ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

ぶどうの木とリンゴの木(7)ウンチク後編

2007-09-23 | 人魚王子/ ぶどうの木とリンゴの木
ストーリーの中で、ぶどうの木は、小さい弟をかばう兄のように、リンゴの木を切らないようにぶどう園の主人に頼んでいます。それでも、主人は、リンゴの木を切り倒す気持ちを変えませんでした。

なぜなら、ぶどうの木を残す、それ以外の木は切り倒す、それが、この主人の決定だからです。主人は、自分の定めた基準に合わせて、例外なく、情に流されることなく、行動していきました。

ぶどう園にいることができるのは、ぶどうの木だけ。基準はとても単純でした。


さて、私たちの人生の最終基準も、聖書によれば、実はとても単純なのです。

「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」
ヨハネの福音書 3章5節

たったこれだけ!です。

「肉によって生まれたものは肉です。御霊によって生まれたものは霊です。」(ヨハネの福音書3章6節)と続きにあるように、人には、肉体的な誕生と、御霊(聖霊)による霊的な誕生と聖書は語っています。

神の国に入ることができるのは、この霊的な誕生をした人だけなのです。


霊的な誕生、御霊によって生まれる、これは、神様の働きです。しかも、霊的な領域での出来事ですから、物理的に見ることはできません。でも、実際に体験的に自覚することのできる出来事です。

どうすれば、新しく生まれることができるか。

イエス・キリストを、自分の救い主、そして人生の主として受け入れる。これだけ!です。


「御子(イエス・キリスト)を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」
(ヨハネの福音書 3章36節)

次回からは、新しいストーリーです。アクセスしてくださいね。


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「イエス・キリストを、自分の救い主、そして人生の主として受け入れる。」このことについて、もっと知りたい方は、「書き込み式聖書の学び1」をご利用ください。人生の大切な問題を、じっくり、納得がいくまで、しっかり学ぶことができます。


ぶどうの木とリンゴの木(6)ウンチク前編

2007-09-22 | 人魚王子/ ぶどうの木とリンゴの木
日本の秋は、美味しいものでいっぱい!ですね。(うらやまし~)いろいろな秋の味覚がありますが、果物は、旬が一番、そして、どんなに輸送技術が発達したとはいえ、産地でしか本物を味わえない、これが果物のおいしいところです。

今回のストーリーには、日本を代表するような美味しい果物に登場してもらいました。

さて、今回のポイントは、果物たちのした思い違いです。それを、私たちのする思い違いに当てはめながら、一つ一つ見ていきましょう。


桃:こんなに立派な実をたくさんつけている

自分の観点(価値観、人生観など)に沿って、立派だ、評価に値する、価値のある、意味がある、そういう生き方をしているのだから、自分の人生は大丈夫、そう思っている人があるのではないでしょうか。でも、人の人生を最終的に判断する基準は、あなたの観点ではありません。いくら自分では大丈夫と思っていても、それは最終的なものではありません。


ぶどう:ひとつも実をつけたことがない

ここは逆説的に考えていただきたいのです。自分は、悪いと評価されるようなものは、外側に現れ出ないように、押さえ込んでやっている。何もうしろめたいようなことをしたことはない。だから、大丈夫。そう思っている人があるのではないでしょうか。でも、問題は、外側ではないのです。あなたの内側にどんな思いがあるか、なのです。たとえ、人を殺したり、殴ったりしたことがなくても、悪口、陰口すら言ったことがなくても、もし心の中で他の人をにくい、じゃまだ、うっとおしいと思ったことが一度でもあるなら、それは、殺人者と「同質」の心を持っていることになります。


梨:ここにぶどうの実をたくさんぶら下げれば

じゃあ、自分に最終評価を下すその基準に合わせて、よい評価を受けるものを身に付ければ、OKでしょう。これも、大間違いです。いくら、良いもの(善行、品性、高学歴、高収入、地位、名声などなど)を身にぶら下げても、それは、外側が良く見えるだけのことであって、あなたの「本質」は、ちっとも変わっていないからです。また、お払い、おまじない、厄除け、難行苦行・・・、どんなことによっても、あなたの心から「悪」を取り除くことはできません。さらに、何をしても、過去にした「悪」を精算することはできません。


思い違いの結果、ストーリーの中の果物の木たちは、あっさりと切り倒されてしまいました。私たちも人事と笑ってはいられません。


(次回は、解決の糸口をウンチクります。)

