一人になるため山に行く!
休日に 私が発する言葉は 1つか2つ。
「 おにぎり あたためて下さい 」 と、「 レギュラー 満タン 」。
夜明け前、おにぎりをかじりながらクルマを運転し、林道へと分け入って行く。 昼食のサンドイッチとペットボトルを持って登山道へ。
社会のわずらわしさを避け、一人になるため山に行く。 言い替えれば、「 プチ現実逃避 」。
国道254号の コンビニの駐車場から見上げた じじ岩 (中央) と ばば岩 (右)
300mm,F8,15min,C4フィルター,1月上旬
こんなに良く晴れた秋の日、御堂 (みどう) 山に登った人は、わたし以外に誰もいない。
「 もったいないなー。 紅葉、こんなに綺麗なのに・・・ 」。 そう思いながらも、実はそれを期待していたはず。
私が西上州の山域をフィールドに選んだ理由の一つは、登山者が多くないという事。 写真を撮り尽くされていないので、ライバルが少ないと考えたから。 そして、人の目を気にせず、心のままに行動できるのが 何より嬉しかった。
「 写真を撮る 」 という大義名分を傘に着て、人との接触を避け、自分の世界に逃げ込んでいく。 そして、その行動を正当化しようとして、写真集を出そうとか考えてしまったりして・・・。
百万年もの歳月をかけてかたち造られる自然。 その頂に立ち、峰々を見渡すとき、大きな大きな自然、そしてその中の、ちっぽけな自分に気が付く。
ちっぽけな自分の悩み事なんて、さらにちっぽけに思えてくる。
険しい岩場を歩きながら考えごとなんてしていたら、谷底に転落してしまう。 日常のことなんか、雲のはるか下に押しやって、風景とたわむれている自分がいる。
じじ岩は いかにも石のように固い、頑固爺さんという印象。 ばば岩は、近所に一人くらいは必ず居そうな、口うるさい婆さんという感じ。 でも、居てくれるとありがたい存在だったりもする (?)。
24mm,F5.6,1/60sec,PLフィルター,11月上旬
初めて社会に出たころ、自分の非力さを強く感じていた。 学校は勉強を教える前に、生命力を養う場であったら良かったのに・・・。 学校で学んだことなど、何も役に立っていない。 社会で生きていくための処世術の1つでも教えてくれたなら、どんなに役立っていたろうか。
そうやって、学校の先生や周りの大人たちのせいにばかりしている自分がまた、情けなかった。
「 真夜中の街を、大声を上げて走り出したい! 」 そんな衝動にかられる事も度々あった。 きっと誰でも、そんな時期を過した経験があるのだと思う。
そんな頃、本屋さんに2~3時間入り浸ることが多くなった。 さまざまな本を読んでみた。 心理学、教育書、小説、短歌。
「 何か 」 を探していた時代だった。
小説 『 青春の門 』 (五木寛之著) の中に、主人公の義母が息子に語った言葉がある。
「 人間、吹っ切れにゃぁ生きて行けん! 」。
引っ込み思案でいるより、開き直って、挑戦してみる。 案外、やってみると大したこと無かったりするものだし、成長した自分に出会えたりもする。
「 難しく考える必要はない 」 と、思うようになると、気持ちも楽になっていった。
この日、じじ岩 ばば岩は、わたしに何も語ってはくれなかった。 夕陽に向かって立ち、その眩しさを 黙って見つめているようだった。
本当は、答えはすべて出揃っていて、あと自分に必要だったのは 「 勇気 」 なのかも知れない。
そばに誰かがいてくれて、背中をポンって押してくれたなら、元気で歩いていけるものなのだろう。
私は今、あざやかな紅葉に包まれて、澄んだ青空の下を一人で歩いている。
[ 補足 : 学校で学んだ知識は、視野を広げ、人生を豊かにするために役立っていたのだと、今さらにして理解しています。]
フォトエッセイ 第22話 ― 一人になるため山に行く!―
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