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ふせちゃんのブログ

布施隆宏 公式ブログ。 鉄道写真 風景写真 ジオラマ制作など 趣味の世界を紹介します。

国鉄時代 桐生駅

2025-06-07 08:00:01 | 国鉄 足尾線
  No.67-8 1984.9.8 725D 210mm、F5.6-8、1/60sec 

 桐生駅の1、2番線ホームは 足尾線用。 3、4番線ホームは 両毛線用です。 ただし、桐生駅を始発、終着とする両毛線の列車は1、2番線を使用します。
 写真にはありませんが、3、4番線ホームの高架化工事は始まっていました。


 No.66-8 1984.9.8 8:20 724D 35mm、F4-5.6、1/60sec 

 赤字ローカル線 廃止対象路線 として、昭和59年に足尾線も選定されました。 廃止除外項目に、「ラッシュ時に1000人の利用者があった場合は、廃止協議を一時停止する。」という規定があり、それに向けた乗車運動が始まりました。
 朝の上り1番列車、2番列車がその対象です。
 企業や学校の始業時間を 列車の時間に合わせる様に要請したり、沿線住民による特別乗車運動などがありました。
 地元の新聞には連日のように足尾線の記事が載りました。 当時の私の雑記帳(スクラップノート)は、新聞記事の切り抜きでふくれ上がっていきました。
 鉄道存続に向けた活動は、全国一盛んだった記憶があります。


 No.66-20 1984.9.8 1790レ(右)、1795レ用 機回し 45mm、F5.6、1/250sec 

 貨物列車の受け渡しシーン。 1番線に停車する上り1790列車 の高崎寄りに連結した EF60。 そして、小山寄りから高崎寄りへ 機回し線を走行中の DE10(この日は DE11)。


EF60が牽く 浜川崎発 足尾本山行きの下り1795列車が 高崎寄りから2番線に到着。
DE10(仕業番号 A23)が牽く 足尾本山発 浜川崎行きの上り1790列車が 足尾寄りから1番線に到着。 
EF60が小山寄りから機回し線を通って高崎寄りへ。 1番線の1790列車に連結。
● 桐生機関区から来たDE10(仕業番号 A24)が、2番線の1795列車の足尾寄りに連結。 次補機となる。
● 1番線にいたDE10(仕業番号 A23)が 小山寄りから機回し線を通って足尾寄りへ。 2番線の下り1795列車の先頭に、本務機として連結。 
● 最後に操車係が編成両数を調べ、機関車の牽引力を超えた荷重でない事を確認。


 No.64-21 1984.8.26 1795レ 35mm、F5.6-8、1/125sec

 2番線の足尾本山行き 下り1795列車の先頭に、本務機(仕業番号 A23)として連結。 重連運転となる。
 

 No.67-7 1984.9.8 725D 210mm、F5.6-8、1/60sec

 下り 間藤行き発車。 前編成 キハ20、後編成 キハ40。


 No.80-4 1984.12.8 729D あるいは 731D 135mm、F8、4sec

 左側、3、4番線ホームの高架化工事が進んでいます。


 No.80-11 1984.12.8 19:35 1794レ 60mm、F8、8sec

 足尾駅からやって来た 上り1794列車は、先頭の本務機(A23)と次補機(A24)の重連運転。
 17:57に桐生駅の1番線に到着。 本務機(A23) はここでお役御免。 機回し線を通って 桐生機関区へ待避。
 次補機(A24)は機回し線を通って1794列車の高崎寄りに連結。
 写真は、発車時刻の19:34に写したもの。 目的地である 高崎操車場 の到着予定時刻は 21:03です。


 No.245-5 1988.9.18 信号室 35mm、F4、1/60sec

 許可を得て撮影しています。 この時代はまだ おおらかでした。 湾岸戦争の前ですし、テロの脅威もありませんでした。


 No.241-31 1988.9.18 11:00 723D 300mm、F4.5、1/60sec

 1987年春の 国鉄民営化に時期を同じくし、足尾線の貨物輸送は終了しました。
 桐生駅の高架化工事が完了し、1、2番線も高架ホームになっています。
 機回し線が廃止され、もう 貨物列車の折り返し運転は出来なくなりました。


 No.241-27 1988.9.18 10:50 下り🔹トロトレイン 35mm、F4、1/60sec 

 1番線に トロッコ列車 入線。 この日は朝6時から昼過ぎまで桐生駅で撮影していました。 イヤホンで聴いていたFM群馬(JFN)で、岡村孝子さんが 私の出したハガキを紹介していました。 内容は忘れましたが、ちょっと照れるような気持ちで聞き入っていた記憶があります。
 この頃は良く、FM番組にリクエストカードを出し、留守録しておいて 後でダビングするのがマイブームでした。 カセットテープがどんどん増えていきました。


 T's Angel MWさまの YouTube動画 岡村孝子『電車』

 撮影技術も伴わない状態で、写真集を出版する前提で 国鉄足尾線(わたらせ渓谷鉄道)の集中撮影に専念し、いつまで続けたらいいのか 終わりの見えない日々が過ぎていきました。
 複数の出版社にプロモーション写真を送付しても、返信すら無い始末。
 情熱の持って行き場がないと言うか、この曲を聴きながら涙を流すこともありました。


 No.245-9 1988.9.18 信号室 35mm、F4、1/60sec

 背後にある路線図パネルに惹かれます。 足尾線の貨物列車が廃止されたので、ややこしいポイント操作は減ったのかも知れません。
 淡々と仕事をこなす姿がカッコいいです。


