ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

ながいながいドン五郎のはなし(7)ウンチク後編

2007-10-29 | ながいながいドン五郎のはなし
「でも、「進化論」は、科学であって、完全に証明されていないとしても、おおむね事実として、一般に受け入れられているのだから、教えないわけにはいかない。」そう考える方が、大半ではないかと思います。

はたして、「進化論」は、科学と呼べるのでしょうか?学校で教える内容としてふさわしいだけの、客観性のある正当性のある理論なのでしょうか?


ある高校の地学の先生が運営されているHPに「生命の誕生」について、科学的、かつ、わかりやすく説明してありましたので、その内容を元に話を進めます。


「進化」の出発点は「生命の誕生」です。これについて「進化論」の有力な説明は「化学進化説」で、「原始生命は地球にできた物質の化学変化により誕生したとする考え方」です。

  すべての生命に共通の特徴は、
  1)有機物(タンパク質や核酸)のかたまりである=細胞
  2)物質やエネルギーの出し入れを行い自己を維持する=代謝
  3)自己を複製し増殖する=生殖
  の3点です。

原始生命の誕生が、この3点に沿って、科学的に説明されます。

 1)当時地球にあった無機物から化学変化によりアミノ酸などが生成した可能性はあると考えて良いでしょう。
 2)アミノ酸からできたタンパク質のかたまりが代謝を始めるまでにはどんなプロセスがあったのでしょうか。タンパク質による代謝の始まりは、まだよく分かっていません。
 3)生物の自己複製は、まず自身のDNA(遺伝情報)を複製 することから始まります。原始生命が獲得したこのDNA複製システムは、その後の全ての生物に引き継がれています。*1

 以上の1)2)3)は、実際にはお互いに絡み合いながら、原始海洋の中で進行したことでしょう。このプロセス全体を化学進化と呼びますが、確かなことはまだ分かっていません。



結論として、

はっきりと「確かなことはまだわかっていません」と述べられています。


つまり、「科学では、わかっていない」と言う他ない内容、それが「進化論」の始まりなのです。

「進化論」は、わかっていないことが理論の起点ですから、その上に、何をどのように積み上げようとも、わかっていないことには、変わりありません。

しかも、科学として、現在わかっていることに基づく結論は、パスツール(仏)によって、「生物は生物からしか生まれない」ことが明らかになっています。


現在の科学の結論と相反する内容でありながら、まったく「わかっていない」内容を、聞き手が「科学的事実と錯覚するような」方法で、知的にまだ判断することのできない時期から、子どもたちに教えているのが「進化論」教育です。なぜこんなことがまかり通っているのか、容認され続けているのか、不思議でなりません。

それがいじめを作り出す理由の無視できない要素のひとつがあるとしたら・・・・



「初めに、神が天と地を創造した。」
(創世記 1章1節)


聖書は、神様が無からすべてを創造したと語っています。次の聖書のことばの光に素直になるなら、聖書がまさに真実を語っていることを、私たちの社会が証明しているのではないでしょうか。

「それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。
また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。」
(ローマ人への手紙 1章21-24、28節)



「主を恐れることは知識の初めである。」
(箴言1:7)


次回からは、新しいストーリーです。アクセスしてくださいね。


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今回の内容は、以下のサイトを参考にしました。

なお、このサイトを運営している方は、私と関係のない方ですので、問い合わせなどなさらないように、よろしくお願いします。

地球と宇宙の科学のイントロダクション
第4章 地球と生命の歴史 「生命の誕生」

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*1 以下は、DNAや生殖機能についての私の疑問です。いろいろ調べていますが、あってもせいぜいSF物語のような「想像の話」、「根拠の乏しい空想話」ばかりで、解答といえるようなものは、今のところ見たことがありません。

もともとDNAを持たない物質が、それがどのようにしてDNAを持つようになったのか。そのことについては解明されているのでしょうか?

それまで単なる物質であったものが、どのようにして生殖機能を身につけ、それまでしていなかった生殖を始めるようになったのか。それらについては解明されているのでしょうか?

DANは自己を複製する機能です。掛け合わせや配合などによって、同種のもの、それも近い種類のものしか掛け合わせることができないこと、異種のものは母体内で育てることができないこと、また、変異した生物は生命力が弱い、生殖力が弱い、場合によっては無いことが知られています。
異なった「種」、しかも自分より「上位の種」が、たとえ突然変異によって形成されたとしても、(異なる種、しかも下位の種の)母体内で育ち、次世代として生まれ、それも一度だけではなく、その突然変異と同じ突然変異がある一定期間内に複数回起こり、それらが無事誕生し、成長し、互いに出会い、生殖に至り、受精、着床し、誕生した(突然変異の)生物がさらなる子孫を残し続け、優勢な勢力となることは、あまりにも無理があるように思います。それらについては解明されているのでしょうか?

