だ・こーじの「いま、思い、考えること」

「目に見え心に思ふこと」をホンネのごとくフィクションとして綴ります。

レスリング……2/13(水)

2013年02月13日 | 日記
初めてレスリングを始めたのは高校卒業間近。
それまではバスケットボール一筋。
オヤジの教え子であり、全日本兼五輪代表選考会グレコローマンスタイル90kg級決勝で「俵返し」を見事に決め、
オリンピックの代表となった畏友・H氏が縁あって我が家に下宿することになり、
練習に付き合い始めたときからだ。

当時、プロレスラーを引退し、ボディビルダーとなったA浜口氏がじしんの道場を浅草に作り、
連日、そこに通っていた。
H氏の車からは小比類巻かほるや、テレサ・テンがかかっていた時代だ。
浜口会長は今でこそ「気合いだ!!!」という掛け声で有名となったが、当時は「燃えろ!!!」を連呼されていた。
浜口京子選手もまだあどけない少女だった。

浪人を経て大学に進学し、そこで出会ったのが、H氏と同じオリンピック代表で、銀メダリストの太田章先生だ。
太田先生の「レスリング」の授業が週に1回あったのだが、何度出てもよく、何度も出させていただいた。
時にはゲストとしてプロレスラーたちも指導に来てくれていた。

H氏と浜口会長、太田先生、さらに満さん(佐藤満・金メダリスト)と交流をし、
レスリング、やがてプロレスの魅力に取りつかれていった。

この「お家芸」といわれるレスリングがオリンピック種目から消えるかもしれないというニュースが昨日流れた。
どうも、視聴率が取れない、人気がない、といった金銭絡み、さらには欧州中心の委員で構成されているオリンピック委員会の委員たち。

2020年に東京での開催を目指している日本にとっては、「寝耳に水」のことだったらしい。
いかに事前の情報収集が甘く、いわゆるロビー活動ができていなかったかの象徴的なできごとだ。

「根回し」というと、マイナスなイメージをもちがちだが、下準備、下ごしらえというのは、何にとっても不可欠だ。
でも、これができない人がいる。
まだ本決まりではないようだが、オリンビック史上においても歴史と伝統のあるレスリングが消えてしまうのは、
なんだか青春の1ページを破り捨てられるような感じがする。