 No.261-29 1988.12.10 16:59 728D 150mm、F16、30sec

 高架化工事が完成した 桐生駅を西側から望む。 日の入り時刻から30分後、東の雲にうっすらと夕焼けが反射していました。
 駅へと向かう気動車のテールライトを、光の帯として撮影。 足尾線の始発駅は間もなく 夕やみに包まれます。。。

国鉄足尾線時代 足尾本山駅-桐生駅、全区間案内 完結




現在販売中の商品は DVD わてつ四季の旅 Amazon


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国鉄時代 桐生機関区周辺

2025-05-31 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.171-11 1984.10.7 13:10 キハ40洗車 80~210mm、1/250sec 

 国鉄足尾線時代の 桐生機関区(現 高崎第一機関区 桐生支所)。 許可を取って撮影しています。
 

 No.220-23 1988.1.24 16:56 728D 70mm、F5.6、1/125sec、FLフィルター使用 

 群馬県指定天然記念物:相生の松。 黒松に赤松が寄生したとも聞きますが、根本から癒着しています。 複数の村落が合併し、共存共栄を願って、地名を相生町としたとか。


 No.72-20 1984.10.7 桐生機関区 85mm、F5.6、1/250sec

 国鉄時代、幾度か撮影に寄らせて頂いています。 下新田信号所 の南に位置します。
 足尾線で使用していた気動車は 高崎第一機関区 所属なので、八高線との共通運用でした。 ただし、足尾線に入線していたのは 両運転台の車両です。



 No.72-2 1984.10.7 キハ20 35mm、F32、1/30sec



 No.72-12 1984.10.7 キハ20 35mm、F8、1/60sec、ストロボ発光


 No.72-5 1984.10.7 キハ30 60mm、F32、1/15sec


 No.72-17 1984.10.7 キハ30 35mm、F8、1/60sec、ストロボ発光


 No.72-4 1984.10.7 キハ40 80mm、F32、1/15sec


 No.72-16 1984.10.7 キハ40 35mm、F8、1/60sec、ストロボ発光


 No.72-13 1984.10.7 キハ40 35mm、F4、1/60sec、ストロボ発光


 No.72-7 1984.10.7 下新田信号所 200mm、F5.6、1/500sec

 下新田信号所は、足尾線 との分岐点であるほか、両毛線 のすれ違い設備もあります。 奥に見えているのは、東武鉄道 桐生線 との立体交差です。
 ここに写っている3本の線路は、渡良瀬川橋梁 の手前で1本に集約されます。


 No.108-10 1985.7.21 1793レ 135mm、F5.6-8、1/500sec 

 高崎操車場 を7:20に出発した下り貨物列車( 仕業番号 A21)が 両毛線をやって来ました。
 桐生駅着9:38。 列車の進行方向を変えるため、機回し線を使って機関車を最後尾へ。 その日の輸送量に応じて、桐生駅から DE10 又は DE11 を前補機( 仕業番号 A22)として連結します。 
 桐生駅発10:24。 足尾線内を走る時は、車掌車が編成の前寄りになります。



 No.72-21 1984.10.7 下新田信号所 210mm、F5.6、1/250sec

 足尾線の列車はこの先で脱線ポイントを経て両毛線に合流し、渡良瀬川橋梁を渡ります。
 右の線路は桐生駅と桐生機関区を結ぶ出入区線です。 つまり、渡良瀬川橋梁は複線式ですが、北側が両毛線の本線、南側が側線です。

 列車の左手前に「」と書かれたポストが建っています。 わたらせ渓谷鉄道 の開業時、これが わたらせ渓谷鉄道の「0キロポスト」になりました。
 桐生駅と下新田駅間の営業キロは1.9kmです。



 No.263-10 1989.1.5 17:35 相生の松 50mm、F4、30sec、FLフィルター使用

 相生の松より 桐生機関区と桐生市の夜景。 日没50分後。


 No.168-25 1987.2.1 16:57 728D 70mm、F22、1/250sec、ハーフNDフィルター+FLフィルター使用 (ISO400)

 相生の松をシルエットに、足尾線の夕日。。。



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国鉄時代 大間々駅、相老駅周辺

2025-05-24 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.118-20,22 1985.11.3 18:19,18:21 2721D 125mm、F5.6-8、1/250sec、C4フィルター使用  【 合成写真 】

 上毛電気鉄道との立体交差地点にて。 2分後にやって来た 中央前橋行き と合成。



 No.167-34 1987.1.25 9:20 相老駅舎 125mm、F11-16、1/125sec

 近くに名刹・相生の松 があり、地名は 桐生市 相生町。 山陽本線の 相生駅 と区別するため、相老駅 と表記します。



 No.230-21 1988.4.17 13:20 9726D 110mm、F16、1/125sec

 大間々駅から南へ徒歩15分。 国道沿いに桜並木があり、一段下に線路。 桜の開花期は4月の第1週。
 


 No.133-17 1986.4.20 13:40 725D 105mm、F4、1/250sec

 大間々駅の東にある 要害山 の展望台より撮影。 「大間々」とは、山地から平野部にかけての扇状地を意味します。
 大間々町は商業の町として古くから栄え、足尾銅山が繁栄していた時代は、たいへん繫盛していたと聞きます。



