たわいもない話

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

私は父を越えた

2010年02月08日 13時30分44秒 | 雲雀のさえずり
五十二歳でこの世を去った父を思い出すとき、私の脳裏にいつも真っ先の浮かぶのは、ある一つの出来事である。

父は腕のいい石屋として、この界隈では一目置かれる存在で、人からは善人だの好い人だのと云われる好人物であった。

しかし、無類の酒好き、十日仕事をしたかと思うと、次の五日は酒びたりの日が続くという大酒飲みであった。

このことが子供仲間でもよく知られるようになり

♪♪♪豪酒大介さん、なーんで、しんしょうつうぶした、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、そーれで、しんしょうつうぶしたぁー、もっともだぁー、もっともだぁー♪

とこんな替歌まで作られ歌われる有様であった。

私が小学校四五年の七月の夕暮れ時だったと思う。

母が私を呼んだ。

「のうやん(私の小さい頃の渾名)、お父さんが○○の酒屋さんで飲み潰れて寝込んじょうなーだって、迎えに行ってごさんか!」と云った。

私は父の飲み潰れた姿を見るのは大嫌いであったが、母の言いつけには逆らえず迎えに行くことにした。

酒屋に着くと、父は店の仕切の板場にカタツムリのように丸くなって寝込んでいた。

「お父う、お父う、はや帰えらいや」と云うと、父は寝ぼけまなこで目をあけ、“よろよろ”と立ちあがった。

私が父の腰にしがみつくようにして店を出ると、外は薄暗くなっていた。

泥酔した父を支えながら、暗い田んぼの中の砂利道を歩いていると、私は次第に、この父が憎らしく、情けなく、怒りさえ感じるようになっていた。

村の入り口の墓の手前まで来たとき、私の堪忍袋の緒がとうとう切れ、父を支えていた手を離し“グイッ”と押してしまった。

父は“フラフラ”と砂利道に顔面から倒れ込み、額から血を流し私を振り向くと、一瞬

「このバカヤロウー、父に向って何をする!」

と云うような表情を浮かべ私をにらんだ。

しかし、次の瞬間には、いつもの飲んだくれの父の表情に戻り“フラフラ”立ち上がると、私に抱きつくように寄りかかってきた。

「しまった、ゴメンナサイ!」

私は、父を突き飛ばした行為を深く反省した。

急に涙が“ぼろぼろ“溢れ出して止まらない。私は父の腰を押し、顔を見られないよう前を向いたまま必死に我が家に急いだ。

その父の顔が、今でも私の脳裏に焼き付いてはなれない。

父はあの時、正気を取り戻していたに違いない。それをあえて酔った振りをしてくれたのだと思うと、父の奥深い優しさ、温かさを忘れることはできない。

父の命日は私の誕生日、私は、父の亡くなった年を越えた。

これからの一日一日は、若くしてこの世を去った、父の歩むことのできなかった未知の歳月である。

父の、あの優しさ、温かさが今の私に備わっているだろうか?

神から与えられた残された命、父に恥じないよう誠を尽くし、悔いのない人生を送りたいと思う。

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