ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

もくじ

2008-12-31 | 放蕩息子Part2
カテゴリー「放蕩息子Part2」のなかに収録されているストーリーのもくじです。
ストーリー名をクリックすれば、そのストーリーの(1)にジャンプします。
その他のストーリーは、右サイドにあるカテゴリーから
直接開くことができます。



ぼくはセミになったのさ 

実話。ヘビの話と鳥の話 

天国の秘密 

大きいお父さん 

島に来たお医者さん

二匹の子羊と羊飼い

ハイエナがオドオドするようになったわけ

あれっ、洗濯機は?

私はだれ、スポーツ選手編

雪山救助犬ノア

最後の戦い

二匹のはらぺこあおむし

王様へのお願い

小さな柿の木

またまた、どろんこハリー

ドロ沼からの脱出

ロバの子リボンちゃん

放蕩息子Part2

正直村の子どもたち(9)ウンチク後編

2008-09-14 | 放蕩息子Part2
創世記19章に次のような出来事が記されています。ソドムとゴモラの町を、その罪のために、神様が滅ぼそうとされたとき、天使を遣わして、ロトの家族を救い出そうとしました。ところが、ロトの娘たちをめとった婿たちは、その話を冗談のように思い、本気にしませんでした。そして、とついだ娘たちも一緒に残り、他の人たちと同じように、町と共に滅ぼされました。

「今は恵みの時、今は救いの日です」。「今」と言われている間が、恵みを受けられる時、救いを受けられる日なのです。後回しにしたら、また次にその機会があるとは限らないのです。そして、いつ、「救いの戸が閉じられる」のか、それは、神様次第、私たちには、まったく予想もつきません。さっきまで開いていた「恵みの戸、救いの扉」を、いきなり神様が閉じても、私たちは文句は言えないのです。なぜなら、罪のために永遠の滅びを即刻身に受けるのが当然ですから。

罪を罪とわかっていながら、「でも、まだ平気。そのうち、悔い改めるから」と、なぜ言っていられるのでしょう。自分が神様のさばきを受けるのが決まっていて、「死ぬ前に、イエス様を信じて、救われれば、いいのさ。もう少し世を楽しむよ」と、なぜ言っていられるのでしょう。


今、あなたは、あなたを束縛している罪から解放され、今日、救いの喜びの中に入ることができるのに、なぜ、後回しにする必要があるのでしょう。


福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。
ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。
みことばが、それを聞いた人たちに、
信仰によって、結びつけられなかったからです。
「今日、もし御声を聞くならば、
あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」
(ヘブル人への手紙 4章2、7節)

今は恵みの時、今は救いの日です
(第二コリント6:2)

(次回からは、新しいストーリーです。アクセスしてくださいね。)



正直村の子どもたち(8)ウンチク前編

2008-09-13 | 放蕩息子Part2
今回のテーマは、「赦しの時」です。

さていきなり、本題に入りますが、聖書に表されている神様は、確かに赦しの神様ですが、「赦しの時」は、どうなのでしょう?

まずこのことを考える出発点は、聖書によれば、「すべての人が罪の下にある(ローマ3:9)」ということです。つまり、すべての人にとって、その人のやってきたことの当然の結果は、永遠の滅びなのです(ローマ5:22)。
ですから、私たちは、神様が赦してくれることを、当然のこと、当たり前のことと考えてはならないのです。

あくまでも、「赦し」は「恵み」です(エペソ2:8)。恵みというのは、「本来受けるのに値しないにもかかわらず、それが与えられる」ということです。

そして、聖書は、「今は恵みの時、今は救いの日です(第二コリント6:2)」と語ります。本来であれば、罪のために永遠の滅びを即刻身に受けて当然の人が、「今」は、恵みを受けられる時、「今」は、救いを受けられる日だと言っているのです。言い換えると、「明日」は、どうか保証の限りではありません。「もう少し後」は、どうかわからないのです。罪のために永遠の滅びを即刻身に受けるのが当然ですから、滅ぼされてもまったく文句は言えません。

(つづく)

正直村の子どもたち(7)

2008-09-12 | 放蕩息子Part2
校長室に着いた生徒たちは、愕然としました。

校長室の前に、大きな紙の上に、校長先生の太い立派な字で、こんな掲示がしてあったのです。

「以下の生徒は、
カンニングのため、規定により、
その試験は0点とする。
・・・・・・」

みごとに、カンニングをした生徒で教室に残っていた全員の名前がありました。

生徒たちは、校長室の戸を叩きました。
そして、泣きながら訴えかけました。

「校長先生、どうしてですか。
私たちも、こうして、カンニングをしたことを正直に申し出に来ました。
前の人たちは、校長先生から楽しいお話を聞き、特別料理の給食をいただき、そして、再試験も楽々に済んだ、というではありませんか。
どうして、私たちは、校長室にすら入れてもらえず、そして試験が0点なのですか。
このままでは、私たちは、落第です。どうぞ助けてください。」

すると、校長室の扉が開き、校長先生が姿を現しました。

「私は、約束どおり12時まで待ちました。もう恵みの扉は閉じられたのです。カンニングをした時点で、あなたがたは、鞭打ち3回とテスト0点なのです。それが、あなたがたのしたことの当然の結果です。自分のしたことの結果を自分できちんと身に受けなさい。私はこれから、義男先生のお見舞いがあるので、もうこれ以上話してはいられない。みんなも教室に戻りなさい。」

(次回は、このストーリーから、人生の知恵をまじめにウンチクります。)


正直村の子どもたち(6)

2008-09-11 | 放蕩息子Part2
お昼ごはんが終わると、校長先生が言いました。

「じゃあ、これから、さっそく再試験をします。」

それまで楽しかった雰囲気が、一気に、張り詰めました。

「そんなに緊張しなくても、大丈夫。普段学んだことが、テストになっているだけだから。できた人から、提出して、教室に戻っていいですよ。」


再試験が始まりました。生徒たちは、緊張して、テスト問題を受け取りましたが、やりはじめると、スラスラ解けました。さっきの校長先生の話が、どれも大切なポイントの復習になっていたのでした。


再試験を終えた生徒たちはみんな、次から次と、ニコニコ顔で、校長室から教室に戻っていきました。


さて、教室に残っていた生徒たちは、校長室に行った人たちがお昼になっても帰ってこないので、きっと、校長先生にこっぴどくお叱りを受けているのだろうと、恐れていました。

ところが、話を聞いてみると、ぜんぜん違うのです。校長先生の話も楽しく、特別料理の給食、そして、再試験も楽々に済んだ、というではありませんか。

「それなら、俺たちも、校長室に行こう。」
「そうだそうだ。申し出に行こう。」
カンニングをした生徒で教室に残っていた全員が校長室に向かいました。

(つづく)