 No.133-18 1986.4.20 13:40 725D 105mm、F3.8、1/250sec

 大間々駅を出発した下り列車は、足尾銅山へと続く道を登って行きます。



 No.106-4 1985.6.21 上り🔹くつろぎ号・回送

 大間々駅から徒歩20分の間坂踏切より、早朝の上り列車。 梅雨の時期の朝霧は 魅力的です。



 No.97-25 1985.4.14

 同じく、間坂踏切付近より 。 40年前は桃の木しかありませんでしたが、現在は桜と桃の有名撮影地になっています。



 No.62-7 1984.8.14 大間々駅 48mm、F8、1/500sec 

 現在の駅舎も、足尾線時代のものを使っています。 外壁が少し明るくなったくらいです。 写真にはありませんが、1番線のプラットホームから見上げる木造の屋根が、ノスタルジックなのです。



 No.220-1 1987.12.27 16:08 727D 70mm、F5.6、1/125sec、FLフィルター+ハーフNDフィルター使用

 冬になると雪が降らない限りあまり写すものが無く、ついつい、夕日を眺めに来てしまいます。



No.162-22 1986.12.13 16:03 大間々駅 80mm、F4、1/60sec、ハーフNDフィルター使用



 No.271-16 1989.2.5 17:58 729D 70mm、F4、15sec、FLフィルター+ハーフグレーフィルター使用

 日の入り時刻から40分後。 空の赤味を出すため FLフィルターを装着。
 駅を走り出した下り列車を、光の帯として撮影。



 No.263-1 1988.12.25 18:34 731D、保守用車 50mm、F4、60sec、C4フィルター使用

 国鉄時代、大間々駅には 桐生保線区 大間々保線管理室 があり、保守用車が留置されていました。 現在の、トロッコ列車の出発ホームの付近です。。。



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国鉄時代 上神梅駅周辺

2025-05-17 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.116-18 1985.10.12 14:17 1792レ 170mm、F4、1/30sec

 第二神梅トンネル。 崖の中腹を削り取って敷設した鉄路です。 竣工から100年以上が経過しており、漏水が多いです。 所々に 薄茶色した鍾乳石が形成されつつあります。
 そんな ジメジメとしたトンネルの内壁が、黄金(こがね)色に輝く瞬間。


 No.116-6 1985.10.12 11:25 1790レ 210mm、F4、1/60sec

 カーブの外側の安全な場所から 望遠レンズで写しています。
 崖の上の国道から 第二神梅トンネル の上部へと、草木をかき分けて歩けるルートがありました。 奥に見えるのが 第三神梅トンネルです。


 No.116-13 1985.10.12 1795レ 50mm、F2.8、1/250sec

 第二神梅トンネル上部より 下り貨物列車。 青い排気ガスをまとって、貨車が次々と第一神梅トンネルから飛び出して来ました。


 No.60-14 1984.7.27 17:26 1794レ 47mm、F3.5、1/250sec

 大間々駅から徒歩30分、福岡大橋より 上り貨物列車。 ここからでは第一神梅トンネルは見えない様です。
 上段は、国道122号線。


 No.62-8 1984.8.14 上神梅駅 45mm、F5.6-8、1/500sec

 100年以上前に作られた 上神梅駅舎 が、今でも現役で使われています。 国鉄の、標準的な形状だと思います。


 No.71-11 1984.9.30 9:29 9726D 40mm、F4、1/250sec、PLフィルター使用

 深沢橋。 わたらせ渓谷鉄道の開業に合わせ、ここに 本宿駅 が新設されました。


 No.106-3 1985.6.19 5:11 上り🔹くつろぎ号 50mm、F1.4、1/125sec

 午前3時過ぎに自宅を出発、5時に撮影。 この日は平日なので、そのまま出社。
 年に1~2度しか走らない列車なのです。


 No.158-2 1986.11.3 10:11 下り🔹もみじ号 45mm、F5.6-8、1/250sec

 深沢橋を行く臨時列車。 国道を走る車列は 紅葉の日光にでも向かうのでしょうか。


 No.192-18 1987.6.22 10:32 下り🔹トロトレイン 300mm、F22、1/15sec

 上神梅-水沼間を行く トロッコ列車。 川の対岸から望遠レンズで流し撮り。 私には、これ以上のスローシャッターは切れません。


 No.163-05 1986.12.28

 前夜からの雨は、朝になって雪に変わりました。 年末の日曜日なので、4両編成で走らせるほど乗客は居ないだろうと思います。

 この日、山陰本線の 余部鉄橋 で、回送中のお座敷列車「 みやび 」が強風にあおられて転落。 乗務員と カニ加工所の従業員の命が失われました。 言葉になりません。。。



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国鉄時代 水沼駅周辺 2

2025-05-10 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.185-16 1987.5.10 9:28 9724D 60mm、F8、1/250sec

 わたらせ渓谷を走る 足尾線を代表する撮影地です。 現在は樹木が成長している為、撮影困難かと。



 No.60-8 1984.7.27 14:09 1792レ 80mm、F5.6、1/250sec

 貴船神社~桑ノ代~水沼の道路は、車のすれ違いが困難な区間が数か所あります。 現在はほぼ舗装されていますが、当時はデコボコ道でした。
 とがった石や岩が露出しており、タイヤの側面がこすれて裂けた事もあります。
 それでも、季節を変え、時間を変えて写したい場所でした。



