ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

ハナコの家出(2)

2008-09-30 | ハナコの家出/ カプセルTARO
「ハナコぉ。ママとおやつ、食べましょぉ」
ママがとても明るい嬉しそうな声で、ハナコを呼んでいます。

「もお~っ。どーうして、こオっなの」
ハナコは、硬く握り締めた両手を、自分の頭に強く押し付けて、頭を振りました。

それから、ハナコは、自分の部屋を出て、またドシドシ歩いて、ダイニングに行きました。


「ハナコ。ほら、見てよ。これ、新しいケーキ。ママ、作ったのよ。おいしそうぉでしょ~」

ママは、ハナコに、紅茶を入れながら、あれやこれやと、それは楽しそうにしゃべり続けます。ママは、自分のことを話すだけでなく、ハナコが学校でどうしていたとか、前に言っていたあの友だちはどうなったとか、興味津々、聞いてきます。ハナコは、そんなママに、「ウン」とか、「忘れた」とか、素っ気ない返事ばかりでした。

ハナコは、ケーキを食べ終わると、
「私、宿題あるから」
と言って、飲みかけの紅茶を持って、自分の部屋へ戻りました。

ママは、とても残念そうに、
「ママ、手伝ってあげようか。でも、ハナコの方がよくわかるわね。がんばってね」
と、手を振っていました。

(つづく)

ハナコの家出(1)

2008-09-29 | ハナコの家出/ カプセルTARO
ハナコは、憂鬱な気持ちで、学校から、家に帰ってきました。家に近づけば近づくほど、ますます憂鬱になってきました。

重苦しい気持ちで、家の扉を開け、
「ただいま」
ハナコは、沈んだ小さな声で言いました。

「おかえりなさい。ハナコ」

いつものように、ママの明るい元気な声が返ってきました。

「おやつ作ってあるわよ。ママ、また新しいケーキ作ったの。かばんを置いたら、手を洗って、ダイニングにいらっしゃいね。ママ、用意して、待てるわ」

ママは、そう言い終ると、ますます上機嫌で、鼻歌を歌い始めました。


「なんなの」

ハナコは、口の中で、自分だけに聞こえる声で、そう言いました。それから、目を硬く閉じて、頭を一度強く振ってから、ドシドシ歩いて自分の部屋に行きました。

(つづく)

カプセルTARO(6)ウンチク編

2008-09-28 | ハナコの家出/ カプセルTARO
自分の中に、自分ではない自分がいるみたいな、そんな感覚をもったことはないでしょうか?

たとえば、
  あんなこと言うつもりじゃなったのに、言ってしまった・・
  普段だったら、絶対あんなことしないのに、なぜかあの時は・・
  本当は、まったく別のことをするつもりだったのに、気がついてみたら・・
  などなどなど・・・・

今回のストーリーのTAROも、そんなひとりです。彼は、自分のからだをスッポリ覆う透明な膜みたなものに入り込んでしまいました。それから、どこからか声が聞こえるようになりました。その声を受け入れながら、彼は変わっていきます。そして、ついに、自分でも自分をどうしようもできない状態になってしまいました。

聖書は、こんな具体に表現しています。
「滅びて行く古い人を脱ぎ捨てる」
(エペソ人への手紙 4章22節)

ストーリーのTAROでいけば、透明な膜を破り捨てて、そこから脱げ出る、そんな感じです。

問題は、それができないから、困っているわけですよ、ね。


聖書は、その最大の問題に、明確な解答を示しています。

「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、
    罪のからだが滅びで、
私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためである」
「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、
 キリストとともに葬られたのです」
(ローマ人への手紙 6章6、4節)

私たちは、自分では、その古い人から、抜け出ることはできません。そんな私たちのために、イエス・キリストが十字架にかかって死んでくださいました。死んだだけではなくて、ちゃんと葬られた、つまり、もう古い人は、きっちり完全処分済み、ということです。このことを、信仰によって自分に当てはめると、それが自分の身に起こります。

でも、死にっぱなしじゃ、しょうがないですね。

「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、
 キリストとともに生きることにもなる、と信じます」
(ローマ人への手紙 6章8節)

これも、信仰によって自分に当てはめると、それが自分の身に起こります。


信仰。なんか、この文字を見ると、宗教臭い、儀式臭い、そんな感じがしますが、そんなモンではないんですよ。

一言で言えば、イエス様を信頼する思い。イエス様になんでもお任せしよう、そういう気持ち。テーブルの上からお父さんの胸めがけて、飛び込む、子どもの心境。(一言ではなくて、三言になってしまった・・・)


「この神のことばは、
 信じているあなたがたのうちに働いているのです」
(テサロニケ人への手紙第一 2章13節)

次回からは、新しいストーリーです。アクセスしてくださいね。

カプセルTARO(5)

2008-09-27 | ハナコの家出/ カプセルTARO
ある日、風邪を引いた。
だんだん熱が高くなる。
寒気もするし、体の節々が、ひどく痛い。
もちろん立ってなんかいられない。
ベッドに寝ていた。

お母さんが、心配して、部屋に入ってきた。 
「だいじょうぶ。お薬持ってきたわよ。
 病院に行ったほうがいいんじゃないの」

「うるさいな。だまってろよ。
 そんなキンキン声出すと、頭が痛いのもわからないのか」

「ごめんなさいね。氷枕、する?」

「がたがた、がたがた、言うなって。
おまえなんか、じゃまんだよ。
優しいフリなんかして。
本当は、オレが苦しんでるのを、喜んでるんだろ」

「お母さん、本当に心配してるのよ。
 頭に、冷たいタオル乗せたら、楽になるんじゃない」

お母さんが、僕の頭に氷水で冷たくしたタオルを乗せようとしたが、
不思議なことに、どんなにしても、お母さんは、僕に触れることができなかった。
あの膜が厚くて、じゃまをしているのだ。
お母さんが、心配して、優しくしてくれるのは、本当はうれしかったが、
口から出てくるのは、悪いことばばかりだ。
悪いことばを出すたびに、膜はますます厚くなった。
お母さんの声は、だんだん聞こえなくなった。

僕は、透明な膜に完全に閉じ込められたのだ。
もう自分であって、自分ではなかった。

例の声が聞こえた。 

『うまくいったな』
『うまくいったよ』


(週末は、このストーリーから、人生の知恵をまじめにウンチクります。)


カプセルTARO(4)

2008-09-25 | ハナコの家出/ カプセルTARO
次の朝、その膜は、もっと厚くなっていた。

学校で、先生に、宿題をしていないことを注意された。
でも、うまくウソをついて、切り抜けた。 
『うまくいったな』 
また、例の声が聞こえた。

昼休み食堂で、また割り込みをやった。
今度は、ぜんぜんドキドキしなかった。 
『うまくいったな』 
また、例の声が聞こえた。


前の人のかばんの中に、お金が丸見えで入っている。 

「取っちゃおうか」 

『そうだ、そうだ』 

押されて、ぶつかったようなフリをして、
「ごめん」っていいながら、その人のお金を取った。 
その人はまったく、気にしていない。 

『うまくいったな』 

「うまくいったよ」


膜は、毎日毎日、厚くなっていった。

僕は、ウソをついたり、ごまかしたり、物を取ったり、
うその悪い噂話を流したり、人をいじめたり、
つまり、自分に都合が良かったり、自分がおもしろく思えるなら何でもうまくやれるようになった。
そして、人が注意することばは、ぜんぜん気にならなくなった。
褒めことばを言われると、
「本当は、そんなことは思っていないくせに。バカにするな。」って、真に受けなくなった。

膜は、どんどん、厚くなっていった。

(つづく)