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

「大山登山」山頂への挑戦

2011年09月19日 17時09分40秒 | 雲雀のさえずり

学校から帰ってきた小学五年生になる孫の龍之介が、私の顔を見るなり開口一番

「おじいちゃん、大山に登らん」

「どうして」と、私が尋ねると

五年生全員で9月9日(金)に大山登山をすることになったが、先生だけでは生徒を引率するのに十分でなく、保護者などにも参加していただくよう協力を求めているのだという。

「うぅ~ん、もう10年以上も登っていないから、自信ないな~」

とは言ったものの、久々に登ってみたい気持がふつふつと湧いてきた。

しかし、子供たちを引率して登る立場が、逆に引率される羽目になっては面目丸つぶれである。

「龍ちゃん、おじいちゃんも登ってみたいけど、もう年だし、皆さんに迷惑をかけたらいけんけえ、先にゆっくり登って、頂上でみんなが登って来るのを待っちょうって先生に言っておいて」

この老体、無事に頂上までたどりつけるだろうかという不安と、久々に大山山頂の征服に挑戦できると言う、かすかな胸のときめきを抱きながら登山の当日を迎えた。

孫たちは8時に学校を出発して、9時頃から登山を開始する予定であった。

私は6時に家を出発して、夏山登山口近くの下山駐車場に6時30分頃に到着した。登山靴に履き替え、弁当とわずかな装備品を詰めたリックを背負い、山頂を目指して登山を開始した。

登山口から4合目までは一気に登ったが、5合目、6合目と進むにつれ、しだいに足が重くなり6合目の避難小屋で長い休憩をとった。

6合目の休憩場所から山頂を見上げると、7合目付近から山頂にかけ濃いガスに覆われていた。

6合目から8合目にかけてが、大山登山の一番の難所で気力体力を消耗する区間でもある。

6合目で十分な休憩を取り体力の回復を待って、7合目に向かって石のむき出しになった石段のような急斜面を登っていると、左の太もものあたりが“ピクピク”と小刻みに震えだした。

「とうとう、足に来たか」

このままのペースで登れば痙攣を起こしかねないと考え、一歩一歩、太ももの状況に注意を払いながらペースを落とし、20メートルほど登っては一服、太ももを揉んではまた登る。

こんな動作を、何度も何度も繰り返し、足をだましだまし登っていったが、8合目を目前にして思うように足が動かなくなってしまい、その場で暫らく休憩をとり、体力の回復を待った。

気力、体力が少しばかり回復したところで再出発、ようやく8合目までたどり着いたが、辺りは濃いガスに覆われていた。

それでも幸いなことに、ここから山頂までは木道が造られており比較的平坦な道が続いた。

「大山登山はやはり、8合目までが勝負だな~」

太ももの痛みが和らぎ、改めて実感しながら濃いガスの中に、おぼろげに山頂の山小屋が霞んで見えると急に足取りも軽くなった。

9時20分、ようやく山小屋に到着し、分厚い板の重い引き戸を開けると、中に20~30人くらいの登山客が休んでいた。

山小屋で弁当を食べて頂上に登ると、濃いガスに覆われて視界の悪い中にかかわらず7・8人の登山客が休息を取っていた。

私は、もう二度とこの山頂に立つことはあるまいと思い、濃いガスの中ではあったが、カメラを片手に辺りの写真を撮っていると、三脚を立て山頂の写真を写そうたしていた45歳前後のいかにも都会的で理性的な男性が

「写真を写しましょうか」と言ってくれた。

「お願いします」

私は何の躊躇もなく好意に甘えた。

「お宅も写しましょうか」と言うと、相手の男性も、私の言葉を待っていたかのように

「お願いします」と即座に答えた。

二人で山頂付近の写真を数枚づづ撮り合っている内に、少しづつ親しくなり

「お宅はどちらから来られましたか」と尋ねたみた。

すると彼は、昨日の夜行バスで東京を出発し、今朝、米子に着き、その足で大山に登ったのだと教えてくれた。

「せっかく遠くから来られたのに、この悪天候で残念ですね」私が言うと、彼は辺りを見渡し残念そうに

「しかたないです。今日は山小屋に一泊して、明日、下山します」と言った。

彼は、数年の計画で、日本百名山の踏破に挑戦しているが、まとまった休みを取るのが難しく、遠くの山にはなかなか登れず大山でようやく70数名山目だと言った。

私も山が好きで若かりし頃には、あちこちの山に登った経験があったので、山の話題に花が咲き、もっと長く話をしていたい気持に駆られたが、いつまでも話しているわけにもいかず彼に別れを告げ山小屋へ引き返した。