ながいながいドン五郎のはなし(6)ウンチク前編

2007-10-29 | ながいながいドン五郎のはなし
さて問題です。ドン五郎は、だれでしょう?

  答えは、おわかりですね。


              セミの幼虫でした。

ちなみに、セミの幼虫は、地域によっていろいろな呼び名があるそうです。(参考 セミの家


ここから、本題に入りますよ。

少し前に、いじめた理由についての記事を読みました。
いじめ 摘発165件 力が弱い/無抵抗/いい子ぶる/動作鈍い(産経新聞) - goo ニュース

いじめた理由(複数回答)は
「力が弱い、無抵抗だから」が全体の27・3%で最も多く、次いで
「いい子ぶる、生意気」が27・0%、
「よくうそをつく」が11・7%、
「態度、動作が鈍い」が11・3%。


これを読んで、私が考えたことは、

なぜ、これらの要素が、いじめた人にとって、その人をいじめる対象とみなす理由となるのか、ということでした。言い方を変えると、これらの要素を持った人がいると、他の人は、その人をいじめる対象とする傾向があるのは、どうしてだろう、ということです。


頭に浮かんできた理由は、「進化論」教育でした。

「進化論」と一口に言っても、厳密には、いろいろな考え方があるようですが、ここでは、おおざっぱにひとまとめにして「進化論」と呼ばせていただきます。

「進化」の仕組みを説明するために、主に突然変異と自然淘汰が使われます。「進化論」を成立させるためには、自然淘汰の原則とは、環境により適したものが生き残る、ということになります。逆に言えば、環境に適応する能力が劣るものは生き残れない、滅びて行った、それが私たちの生きている世の原則だ、ということです。「進化論」教育は、これが正しいことなんだ、と教えていることに他なりません。

このことを、やっと文字が読めるか読めないかの頃から、子どもたちは(選択せずして)聞かされて、その考え方を(自分の意図とは関係なく)頭に埋め込まれて、育つわけです。

「環境に適応する能力が劣るものは生き残れない、滅びて行った、それが私たちの生きている世の原則だ」と聞かされ続け、頭に刷り込まれた子どもたちが、その考え方に沿った行動をとることは、ごくごく当然のことです。

自分より弱いものをいじめる。自分が存在しやすい環境を作ろうとして、生意気なやつ、ウソをつくやつをいじめる。自分より鈍いもの、劣るものをいじめる。・・・これらは、「進化論」が正しいと教えられた子どもたちにとっては、「自然」な行動です。なぜなら、それが世の原則だと、教え込まれているのですから。


私は、本気で、「進化論」教育は、いじめを作り出す理由の無視できない要素だと思って、疑いません。(あくまでも「要素のひとつである」と言っているだけであって、「進化論」教育がいじめの原因のすべてであるとは言っていません) 私は、自然科学者でも、文化人類学者でもありません。だから、私の意見は、まったくピントがずれていると、笑って、無視していただいて、いっこうにかまいません。

でも、今日も、他の人より少し弱いから、変わっているから、正直だから、おっとりしているから・・それが理由でいじめられ、自殺を考えるほど悩んでいる子どもたちがいることは、忘れられてはなりません。そして、その環境を作ってきたのは、他でもない、私たちです。

(次回は、解決の糸口をウンチクります。)


ながいながいドン五郎のはなし(5)

2007-10-26 | ながいながいドン五郎のはなし
でも、ドン五郎は、眠たくありませんでした。これまでだったら、ドン五郎のほうが、先に居眠りをしていたのに、その日は、眠たくありませんでした。かえって、からだがむずむずして、動きたくてたまりません。

ドン五郎は、手足を思うままに、動かしました。

ドン五郎は、どんどん土の中を進んで、土の外に出ました。外は、土の中と同じで、真っ暗でした。

ドン五郎は、すぐ目の前にあった木を登りだしました。なぜって聞かれても、ドン五郎にはわかりません。ただ、手足が、そうしたいのです。

ドン五郎は、少し登ったところで、止まりました。からだは、力ではちきれそうです。何度も何度も、伸びをしました。大きく大きく、伸びをしました。


それから、なにがどうなったのか、ドン五郎には、よくわかりません。

ただ、ドン五郎にわかることは、自分が空を飛んでいるということでした。そして、それまで大好きだった闇の中よりも、太陽の光を浴びていることが、何よりもうれしくて、前のように無口でなんてとてもいられません、大きな声で歌わずにはいられない、ということでした。

(週末は、このストーリーから、人生の知恵をまじめにウンチクります。)

ながいながいドン五郎のはなし(4)