 No.99-16 1985.4.28 14:06 1792レ 65mm、F3.5、1/500sec

 薄曇りの天気なら、樹間からの撮影。 コンクリートの擁壁は味気ないですが、石積みの擁壁は 嫌いではないです。



 No.139-7 1986.5.18 9:28 9726D 100mm、F5.6-8、1/125sec

 ライトグリーンに見えているのは水道橋です。 対岸から桑ノ代地区へ、上水の輸送管になります。 橋の上は立入禁止です。



 No.60-2 1984.7.27 1790レ 48mm、F5.6-8、1/250sec

 足尾線の 川口川橋梁 の隣に、旧国道のコンクリート製アーチ橋が見えます。 現在の国道は、さらに奥にあります。 そして、城下(しろおり)トンネルです。



 No.193-30 1987.6.21 15:31 上り🔹トロトレイン 24mm、F5.6、1/30sec

 せっかくのトロッコ列車なので、涼味のある写真を撮ろうと思い、川口川橋梁の下へ。 足場が悪く、ここまで。



 No.115-16 1985.9.29 9:27 9726D 85mm、F2、1/500sec、ハーフNDフィルター使用

 地元の人に教えてもらった撮影ポイントです。 他の撮影地と同様、樹木が茂って 現在は撮影困難。
 霧雨の中、画面の半分の明るさを抑えるため ハーフNDフィルターを使用。 露出が開放だったので、効果が薄いです。



 No.153-1 1986.10.5 11:49 723D 47mm、F5.6-8、1/125sec

 水沼駅の南南西の位置から撮影。 稲穂の実る頃、この田んぼで撮影した事があります。
 イナゴがたくさん飛び交い、三脚やカメラの上にも乗ってきます。 つくだ煮にするほどいました。



 No.159-23 1986.12.7 8:37 9721D 70mm、F8、1/125sec

 崖の中腹を走ることの多い足尾線では、秋・冬は日が当たらない事が多いです。 そんな蒼い風景に、散り残りの紅葉。



 No.161-24 1986.11.30 11:49 723D 135mm、F11、1/125sec

 誰も振り向かないような殺風景な景色でも、光の当たり方次第では、見られる様になる。 そう信じて写した一枚。



 No.275-0 1989.2.24 9:56 9725D 35mm、F4、1/125sec

 一つ上の写真を もう少し近づいて写しています。 北斜面に育った樹々は日が当たりにくいので、河原に枝を伸ばして生えています。
 一度 根を下ろしたら、そこで生きていくのです。



 No.163-15 1986.12.28 11:04 5793レ 35mm、F4-5.6、1/125sec

 川口川橋梁を行く下り貨物列車を、城下トンネル上より。
 城下トンネル内の走行中、明らかに鉄橋を走っている音が聞こえます。 その違和感は、列車に乗っていても感じます。 でも、トンネル内はバラスト敷の軌道なのです。
 同じ疑問を、複数の知人も語っていました。 謎です!



 No.163-6 1986.12.28 8:41 9721D 50mm、F2.8-4、1/60sec

 建ち並ぶ建物を 雪が隠してくれます。 雪は便利です。 雪が降ると、枯れ木に花が咲いたようです。
 「お前らには あの雪が きれいに見えるんだろう。 だが あんなもんが降るから、俺たちは出稼ぎに出なきゃなんねぇんだ。」そういう人もいる事は事実です。

 過疎地に、山歩きに行くことがあります。 山の風景が綺麗で、嬉しいです。 地元の人は、山が嫌いな人もいます。
 山があるから仕事が無い。 中学校を出れば町を出るしか無い。 高校を出れば都会に出るしかない。

 ローカルな地域に出掛ける時、地元の人の心情を理解しておかないと、ちぐはぐな会話になり、嫌な思いをさせてしまいます。。。


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国鉄時代 水沼駅周辺 1

2025-05-03 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.132-18 1986.4.20 722D(左)+721D(右)、トリミングあり

6:56 下り721D(右)到着。 大間々-水沼間のタブレットを駅員が受け取り、事務所にて閉塞機を操作。
6:58 上り722D(左)到着。 水沼-神土間のタブレットと 大間々-水沼間のタブレットを交換。
6:59 上り722D(左)発車。
7:04 下り721D(右)水沼-神土間のタブレットを受け取り、発車。

 毎日くり返される 当たり前の光景。



 No.133-23 1986.4.20 16:24 727D(左)+730D(右) 210mm、F5.6、1/30sec、ストロボ発光

 2番線に 上り730D(右)が到着。 程なくして1番線に 下り727D(左)が到着。
 タブレット交換の都合上、後から到着した列車が先行発車します。



 No.98-26 1985.4.21 1790レ 35mm、F8、1/250sec

 写真には写っていませんが、1番線には既に 下り1795貨物列車 が到着し、すれ違い待ちをしています。 上り1790貨物列車 は停車する事なく、走ったまま 車掌がタブレットの授受を行います。
 翌年にダイヤが改正され、1790列車 は運転停車する事になり、タブレット交換は手渡しになりました。



 No.247-36 1988.9.25 14:46 726D 65mm、F3.5、1/60sec、ハーフグレーフィルター使用

 水沼の町を南南西より望む。 水沼駅を出発した上り列車。
 近くに製材所があるので、煙がたなびいている事が多いです。



 No.175-3 1987.3.21 10:35 水沼駅舎 60mm、F11-16、1/60sec

 平成元年(1989年)わたらせ渓谷鉄道 に移行後、水沼駅は日帰り温泉施設に改装され、たいへん好評でした。
 その後、経営者が幾つか代わりましたが、2025年 春にリニューアルオープンしています。