ぶどうの木とリンゴの木(5)

2007-09-21 | 人魚王子/ ぶどうの木とリンゴの木
ぶどう園の主人は、ぶどうの木との約束どおり、切り倒したぶどうの木を焼いて、すっかり灰にしました。そして、その灰を、残らずかき集め、切り倒されたリンゴの木の切り株の上に、全部振り掛けました。


さて、主人は、それからも毎日毎日、ぶどう園を整え続けました。ぶどう園は、すっかり見違えるようになりました。


朝には、ぶどう園に、陽が差します。強すぎないように、適当に雲が覆い隠します。また、あるときは、雨が降ります。静かに、静かに、ささやくように降ることもあれば、あるときにはあわてたように嵐が通り過ぎることもあります。


不思議なことが起こりました。

あのリンゴの木の切り株から、ぶどうの芽が出て、そして大きなぶどうの木が育ったのです。そして、そのぶどうの木は、ぶどう園で一番立派な実を一番たくさんつけるようになりました。

(週末は、このストーリーから、人生の知恵をまじめにウンチクります。)

ぶどうの木とリンゴの木(4)

2007-09-20 | 人魚王子/ ぶどうの木とリンゴの木
ある日、ついに、主人は、ぶどうの枝に囲まれて立っている、リンゴの木を見つけました。


主人が、そのリンゴの木を切り倒そうとした、そのときです。


ぶどうの木 「お願いがあるのですが。」

主人 「なんだね、ぶどうの木。わたしはぶどう園を整えるので忙しいんだ。あとではだめかな。」

ぶどうの木 「どうしても、今、聞いていただきたいのです。」

主人 「では聞くとするが、手短にしろよ。」

ぶどうの木 「そのリンゴの木を残してはもらえないでしょうか。私にとっては弟なのです。」

主人 「残念だが、それはできない。ここはぶどう園で、ぶどう以外の木はすべて切り倒すのだ。」

ぶどうの木 「どうしても、だめですか。」

主人 「だめなものは、だめだ。」

ぶどうの木 「わかりました。それでは、彼といっしょに、私も切り倒してください。弟だけが切り倒されるのは、あまりにも悲しすぎます。」

主人 「何を言っているんだ。おまえは、ぶどうの木だから、切り倒されなくていいんだよ。」

ぶどうの木 「弟といっしょに切り倒されたいのです。」

主人 「仕方ない。そこまで言うなら、切り倒すとしよう。」

ぶどうの木 「ありがとうございます。切り倒される前に、もうひとつ、最後にお願いを聞いてください。」

主人 「まだあるのか。」

ぶどうの木 「私を切り倒した後、私を焼いて、その灰を、弟の切り株の上にかけてもらえないでしょうか。いつまでも、弟を守ってやりたいのです。」

主人 「わかった。約束しよう。」


そして、ぶどう園の主人は、リンゴの木と、そしてそのぶどうの木も切り倒しました。

(つづく)

ぶどうの木とリンゴの木(3)

2007-09-19 | 人魚王子/ ぶどうの木とリンゴの木
さて、そのぶどう園に、小さなリンゴの木がありました。そのリンゴの木は、ぶどうの木の枝の下に、ひっそりと立っていました。そのぶどうの木は、まるで兄が小さい弟を守るように、小さなリンゴの木といっしょに立っていました。

リンゴの木 「にいさん、僕も見つかって、切り倒されてしまうよ。」

ぶどうの木 「だいじょうぶだよ。にいさんが守ってあげるから。こうして、にいさんの枝の中にいれば、みつからないよ。」

リンゴの木 「でも、主人は、とても徹底した人だから、見つかってしまうよ。」

ぶどうの木 「見つかっても、おまえの美味しそうな実を見れば、あの厳しい主人もきっと気持ちを変えるよ。」

リンゴの木 「だめだよ。だって、僕よりも、もっともっと立派な桃の木も、切り倒されたもの。」

ぶどうの木 「じゃあ、にいさんの実を全部、おまえにつけてやるよ。ぶどうの実がついているを見れば、主人は、おまえのことを切り倒したりしないよ。」

リンゴの木 「だめだよ。だって、僕よりも、もっともっと立派な枝振りをした梨の木も、たくさんぶどうの木をつけても、切り倒されたもの。」

ぶどうの木 「こわがらないで。にいさんが守ってあげるから。」

(つづく)