山小屋で横になりながら休息を取り、12時まで待ったが孫たちは登ってこない。

「小学5年生の足でも3時間あれば登れるはず、この悪天候で中止したのかも?」

私は山小屋を後にして、もう一度頂上に登り、子供たちのいないのを確認して下山していると、9合目付近で元気の好い100人くらいの男女の中学生の集団に出くわした。

木道の端によって中学生のにぎやかな集団をやり過ごし、さらに下っていると木道に覆い被さるように生えたキャラ木も間から、小学生らしい姿が見えてきた。

「あれが、龍之介たちかも知れない」

正面登山道と夏山登山道の木道の三差路で彼らの到着を待っていると、50~60人の生徒が引率の先生に先導されながらやって来た。

杖で先生にひかれながら歩く子、足取り重くへとへとになった子、まだまだ元気で走りだしそうな男子などが通り過ぎて行く。

「あと、どのくらいかかりますか」一人の女子小学生が私に話しかけてきた。

「あと、15分か20分ぐらいかな?ガンバレ」と励ます。

「僕たちは何処の小学生」と聞くと

「○○小学校の五年生です」との返事。

残念ながら孫たちの小学校ではなかった。

孫に良いところを見せてやりたかったのに、少しばかり残念な気持ちを抱きながら木道を過ぎて、7合目に向かって下りていると、また小学生の集団が登ってくるのが見えた。

先頭は見覚えのある先生、かなり疲れた様子で足取りも重い、孫たちの学校に校長先生た。

「お疲れさんです」私が声をかけると、校長先生は息を弾ませながら

「もう下りられたんですか、頂上はどうでした」と尋ねた。

「山頂はガスが濃くて何も見えません。山小屋でだいぶ待ったんですが、なかなか登ってこられないので中止にでもなったのではないかと思って下りてしまいました」と答えた。

校長先生は一瞬不満げな表情を浮かべたが、すぐいつもの優しい表情を取り戻すと、後ろに連なる生徒たちに声をかけ、元気づけながら頂上を目指して登って行った。

「おじいちゃん、おじいちゃん」

龍之介が私の姿を見つけ声お掛けてきた。

「どおして、龍ちゃんのおじいちゃんがここにいるの」

孫の友達の一人が言うと、他の友達も不思議そうに私を見つめた。

「おじいちゃん、もう一度頂上に登ろうよ」と孫に言われたが、そんな気力も体力も残ってはいなかった。

「もう少しだけん、頑張って登ってきない」

孫と別れ4合目付近まで下りると、前方に若い二人ずれの女性の姿が見えた。

二人の女性はブナ林を眺め、楽しそうに会話を弾ませながらゆっくりと歩いていたので、彼女たちは私が真後に追いつくまで存在に気がつかない様子であった。

「こんにちは、何処から来られましたか」

私が声をかけると、彼女たちは突然の呼びかけに、びっくりしたように振り返ったが、そこは山ガールの素晴らしさ

「私は京都からです」

「私は大阪からです。今日は二人で山陰に一泊して明日帰る予定です」と言った。

彼女たちとの爽やかで清々しい会話を楽しみながら歩いていると、いつしか疲れもどこかにふっ飛び、瞬く間に登山口まで帰っていた。

もし、こんな若くてかわいらしい彼女たちに、都会の真ん中で声でもけたら、痴漢か変質者に間違われるかもしれない。

山は不思議な力を持っている、山の自然は人の心を清め、赤ちゃんのような純粋無垢な心を取り戻させ、人の心を素直にしてくれるものだと思いながら、久々に山登りの楽しさを満喫した。

彼女たちに別れを告げ、駐車場で靴をはきかえながら、明日からしばらくは足に痛みが残り歩くのもおぼつかなくなることだろうと思いながら家路についた。

ところが一夜が明けてみると、予想に反し、足の痛みは思ったより軽く、これなら、まだまだ山登りに挑戦できそうだと自信が湧き、山頂で出会った登山客の顔を思い浮かべ、今の私でも百名山の踏破が出来るかも知れないとの思いが強くなってきた。

 

 

 

 


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