絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

また夜更かし生活

2013年03月27日 22時37分45秒 | Weblog
なかなか快復しない、正しい体内時計。
この不規則はいつまで?
昼間生活をもっと活動的にしたら改善するかな。
命の母、とか飲んだらいいのか?
イノッチノの母って言いそうになる・・・
(朝イチの見すぎ!?有働さん、大ファンです)

二胡合奏

2013年03月27日 01時39分37秒 | Weblog
一絃琴のときは、合奏というのはあまりしなかった。
そもそも音が小さくて、ほかの楽器とのコラボなんて全然できない。
篠笛とか合わせられそうでも、音量に負けてしまって、それぞれ掛け合いくらいにしかできなかった。
合うのはやっぱり人の声、弾いては謡い、謡いつつ弾く。それがぴったりの楽器だ。
だから、歌が苦手だとちょっとまずいかも。

二胡はいろんな楽器とコラボできるし、まず、二胡の合奏ができて楽しい。
いい音だとうれしくなる。こう、弾いてて自然に笑みがこぼれてくる。
人間の最高の笑みは「微笑」だそうだ。
生まれて間もない赤ちゃんを覗き込む人々の顔に必ず現れる、あの「心からのほほえみ」
あれが最高なものらしい。
そこまでいかなくとも、合奏をすると、なんかこう心の中から嬉しさが沸き起こってくるというか
すごく楽しい。
二胡、やってみませんか?
バイオリンやピアノに比べれば和音を作らなくてもいいという点で難しくないから
、人生の半分過ぎてからでも十分楽しめそうですよ。
(現に私もまだ1年5か月ですが、十分楽しんでいます)
初心者は初心者なりに、上級は上級なりに楽しめます。

前回のけいこで「さくらさくら」を先生と合奏。
この曲も素晴らしい曲。
前半は4文音符で、後半は8文音符で演奏した。
この曲を聞くと、日本人の愛する桜の情景が次々と浮かんでくる。
自分の見た桜はもとより、歌や俳句に読まれた情景や、写真、映画で見たものなど
数えきれないほどの桜の情景を、日本人は心の中に抱いている。
前半は、ゆったりと荘厳な桜の遠景を、後半は桜の木の下で、桜の花びらを身近に見上げる近景を
あらわしているように感じた。
これを大合奏して、舞台から桜吹雪が会場いっぱいに降り注いでいくイメージが浮かんでくる。
観客の方の心にも桜が満開で、会場が一つになるイメージが。。。

『二泉映月』を聴く

2013年03月27日 00時26分18秒 | Weblog
二胡名曲集
クリエーター情報なし
EMOTIONALPLANET


先生、ちょっと難しい顔をしておられますが・・・
教室ではいつもにこにこしていらっしゃいます。
練習不足で上手く弾けなかった時も、ぜんぜん怒られたりしません。
(イラッという感じもありません)
自分に厳しく、他者には優しく。。。

そんな先生が演奏される『二泉映月』をもう何回、いや何十回と聞いてしまいました。
なぜか、いつも同じところで「ううっ」ってなってしまいます。
始まりは普通に聞き始めるんですが、途中、二胡がトレモロになるところで、
伴奏のピアノがすごく歌うんですよ。
そうすると、それが二胡の悲しい語りと相まって、自分の中に押し込められていた感情があふれ出てしまうというか・・・
作者アービンが、自分の苛酷な運命に憤り、落胆し、血の涙を流す。そのさまを二胡が泣くように歌うんです。

この曲を見いだし、今のように素晴らしいものに育て上げたのは中国の音楽界。
わたしが、この苦悩に満ち満ちた、慟哭といってもいいくらいの『二泉映月』を
どうして何十回も聞いてしまうかというと、それは、この曲の後半部分が好きだからです。

美しい泉のほとりに、一人黒い影を落とす男。。。
人生に疲れ果てたその男は、泉に映る月明かりをもうはっきりと見ることはできない。
男は語り出す、自分の人生がいかに苛酷なものであったかを。
生きていくのがどれほど苦しいか、神はなぜこんな苦悩を自分に与えるのか、
救いはないのかと、声を振り絞り訴える。。。そこに答えはないとわかってはいても。
語り続けるうちに、荒れ狂う男の魂に、徐々に静けさが降りてくる。
やがて、夜明けを告げる一条の光が、浄化された魂を明日へのかすかな希望へと導くのだった。。。

以上はわたしの勝手な妄想ですが、胸をかきむしるような中盤の苦悩とは打って変わって
後半部分はすごくはかなくも美しい情感に溢れています。
これはアービンが最後に到達したかった境地(本当にそれを得られたかは別として)を
表現しているのではないでしょうか。
どんなに苦しくとも、最後は救いの光が差してくる・・・それは天に召される、ということだったかもしれない。
どのような苦悩にも、最後は静かな終焉がもたらされる、そういうことかも。

魂の浄化、ともいえる後半部分、一度聞いてみてください。