  ホットランドホールディングス 駅の天然温泉 水沼の湯



 No.175-1 1987.3.21 10:35 水沼駅舎 43mm、F11-16、1/60sec




 No.181-35 1987.4.12 7:48 722D 135mm、F8、1/30sec

 足尾線時代、水沼駅は桜の駅として親しまれていました。 現在はその種類も規模も大幅に増え、河川敷の運動場では お祭りも行われます。



 No.132-18 1986.4.20 722D(左)+721D(右) トリミングなし

 駅を西側から望む。 国鉄時代の良き日の風景です。 現在では様変わりしていますが、桜の名所には変わりありません。



 No.179-22 1987.4.5 7:50 722D 80mm、F8-11、1/250sec




 No.98-28 1985.4.21 駅名板 115mm、F5.6-8、1/250sec

 昭和60年頃、水沼駅には とても若い駅長さんが勤務していました。 列車の来ない時間帯に、スプリングポイントのグリスアップをしていたのが印象的でした。
 お互い無口な方なので、事務的な、ちょっとした会話だけで、雑談には至りませんでした。



 No.227-3 1989.3.21 駅長 と 自動閉塞機

 国鉄の民営化から1年を挟んで、わたらせ渓谷鉄道 に変わる直前の写真です。
 駅長がタブレットを持っています。 その頭の上に、自動閉塞機 のセンサーが設置されているのが見えます。
 運転手さんがリモコン操作で信号機を変えるので、タブレット交換が必要なくなります。



 No.227-29 1989.3.26 11:52 723D 80~210mm、F5.6、AE

 列車を見送る駅長さんの姿。 当たり前の光景過ぎたのか、もぅこの光景は見られなくなるんだよなぁと、当時の私には実感がありませんでした。



 No.262-0 1988.12.11 18:50 731D 170mm、F4、20sec

 水沼駅の近くの国道沿いに、カップラーメンの自販機がありました。 当時のシーフードヌードルは、イカではなくエビがいっぱい入っていたので、お得感がありました。
 駐車スペースに車を停め、撮影の合い間に お代わりしていたのは 良い思い出です。。。


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国鉄時代 花輪駅周辺 2

2025-04-26 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.110-19 1985.7.28 15:16 🔹グランドキャニオン号 50mm、F4-5.6、1/250sec

 水沼取水堰。 みどり市 大間々にある 福岡発電所 に送水するための取水堰です。 完全にせき止めているのでは無く、階段状の魚道が見えています。
 洪水吐(こうずいばき)の形状ですので、水量の多い時は乗り越えて流れます。 ちょっと迫力あります。



 No.139-23 1986.5.25 8:43 9721D 70mm、F4-5.6、1/250sec、PLフィルター使用

 水沼取水堰を南東側から望む。 新道が出来た今でこそアプローチは楽になりましたが、当時は 東京電力の巡視路の踏み跡があるだけで、三脚を振り回して つる草を切り開き、草露でズボンどころかパンツまで濡らして歩いていました。



 No.174-7 1987.3.8 9:59 724D 35mm、F8、1/250sec、ハーフグレーフィルター使用

 陽の当たりやすい線路側と、陽の当たり難い対岸との違い。 鉄道のルート選びは正解だった様です。



 No.138-12 1986.5.10 9:59 726D 105mm、F4、1/250sec、PLフィルター使用

 こちらの撮影ポイントも、たどり着くのが厄介な地形でした。 崩れやすいガレ場の斜面を ヨチヨチと移動し、ぬかるみを進みます。
 取水堰から伸びる小路があり、馬頭観音などの石碑があったはずなのですが、今は地形も変わり、見つかりません。



 No.235-32 1988.5.3 8:43 9721D 45mm、F11-16、1/125sec

 高圧線の巡視路を登り、さらに高い所へ。 渡良瀬川に合流する小黒川に架かる 小黒川橋梁 です。 夏にはアユ釣りを楽しむ人が多く集まります。



 No.74-20 1984.10.21 9:20 9726D 35mm、F5.6、1/500sec

 小黒川橋梁。 岩の上に橋脚があるので、列車のすぐ近くまで 樹木が伸びています。



 No.157-30 1986.11.2  小黒川橋梁

 11月の川の水は結構冷たいです。 浅そうに見えたので、ズボンをヒザ上までめくり、ビーチサンダルで渡渉し始めました。 中ほどで急に深くなり、さらにズボンを上げます。 川底の小石がやたらとヌルヌルし、水流でバランスを取るのが難しいです。
 人間は濡れても、カメラを濡らす訳にはいきません。
 遊びに来ていた家族連れが 心配そうに見ている視線が背中に刺さり、かえって緊張します。 ここでコケたら恥ずかし過ぎます。
 渡り終えると、何事も無かったかの様に振る舞う私です。



 No.78-16 1984.11.18 726D 55mm、F3.5、1/250sec、PLフィルター使用

 水が冷たいので、ビーチサンダルで渡渉するのはやめました。 対岸のガレた急斜面を慎重に下って、河原に出ました。
 そのルートのほか、水量が少なければ、少し上流の浅瀬を回って、長靴で歩けるコースもあります。 苔が多いので、コケます。



 No.157-23 1986.11.2 9:19 9726D 70mm、F5.6、1/250sec

 国道の橋より、小黒川を望む。



 No.174-5 1987.3.8 9:20 9724D 80mm、F8、1/250sec



 No.263-9 1989.1.5  荻原街道踏切

 冬のまぶしい西日が対岸に差込み、オレンジ色の風景と 蒼い風景との対比。



 No.276-4 1989.3.12 18:17 729D 24mm、F16、30sec

 夜になっても まだまだ帰る気になれず、五月橋付近を徘徊。
 日の入り時刻から30分後の 八木原踏切。 30秒の露出で、下り列車のテールランプと室内灯の光跡を撮影。