2007-10-25 | ながいながいドン五郎のはなし
食べ終わると、長生きミミズは、また、話を続けました。

「おたまじゃくしのやつ、それまでは、水の中からこれっぽちも出られんかったくせに、カエルになったとたん、水の中から、飛び出していった。それまでは、ちょうどおまえさんのように、無口なやつだったのが、それがどうだ、カエルになったとたん、歌ってばかりだ。それも、生きていることがそれほど楽しいのかって、うらやましくなるほど、楽しい声で歌っておったよ。

ああ、つまりこうだ。おたまじゃくしのヤツ、何もかも、完全に変わったんだ。

カエルになったおたまじゃくしのヤツが、池を飛び出して行ったとても、わしは、あいかわらずじゃ。その池におった。

そしたらどうだ、ある日のこと、ヤツがまた帰ってきたよ。そして、池に卵を残していった。その後、ヤツがどうなったのか、わしには知ったことか。なぜってな。その卵から、また、おたまじゃくしが姿を現したんだ。

そして、言っておった。『ボクは、どうして、いつも水の中にいるんだろう。どうして、水の中が好きなんだろう。ボクは、どこから来て、どこに行くのだろう。本当は、水の中にいるはずじゃないように思うんだけど。』ってね。

それで、わしは、そのおたまじゃくしとも、話をした。今、おまえさんに話をしているようにね。わしの見てきたことを話して聞かせたんだ。」

そこまで言うと、長生きミミズは、その長いからだを先から先までゆっくり動かして、ようやくのこと座り直し、長生きして見てきた、その話を続けました。

ふたりは、おなかがすけば食べる。疲れれば一休みする。そして、また話を続けました。その話が、どれくらい長く続いたのか、検討もつきません。

やがて、長生きのミミズが言いました。

「そんなことを何度も、何度も、数限りなく、繰り返し、繰り返し、際限なく見てきたよ。いいかね。カエルの子はカエルじゃ。カエルから他のものは生まれない。いつまでたっても、おたまじゃくしは、カエルの子じゃ。おたまじゃくしは、どうしたってカエルになるんじゃ。」

そこまで話すと、長生きミミズは、大きくあくびをして、そして、こっくりこっくり、眠り始めました。

(つづく)

ながいながいドン五郎のはなし(3)

2007-10-24 | ながいながいドン五郎のはなし
長生きミミズの話は、こうでした。

「何年も、何年も、前のことじゃ。わしは、あるとき、池におった。おう、おまえさん、池がわからんのう。池というのは、たくさん水があるところじゃ。ここは、土ばかりじゃろ。水ばかりある、そういう場所もあるんだよ。

その池で泳いでおったらな。おう、おまえさん、泳ぐというのがわからんのう。泳ぐというのは、水のなかをからだをくねられて進むことじゃ。」

そして、長生きミミズは、その長いからだを、ゆっくり動かして見せました。そんなふうに、長生きミミズは、ひとつひとつ、ドン五郎がわかるように、ゆっくりと説明をしながら、話を続けました。

「その池に、おたまじゃくしがおったんだよ。おたまじゃくしも、おまえさんと同じようなことを言っておった。『ボクは、どうして、いつも水の中にいるんだろう。どうして、水の中が好きなんだろう。ボクは、どこから来て、どこに行くのだろう。本当は、水の中にいるはずじゃないように思うんだけど。』ってね。

わしは、そのおたまじゃくしとも、話をした。今、おまえさんに話をしているようにね。わしの見てきたことを話して聞かせたんだ。

もちろん、わしも、おたまじゃくしも、おなかがすく。おなかがすけば食べる。疲れれば一休みする。そして、また話を続けた。

話をしておると、どうだ。おもしろいことになってきた。おたまじゃくしのやつに、小さな足が出てきた。それでも、そんなことおかまいなしだ。わしは、話を続けた。おなかがすけば、食べる。そして、また話を続けた。

すると、どうだ。今度は、おたまじゃくしのやつに、小さな手が出てきた。それでも、そんなことおかまいなしだ。わしは、話を続けた。おなかがすけば、食べる。そして、また話を続けた。

おどろくなかれ。おたまじゃくしのやつ、手足が立派になってくるのと引き換えに、しっぽがだんだんなくなってくるじゃないか。それでも、そんなことおかまいなしだ。わしは、話を続けた。おなかがすけば、食べる。そして、また話を続けた。

気がつくと、わしは、だれに話をしておったと思うかね。カエルだよ。おたまじゃくしのやつ、と言っても、そのときには、もうカエルだったがね、水の中を飛び出していきおった。」

長生きミミズの話がここまでくると、ふたりは、もうおなかがすいていたので、食べることにしました。

(つづく)