今回のストーリーは、知る人ぞ知る、イエス様のたとえ話の中で一番有名な(?)「放蕩息子(ほうとうむすこ)」のお話が元ネタです。ヨナ的にアレンジしてみました。(放蕩息子のはなしは、ルカの福音書15章にでています)
1.自分勝手なすがたには、簡単に、影響される。
三男は、次男のやっていることを見て、「よし、俺も」と思って、お父さんから財産を分けてもらったわけです。街では、彼らは別々でしたが、まあ、やることといえば相場が決まっているのは、お互い経験済みですね。
他の人が自分勝手に何かやっているのを見ると、なんか、その人は得をしているように思えてくる。そして、自分もやりたくなる。自分勝手なすがたには、簡単に、影響されて、流されてしまいます。
2.悪いことも、慣れてしまうと、普通になる。
次男がいなくなった後も、三男は、豚の飼育小屋で生活をしていました。最初は、とても人の住むところではない、そう思えた小屋での生活も、慣れてしまうと、それはそれで、いいように思えてくるから、よく言えば、人の適応能力はスゴイ!、ということになります。
初めて、親や先生にウソをついて、ごまかしたときのことを思い出してください(経験のない人は、今からやらなくても良いですよ)。自分が言う一言一言に、震えるくらい、ドキドキしたと思います。ところが、2回目3回目となると、それほどドキドキしません。そして、10回目くらいからは、人を騙すことが楽しくなる(?)。
3.救いを知っている人だけが、救いを伝えられる。
次男は、一大決心をして、お父さんのところに戻ります。そして、自分が期待も予想もしていなかったことですが、もう一度子どもとして迎え入れられ、幸いな生活をお父さんと一緒にするわけです。
この次男は、自分と同じ豚の飼育小屋でひもじい生活をしていた三男を思い出しまします。そして、三男を迎えに行きます。次男の体験を聞いて、三男は、安心して、期待をもって、お父さんのところに帰る決心ができました。
もし、次男が三男に会いに行かなかったら、豚の飼育小屋での生活になじんでしまった三男は、そこを離れることはなったでしょう。
もし、次男ではなく、長男が迎えに来たとしたら、自分が帰ったとき、お父さんがどのようにして迎えてくれるか、きっと不安で不安で仕方なかったことでしょう。
救いを知っている人だけが、救いを伝えられる。
反対に言うと、救いを知っている人が、黙っていたら、他の人は救われないのです。
わたし(イエス・キリスト)は、あなたに天の御国のかぎを上げます。
(マタイによる福音書 16章19節)
私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。
・・さあ、行って、王の家に知らせよう。
(列王記第二 7章9節)
次回からは、新しいストーリーです。アクセスしてくださいね。
放蕩息子Part2 もヨロシク! ←クリックすれば読めるよ
1.自分勝手なすがたには、簡単に、影響される。
三男は、次男のやっていることを見て、「よし、俺も」と思って、お父さんから財産を分けてもらったわけです。街では、彼らは別々でしたが、まあ、やることといえば相場が決まっているのは、お互い経験済みですね。
他の人が自分勝手に何かやっているのを見ると、なんか、その人は得をしているように思えてくる。そして、自分もやりたくなる。自分勝手なすがたには、簡単に、影響されて、流されてしまいます。
2.悪いことも、慣れてしまうと、普通になる。
次男がいなくなった後も、三男は、豚の飼育小屋で生活をしていました。最初は、とても人の住むところではない、そう思えた小屋での生活も、慣れてしまうと、それはそれで、いいように思えてくるから、よく言えば、人の適応能力はスゴイ!、ということになります。
初めて、親や先生にウソをついて、ごまかしたときのことを思い出してください(経験のない人は、今からやらなくても良いですよ)。自分が言う一言一言に、震えるくらい、ドキドキしたと思います。ところが、2回目3回目となると、それほどドキドキしません。そして、10回目くらいからは、人を騙すことが楽しくなる(?)。
3.救いを知っている人だけが、救いを伝えられる。
次男は、一大決心をして、お父さんのところに戻ります。そして、自分が期待も予想もしていなかったことですが、もう一度子どもとして迎え入れられ、幸いな生活をお父さんと一緒にするわけです。
この次男は、自分と同じ豚の飼育小屋でひもじい生活をしていた三男を思い出しまします。そして、三男を迎えに行きます。次男の体験を聞いて、三男は、安心して、期待をもって、お父さんのところに帰る決心ができました。
もし、次男が三男に会いに行かなかったら、豚の飼育小屋での生活になじんでしまった三男は、そこを離れることはなったでしょう。
もし、次男ではなく、長男が迎えに来たとしたら、自分が帰ったとき、お父さんがどのようにして迎えてくれるか、きっと不安で不安で仕方なかったことでしょう。
救いを知っている人だけが、救いを伝えられる。
反対に言うと、救いを知っている人が、黙っていたら、他の人は救われないのです。
わたし(イエス・キリスト)は、あなたに天の御国のかぎを上げます。
(マタイによる福音書 16章19節)
私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。
・・さあ、行って、王の家に知らせよう。
(列王記第二 7章9節)
次回からは、新しいストーリーです。アクセスしてくださいね。
放蕩息子Part2 もヨロシク! ←クリックすれば読めるよ