 足尾線撮影の追想エッセイです  青 春 履 歴 簿 


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国鉄時代 花輪駅周辺 1

2025-04-19 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.181-13 1987.4.11 11:57 723D 100mm、F11、1/250sec、ハーフNDフィルター使用

 花輪駅の北西に桜の古木がありましたが、駅の新築工事の頃に区画整理が行われ、今では見られなくなりました。



 No.97-36 1985.4.14 11:59 723D 210mm、F4、1/500sec

 花輪駅を東側から眺めます。 駅本屋(駅舎)からプラットホームまでは、線路跡の通路を進みます。 のどかな風景です。
 わたらせ渓谷鉄道への移行後 駅舎が建て替えられ、この風景は一変しています。 火の見やぐらは現存します。
 右奥に見える道路は 国道122号線です。 望遠レンズで写しているので 近くに見えますが、数百メートル離れています。



 No.103-13 1985.6.2  170mm、F8、1/250sec

 国道から花輪駅を望みます。 列車の後方の斜面は桜並木になっており、旧 花輪小学校 へと続く道です。



 No.62-10 1984.8.14 花輪駅 40mm、F5.6、1/500sec

 国鉄時代の花輪駅 本屋(無人駅)。 駅名板が見当たりませんでした。



 No.98-30 1985.4.21 花輪駅・保守用車 80mm、F8、1/250sec

 側線に停められた バラストスイーパーモータカー。 国鉄桐生保線区 大間々保線管理室 の側線に留置されている事が多かった車両です。



 No.273-12 1989.3.21 10:14 9725D 50mm、F16、1/60sec、ハーフグレーフィルター使用

 3月、朝晩はまだまだ寒いですが、着実に春が近づいていることを教えてくれる梅の花。 淡くピンクがかった花びらは 澄んだ空に似合います。



 No.245-29 1988.9.23

 お彼岸の日、曼珠沙華と実りの秋。 わたらせ渓谷鉄道への移行後、中野駅 が設置された地点を行く キハ20キハ30



 No.116-30 1985.10.13 9:58 726D 55mm、F5.6-8、1/250sec、C4+ハーフNDフィルター使用

 足元から草の香りが沸き上がり、稲刈り機の音がトコトコ響きます。 時折り通り過ぎる朱色の列車が、風景に彩りを添えてくれました。



 No.274-20 1989.2.24 7:43 722D 50mm、F2.8-4、1/60sec

 一つ上の写真と同じ場所を写しています。 この辺りは一毛作と二毛作との狭間に位置します。 もう少し南に行った地域では、冬には小麦の栽培も行えます。



 No.71-10 1984.9.30 8:44 9721D 35mm、F3.5、1/250sec、PLフィルター使用

 国道沿いに掲げられた『みんなで乗ろう 足尾線』の横断幕。 開け放たれた窓からは、カメラに向かって手を振る顔、顔、顔。



 No.76-4 1984.10.28 1795レ 45mm、F4-5.6、1/250sec、ストロボFP発光

 ひがせ橋より 重連の下り貨物列車。 右下にある木の葉が日陰になっていたので、日中シンクロ撮影をしたらしいです。 効果があったとは思えませんが。



 No.278-19 1989.3.28 10:54 🔹団体列車 50mm、F4-5.6、1/250sec

 一つ上の写真と同じ場所から写しています。 平成元年3月28日、JR足尾線最後の日 です 。
 茶釜に塗色変更した DE10 が、高崎客貨車区所属の 旧型客車 を牽いて足尾駅を目指します。
    関連記事  国鉄時代 足尾駅周辺 2


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国鉄時代 小中駅周辺

2025-04-12 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.235-25 1988.5.3 6:45 720D 105mm、F8-11、1/125sec

 小中駅を発車する上り一番列車。 この日は休日だったので、小中駅からの 通勤・通学者の姿はありませんでした。
 列車は 青白い排気を吹上げると、春の野辺を元気に走り出しました。



 No.248-01 1988.9.25  ひので小学校(gooブログ検索)

 杲(ひので)小学校。 毎年、9月の最終日曜日が運動会でした。 校庭の南側(線路側)に桜の木があり、開花期には カメラを持った人たちが集まっていました。
 2001年(平成13年)3月閉校。 画家・詩人の 星野富弘 さんの母校でもあります。



 No.108-18 1985.7.21 12:06 723D 70mm、F5.6-8、1/250sec

 ひので小学校の対岸。 道路から 渡良瀬川に下りられる小路があり、水遊びの子供たちの姿を 時折り見かけました。



 No.76-17 1984.11.4 9721D 70mm、F5.6、1/500sec

 桐生-神土間を往復する 休日運転の列車。 普段は3両で走りますが、新緑と紅葉の季節には4両で運行。 松島橋にて。



  No.118-24 1985.11.3 9:10 9726D 45mm、F8-11、1/60sec

 小中川橋梁。 上流7kmほどの所に 小中大滝 があります。 遊歩道のワイルドな橋を渡り、落差96mの、涼味満点の大滝を眺められます。
   観光ガイド  じゃらん 小中大滝



