フォトエッセイ
私をかたち作るものたち
「 この俺をいったい、どこの誰だと思ってるんだー!? 」 と、言おうとして間違えて、「 この俺は一体、どこの誰なんだー? 」 と、言ってしまったという笑い話があります。
学生時代、私はコンプレックスの カタマリだった。 中学から高校にかけての5年間、私の身長は毎年10cmずつ成長していた。 急激に縦に伸びた分、横には細くなり、顔が痩せ、その割には 鼻だけ痩せずに 大きく目立っていた。
「 この広がった鼻はなんとかならんのか? 」 と思い、夏休みの一ヶ月間、洗濯バサミで 鼻をつまんで過ごしていた。 ちょうどこの頃から ニキビが出始め、気が付いたら鼻全体が 大きな赤いニキビと化していた。
そういうものを 一番気にしてしまう 多感な年頃だったので、人と話をするとき、わざと 顔をそらすクセが付いてしまった。
「 鼻デカ 」 とか 「 ピエロ 」 とか、「 酔っぱらい 」 とか 「 赤鼻のトナカイ 」 とか、のたまう同級生の奴らには 笑って応えていたが、ショーウインドーに映る 自分の姿が大嫌いで、人前に出ることをためらった。 そして、いつも人の目ばかりを気にして、自信の無い オドオドした性格になっていた。
高校3年の夏。 野球部の県大会の3回戦。 不本意なジャッジによって試合は30分以上も中断。 すっかり戦意を失わされ、それでもクラスメートの投げるボールの 一球一球に歓声が上がった。 運動部では無かった私も、彼らの背中に声援を送り続けた。 やがて ゲームセット。 何とも、あと味の悪い 負け方だった。
学校に戻り、選手たちは 下駄箱の前でうなだれ、横たわっていた。 それを数人の生徒が 静かに見守っている。
「 こんなトコに 寝転がってちゃダメだよ。 教室に行こうよ 」。 そんなふうに声をかけていたのは私だけだった。 ほかの人は皆、黙っていた。 私にはその理由が分らなかった。 そのときの私は、彼らの気持ちを 思いやることが出来なかったのだ。 それがとても 恥ずかしかった。
燃え尽きた彼らの姿を あらためて眺めて、私は彼らを とてもうらやましいと思った。 これほどまで 一つのものに夢中になれる事が、今までの私に あっただろうかと。
学生時代の私は 「 良い子 」 だった。 学校の先生や親たちの言うことを聞く、大人たちにとって 「 都合の良い子 」 だった。 グレることも反発する事も あまりできず、先生の指示には従うが、自分で考えて行動する 「 生命力 」 は養われなかった。
そんな状態で 社会人になってみると、自分の無力さに愕然とした。 学校は、勉強を教える前に、どうして 「 生きてく力 」 を教えてくれなかったのだろうと、人のせいにしてしまう自分が、また、嫌になった。
あるとき、通勤の車の中で ラジオを聴いていると、「 どこかの港町に住むおばあちゃんが、コンパクトカメラで 漁港や市場の情景を写し、写真集にまとめたところ、大変好評だった 」。 というエピソードを紹介していた。 この話題を聞いた瞬間、目の前の景色の何もかもが、一瞬にして輝いて見えた。
「 田舎のばあちゃんに写真集が出せるんだったら、この俺にだって出来るだろう 」。 そう思った私は、21歳にして初めて 一眼レフカメラ というものを手にした。 フイルムの入れ方すら分らないのに、「 写真集を出したい 」 という気持ちだけで、心は走り出していた。
私をかたち作るものたち。 それは、コンプレックスや ネタミ、人に良く思われたいという、醜い気持ちなどが 原動力になっている。
「 この俺はいったい、どこの誰なんだー? 」 という問いに対して、胸を張って答えられる日は、果して、いつか 訪れる事があるのだろうかと・・・。
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