ストーリーの終わりに来て、
「あれ?これで終わり?続きがあるんやないの?」
と、思ったかもしれません。
が、あそこが、ちゃんとストーリの終わりです。けっして、更新し忘れたわけではないですよ。
ストーリのエンディングは、こうでした。
そのようにして、木こりの娘は、毎日、毎日、手紙を読み返しては、王子様と結婚できる喜びでいっぱいになって生活していました。でも、娘は、結婚式の日が来ても、お城に行くことはしませんでした。
「えー!じゃあ、この女の子、手紙もらって喜んだだけで、王子様と結婚しなかったっていうこと???」
はい、そういうことです。
「はぁ~?ほな、この子が喜んだのって、意味ないやん!」
はい、そういうことですね。
「あほ、ちゃうん?!?!」
「もったいな~」
「ちょっと、悲しすぎ・・」
私たちも、この木こりの娘みたいな、「あほなこと」を、案外、気がつかないでやっているのです。
クリスマスの時期になると、街にはいっせいにクリスマス・ソングが流れ出します。人々は、それを楽しげに口にしたりします。至るところに、クリスマスの飾り付けがされ、ここかしこで「メリー・クリスマス!」の文字を目にします。人々は、それを楽しげに口にしたりします。だれもが、クリスマスを喜んでいるわけです。
でも、ほとんどの人は、ただ「メリー・クリスマス!」と言いながら喜んでいるだけで、クリスマスの本質を受け取ろうとはしません。王子様から結婚の手紙をもらって喜んでいるだけで、結婚式にいかなたった木こりの娘と同じように。まったくもって、もったいない話です。
喜びの知らせが届いて、喜びながら、けっきょく、その知らせが伝えている中身そのものを自分のものにしない。これほど、悲しい話はありません。
あなたのストーリーを
本当の喜びにするのも、最悪の悲しい結末にするのも、
受け取った知らせへのあなたの応答次第です。
恐れることはありません。今、私は
この民全体のための
すばらしい喜びを知らせに来たのです。今日ダビデの町で、
あなたがたのために、
救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
(ルカによる福音書 2章10、11節)
次回からは、新しいストーリーです。アクセスしてくださいね。
「あれ?これで終わり?続きがあるんやないの?」
と、思ったかもしれません。
が、あそこが、ちゃんとストーリの終わりです。けっして、更新し忘れたわけではないですよ。
ストーリのエンディングは、こうでした。
そのようにして、木こりの娘は、毎日、毎日、手紙を読み返しては、王子様と結婚できる喜びでいっぱいになって生活していました。でも、娘は、結婚式の日が来ても、お城に行くことはしませんでした。
「えー!じゃあ、この女の子、手紙もらって喜んだだけで、王子様と結婚しなかったっていうこと???」
はい、そういうことです。
「はぁ~?ほな、この子が喜んだのって、意味ないやん!」
はい、そういうことですね。
「あほ、ちゃうん?!?!」
「もったいな~」
「ちょっと、悲しすぎ・・」
私たちも、この木こりの娘みたいな、「あほなこと」を、案外、気がつかないでやっているのです。
クリスマスの時期になると、街にはいっせいにクリスマス・ソングが流れ出します。人々は、それを楽しげに口にしたりします。至るところに、クリスマスの飾り付けがされ、ここかしこで「メリー・クリスマス!」の文字を目にします。人々は、それを楽しげに口にしたりします。だれもが、クリスマスを喜んでいるわけです。
でも、ほとんどの人は、ただ「メリー・クリスマス!」と言いながら喜んでいるだけで、クリスマスの本質を受け取ろうとはしません。王子様から結婚の手紙をもらって喜んでいるだけで、結婚式にいかなたった木こりの娘と同じように。まったくもって、もったいない話です。
喜びの知らせが届いて、喜びながら、けっきょく、その知らせが伝えている中身そのものを自分のものにしない。これほど、悲しい話はありません。
あなたのストーリーを
本当の喜びにするのも、最悪の悲しい結末にするのも、
受け取った知らせへのあなたの応答次第です。
恐れることはありません。今、私は
この民全体のための
すばらしい喜びを知らせに来たのです。今日ダビデの町で、
あなたがたのために、
救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
(ルカによる福音書 2章10、11節)
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