 No.174-13 1987.3.8 10:55 5790レ 80mm、F8、1/250sec

 第一神土トンネルを抜け、連続下り勾配を行く 硫酸タンク車。




 こうして小中駅周辺の写真を並べて見ると、秋の風景ばかりだったと 改めて感じました。 実りの秋と 里山の風景を、無意識のうちに求めていたのかも知れません。



 No.119-0 1985.11.3 13:52 1792レ 105mm、F5.6、1/250sec

 国道沿いの畑から 上り貨物列車を後追い。



 No.117-3 1985.10.13 11:50 1790レ 105mm、F4、1/250sec

 一つ上の写真の、通過地点の上り貨物列車を、反対側から撮影。



 No.119-26 1985.11.9 10:57 1790レ 135mm、F5.6-8、1/250sec

 さらにその、通過地点にいる上り貨物列車を、反対岸から撮影。 動画でパンさせながら写すのに向く撮影ポイントです。



 No.119-27 1985.11.9 10:57 1790レ 110mm、F5.6-8、1/250sec



 No.267-19 1989.1.22 12:45 9726D 70mm、F8、1/125sec、ブラウンフィルター使用

 下松島橋。 現在は赤く塗られています。 吊り橋です。 小中駅から南に徒歩1~2分。
    google 下松島橋



 No.78-24 1984.11.23 8:55 9721D 43mm、F5.6-8、1/500sec

 下松島橋から東に少し行った 林の間から、ひので小学校が見えていました。 現在は建物は無く、更地です。
 小学校に通う生徒たちも、毎日 吊り橋を渡っていたのかも知れません。



 No.213-22 1987.11.8 8:51 9721D 80mm、F8-11、自動露出

 小夜戸地区。 国道沿いの雑踏から離れた、静かな地域です。 撮影の合い間、時々、クルマの中でお昼寝してました。
 畑の周辺に柿の木が多くあり、農家の軒先には干し柿がノレンのようにぶら下がっていました。 近年では 曼珠沙華の花や、ハナモモ祭りで 地域を盛り上げています。



 No.251-35 1988.10.23 11:15 石造五重塔 50mm、F8-11、1/60sec

 勢多郡東村(現在 みどり市)には、足尾銅山の銅を江戸まで運ぶ あかがね街道 がありました。 馬に乗せて、宿場をリレーします。
 その道は一本に限られていた訳ではなく、渡良瀬川の南側の 小夜戸地区にも、馬頭観音庚申塔 を見る事ができました。
 花輪地区と水沼地区を結ぶ新道建設のため、小さな石碑はどこかに片付けられてしまいました。 ずっと残る物だと思っていたので、写真には撮っていません。



 No.251-36 1988.10.23 11:20 摩利支天像 35~70mm、F11-16、1/60sec



 No.249-34 1988.10.10 12:50 石碑 60mm、F11-16、1/60sec

 小中駅に近い線路端に、庚申塔などの石碑が。 ここが 旧 あかがね街道 だったのでしょうか?



 No.252-0 1988.10.23 12:02 723D 90mm、F11、1/125sec



 No.238-8 1988.5.8 7:16 721D 135mm、F5.6-8、1/250sec



 No.272-5 1989.2.11 14:19 725D 70mm、F8-11、1/125sec、ブラウンフィルター使用

 小中駅に到着した 下り列車。 飾り気のない冬枯れた風景が 足尾線らしさとも。



 No.119-4 1985.11.3 14:04 小中駅 50mm、F5.6、1/250sec



 No.177-15 1987.3.29 6:46 720D 80mm、F3.8、1/125sec、ハーフNDフィルター使用

小中駅を発車する上り一番列車。 この列車を写すには、自宅を朝5時には出ておかないとなのです。 いつもの事です。
 いえいえ、そんな事よりも、この日が 足尾線貨物列車の最終運転日 になってしまいました。
 この後、足尾駅に直行です。。。

   過去記事  貨物列車 最終運転日 1987.3.29


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国鉄時代 神土駅周辺

2025-04-05 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.74-25 1984.10.21 🔹あしお号 70mm、F5.6、1/500sec

 神土(ごうど)駅にて。 12系客車6両編成の団体列車。
 地名は 神戸(ごうど)と書きますが、山陽本線の 神戸(こうべ)駅 と区別する為、神土駅と表記していました。
 わたらせ渓谷鐵道 へ移行後は、神戸(ごうど)駅 と改称しています。
   参考資料  ごうど駅(PDF)



 No.101-2 1985.5.5 1792レ 80mm、F4-5.6、1/500sec

 全長5242mの 草木トンネル を抜ける 上り貨物列車。 右上に見えるのが 草木ダム です。 草木ダムの完成は1976年。 治水と発電を担います。

 ダムの建設に伴い、足尾線のルートが変更されました。 神土駅と沢入駅の間に 草木駅 がありましたが、現在は湖の中です。
 蒸気機関車 C12 の運行を終了させ、ディーゼル機関車に移行した事で、長大トンネルの建設が可能になったのです。



 No.139-25 1986.5.25 9:41 726D 110mm、F5.6、1/250sec

 草木ダム管理所 近くからの眺め。 高低差140mです。
 ルート変更する前の線路は、右下の林の中を走っていました。 現在は遊歩道になっており、琴平トンネル や石積みの擁壁などを見ることが出来ます。



 No.282-8 1989.4.9 14:40 遊歩道 35mm、F11-16、1/60sec

 遊歩道になった 線路跡 です。 小さな橋を渡ると 桜の公園に続きます。
 写真の右にある階段を登ると ダムの上に出て、富弘美術館まで歩けます。



 No.161--1 1986.11.23 10:51 1790レ 210mm、F8、1/250sec

 草木トンネルを抜け、神土駅へと向かう上り貨物列車。 近年ではこの付近は 桜と花桃が植えられ、好撮影ポイントになっています。



 No.99-25 1985.4.29 1793レ 140mm、F4-5.6、1/500sec

 ゆったりとしたカーブが魅力の神土駅。 今日の1793下り貨物列車は、4両のトキと車掌車を牽いています。 その日の輸送量に応じて、重連にも、運休にもなる列車です。

 1793貨物列車は 高崎操車場 始発[仕業番号 A21]です。 補機が必要な場合は、桐生機関区より[仕業番号 A22]が前補機になります。

 神土駅は平成元年の わたらせ渓谷鐵道への移行後、桜と花桃の名所とされ、4月には 花桃まつり が開催されます。 鉄道利用促進のイベントなので、鉄道利用をお願いします。 駐車場には露店が並ぶので、マイカーの乗り入れは出来ません。



 No.156-20 1986.10.18 11:32 1793レ 210mm、F4、1/500sec

 この日の1793下り列車は、機関車だけの単行運転でした。 運休しなかった理由は、折り返しの1792上り貨物列車の設定があったから。
 1793列車はこの駅でのすれ違い列車が無いので、走行したまま 車掌が タブレット の授受を行います。 プラットホームには、それを見守る駅長の姿。



 No.135-18 1986.4.29 10:20 🔹童謡の里号 35~70mm、F4-5.6、1/250sec

 童謡ふるさと館 への団体客輸送に キハ40系気動車 2両が神土駅まで走りました。
 乗務員がヘッドマークの前で記念写真を撮っていましたが、プレートを付け替える前に 写させてもらいました。



 No.116-32 1985.10.13 🔹いもほり列車 35~70mm、F5.6-8、1/250sec、ハーフNDフィルター使用

 乗客は全員 小中駅で降り、付近の観光農園へ。 列車は神土駅で待機です。
 キハ20系 だけで揃えた4両編成。 5年間の足尾線集中撮影で、このような贅沢な編成を見たのは、この時が最初で最後です。



 No.277-14 1989.3.26 9:43 724D 80~210mm、F5.6、自動露出

 2番線に停車中の上り普通列車。 駅長とタブレット交換する運転手。 車掌ではなく、運転手の仕事です。

 跨線橋には、わたらせ渓谷鐵道への移行を応援する横断幕が張られています。 横断幕は随所に見られました。



 No.277-16 1989.3.26 9:43 724D 80~210mm、F5.6、自動露出

 ゆっくりと走り出す列車を見送る駅長。 724D列車は神土駅でのすれ違い列車が無いので、すぐに発車できます。



No.154-6 1986.10.9 12:08 723D 210mm、2倍テレコンバーター、F8、1/125sec

 草木ダム管理所近くから 第二神土トンネル を望遠レンズで望む。 2Km以上離れていますが、湿度が高く無かったので、車種が分かる程度には写せました。



 No.76-22 1984.11.4 11:00 1790レ 35mm、F5.6、1/500sec

 神土駅を出て 第二神土トンネルに入る 上り1790列車。 川の南側の道路は建設中で、ダイナマイトで岩を削って伸ばしていました。 小夜戸地区まで通り抜けるのは、それから何年も経ってからです。



 No.76-9 1984.11.3 9:46 726D 50mm、F4-5.6、1/500sec

 文化の日でも 道路工事をしていました。 作業の邪魔にならないよう、急斜面を下って河原から撮影。 思いがけず、好撮影地でした。
 726D列車は2年後に724Dに改番する列車です。



 No.101-0 1985.5.5 13:37 1795レ 105mm、F3.8、1/500sec

 初夏の汗ばむ日差しに、青葉が輝きを増しています。 第一トンネルと第二トンネルの間に、小さな沢が見えています。
 トンネルの向こうから 重連の機関車が近づいて来るのが、重低音と地面の振動でわかりました。 不意に、トンネルの手前で 警戒吹鳴(すいめい)。 さらに、補機の 呼応吹鳴。
 警笛の余韻も乗せて、今日の機関士たちはノッてます!



 No.279-29 1989.3.28 22:45 上り 回送列車の光跡 70mm、F4、30sec

 足尾線 最後の日。 下り 733D 最終列車 の折り返し列車。 言うなれば、時刻表に載っていない列車
 本来なら 足尾駅で停泊し、翌日の上り列車として運転される車両ですが、この日ばかりはその必要がありません。
 営業運転を終了し、桐生機関区へと帰って行きます。

 一番線ホームには、翌日開業する わたらせ渓谷鉄道 のための設備改修工事が 慌ただしく行われています。
 上り回送列車は わずかな運転停車ののち、ゆっくりと 神土駅を出て行きました。 プラットホームには「ごうど」の駅名標が ひっそりと立っていました。

 足尾線 最後の日。 時おり小雨の降る 寂しい一日でしたが、2本の団体列車が走り、どの列車も乗車率は100%を超え、足尾駅には数百人の鉄道ファンで賑わいました。
 夜の神土駅のホームのはずれに 一人で立っていると、そばを流れる 渡良瀬川の川の音が聴こえるのに 初めて気が付きました。 今まで何度も訪れていたはずなのに。

 5年間の足尾線撮影の、最後の一枚が この写真です。。。


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